第5話 天使と笑い声

 ☆☆☆


 昼休みになって、トキと六条によくよく着いてこないように言い含めてから、俺は教室を出る。

 別にやましいことがあるわけではないのだけど、なんとなく空き教室へ向かう道すがら、きょろきょろと周りに生徒がいないか見回したり、意味もなく物陰に隠れたりしていた。我ながらちょっと、いやかなり不審者だったと思う。


「お待たせしちゃってごめんなさい、先輩」


 弁当の蓋を開けたり閉じたりしていたら、空き教室に皇さんがやって来た。まずい、最速で教室を出てそわそわしていたことを知られたらドン引きされかねない。


「いや、全然待ってないですよ。不躾なお願いを聞いてくれてありがとね、皇さん」


「いえいえ、こちらこそ、私なんかを誘っていただいちゃって」


 なんとなく互いに遠慮し合いながら、少し離した机に向かい合って座る。沈黙。全然、和やかにお昼を食べられるような空気じゃない。


「あー、えっと。とりあえず、昼休み終わっちゃわないように、食べ……ますか」


「はい、そうですね。いただきます……?」


「いただきます」


 パートをしながら主婦をやっている母さんが入れてくれる弁当は、大抵昨晩のおかずの余りプラスアルファだ。一時、自分で弁当を入れてみたこともあったが、毎日毎日同じようなものや冷食ばかりになってしまったので、母の偉大さを感じた覚えがある。

 ちらっ、と目の前の後輩の弁当を覗くと、可愛らしいピンク色の丸い弁当箱に、卵焼きやウインナー、ふりかけごはんなど定番のものが詰まっていた。


「皇さんは、弁当は自分で?それともお母さんに入れてもらってるの?」


「今日は、自分で作って来ました。でも、いつもはそんなに余裕がないので、お父さんに入れてもらったり、購買で買ったり」


「お父さんが料理できる人なんですね」


「はい。たまに教わるんですけど、全然敵いません」


 たはは、と苦笑する姿も、愛らしい。いやいや、あんまり変なことは考えない方がいい。ただでさえ言動のおかしな先輩だと思われているんだろうから。


「えと、もし聞いてもよかったら、なんですけど」


「うん?なに?」


 食後のデザートと思われる、コーヒーゼリーの蓋を開けながら、皇さんが遠慮がちに問いかけてくる。俺はちょうど水筒のお茶を空っぽにしたところだったので、彼女から話そうとしてくれたことに、思わずにやけてしまったバカの顔は見られていない……はずだ。


「先輩は、なんで私をお昼に誘ってくれたんですか?その、こういう聞き方は、恥ずかしいというか、失礼というか、その。あれなんですけど。先輩って……」


 少し、頬を染めながら。彼女が問いかけてくる。きっとその答えを俺は持っていて、でもあやふやで、それを口にしてしまったら、せっかく手にしたこの「接点」を、一度きりでふいにしてしまうかもしれない。

 どう、返せばいいだろうか。頭痛がしてくるほでに考えながら、皇さんの決定的なその問いを待っていたら。


「あれ?先客」


 どこかで聞いた事のあるようなセリフが、がらがらと開かれた扉の音と共に、俺たち二人に掛けられた。


「!?……あ、時透先輩」


「誰かと思ったら、恋夢ちゃんじゃないか。お取込み中?逢瀬?」


「ち、ちがいますよ!私は、こちらの……えーっと」


 突然のことに目を瞬かせていると、どうやら来訪者と知り合いだったらしい皇さんが、俺のことをどうしょうかいしていいものか、といったふうに視線を向けていた。


「えー、はじめまして。俺は武井阿智って言います。皇さんとは知り合ったばかりっていうか、たまたまこの教室でお昼ばったり会っちゃっただけで」


 どうやら一つ上、三年生らしいその女子生徒は、一言で言えば年上系美人だった。

 まず、背が高い。俺は男子高校生としては平均くらいだが、その俺の目と同じくらい。長い黒髪は腰までありそうで、肩のあたりで三つ編みにされている。なにより、初対面の俺に向けられる友好的な微笑みは、誰が見てもこの人は優しい人なんだろうな、とわかるものだった。


 カズよりもずっと明るい印象で、皇さんより落ち着いた雰囲気。「時透先輩」と呼ばれた彼女は、そんな人だった。

 いや、というか。よくみたら俺は、この人を知っていた。有名人じゃないか。


「あ、時透先輩?って、生徒会の人ですよね」


「そうだね。武井くんは、二年か。私は時透廻。よろしく」


 握手を求められるままに、時透先輩の手を握る。思っていたよりも小さなその手は、ずいぶんと暖かかった。


「それで?恋夢ちゃん。私、お邪魔?」


「そんな言い方はないですよー!邪魔じゃないです。ぜひ、一緒に……といっても、私と武井先輩はお昼、ほぼ食べおわっちゃったんですけど」


「あはは、ごめんごめん。ちょっと意地悪だったか。いやー、それにしてもあの恋夢ちゃんがねぇ。しかも、年上とだなんて」


「だから、別に私と武井先輩はそういうんじゃ」


 なんとなく、疎外感を覚える。皇さんとは昨日出会ったばかりで、時透先輩は今が初対面みたいなものだ。でも、二人はなんらかの形で知り合いで、二年の差があっても気安く言葉を交わせる間柄。

