第4話 お昼のお