 居心地が悪くなったわけじゃないけど、俺は弁当も食べ終わっていたことだし、空き教室を出ることにする。


「あれ、武井くんはもう戻る?」


「そうですね。食べ終わっちゃいましたし」


「つれないなー。私にも二人の惚気話、聞かせてくれてもいいのに」


「いえ」


 弁当を片付け、俺は席を立つ。


「さっき、皇さんも言ってたけど、俺たちはそういう関係じゃないです。まだ、俺はなにもしらないし、告白もしてない」


 そう言って、少しの悔しさを感じながら、廊下に出る。

 教室を出てから、がたがたん!という音が聞こえた気がするが、多分気のせいだろう。


 ☆☆☆


 次の日もまた、俺は昼休みに空き教室にきていた。

 今日は朝、皇さんを誘ってはいない。誘いに行こうかとも思ったが、昨日、時透先輩が現れる前に聞かれ掛けたことに答えを出せなくて、朝早く来たのに、結局うだうだと自分の教室で悩むだけに終わってしまったのだ。

 それでも空き教室に来ているのは、ダメもとで。我ながら都合が良すぎるな、と思った。


「や、武井くん。こんにちは」


 果たして、そこにいたのは、時透先輩だった。皇さんの姿はなく、少しだけ落胆する。


「恋夢ちゃんは今日休みだってさ。がっかりした?」


「別に。ちょっと心配まであります」


「そか。よかったら少し話さない?黙々とお昼ご飯、なんて面白くないだろう?」


「わかりました。でも、変な事聞いて来ても答えませんよ」


 自分でも、少し不思議だった。

 俺は基本、年上の人とは距離を取る。敬語を使うことはもちろん、当たり障りのない話題を選んで、愛想は良くも悪くもなく普通に。家族以外の年上の人と会話をするときは、いつもそうしてきた。気に入られ過ぎても、煙たがられても、上手くいかないから。

 けれど、この黒髪美人の先輩とは、ぞんざいで、砕けた口調で話していた。いつの間にか。別に、好きとか、恋とか、そういうものではないはずなのに。


「じゃあ、君は恋夢ちゃんにお熱なわけだ。それも初恋」


「そうなるんじゃないですかね。知らんけど」


「冷たいなぁ。傷ついちゃう」


「思ってもないことを口にするもんじゃないですよ」


 購買で買ったらしい菓子パンを片手に、時透先輩は根掘り葉掘り、俺と皇さんの関係を聞いて来た。だが、そもそも知り合って少ししか経っていないため、話せることなどそうそうない。


「ごちそうさまでした」


「ちょっと食べるの早くない?そんなに私と食べるお昼ご飯はお気に召さなかったかなぁ……そりゃ恋夢ちゃんと比べたら可愛くもないし、年上だけど」


「そういう問題じゃないです」


「じゃあ、どういう問題?」


 ここぞとばかりに、先輩は俺にふんわりした笑みを向けてくる。きっと、彼女のえくぼに落とされて来た男子は数しれないのだろう。だけど、俺のハートには皇さんがいる。


「俺、余裕ないんですよ。好きとか恋とか、全然知らなかったものに突然襲われて、戸惑って。だから」


 ごくり、最後に残ったご飯を一塊、麦茶で飲み干して。俺は真っ直ぐ目の前の女性に「迷惑です」と伝えることにした。


「今は皇恋夢さんのことしか頭にないんです。でも、それを言語化できない。だから、彼女以外の女性と話すことも、彼女について何か話すことも、今の俺にはハードルが高すぎる」


 立ち上がる。早く教室に戻ろう。なんとなく来てしまったとはいえ、好きな人以外の異性と二人きりで昼食とか、不義理な気がして来たし。

 しかし、ガタン、と勢いよく片付けた椅子の音に被せるように。


「く、ふ、ふふ、くふふ…あ、ははははっ!ふふ、あっはははっ!」


 突然。そう、本当に何の前触れもなく、時透先輩は笑い始めた。というか、大爆笑し始めた。なんで?


「え?俺なんか面白いこと言いました?」


「うふっ…くふふ…いや、はは…別に…くふふふっ…そんなことは、ないんだけど」


「じゃあなんでそんなことになってる?ドン引きですよ」


「いや、いや、くふふっ…待ってほしい。あ、はは…ちょっと待って。ちが、ふふふっ…違うんだ。なんか、君が椅子をガタンッて。ガタンッて……ふ、くふふ、あはははははっ!んっ!くふふ…ガタンッ!ふふ、く、くるしい」


「???」


 このひとおかしいよ。どうなってるんだ?さっきまで普通に言葉が通じて、会話できていたはずなのに、急に壊れた。まさかリアルで「なにもしてないのに壊れた」としか言いようのない事態に直面するとは思っても見なかった。


「ちょ、ちょっと。くふふ…まって。ちょっとまって。あひゅっ…ふ、あははっ!ダメ。そんな顔で見ないで」


「いやそんな顔にもなりますって。え?どうしたんですか先輩。やっぱいいです。見なかったことにするんで。じゃ」


「や、ダメ、ふふ…今扉開けたら、くふふっ…!!ダメ。ガラガラ、で。あは、あはは…笑っちゃうから。勘弁して。ひゅ、ひゅ、ふふふっ」


 勘弁してほしいのはこちらだ。ばんばんばん!と机をぶったたく時透先輩……いや、やっぱり見知らぬ人かもしれない。その爆笑する何某を置いて、俺は自分の教室へ戻った。

 扉を開けた瞬間、一際大きな笑い声が聞こえて来て、閉じた途端にすぐに消えた。解せない。

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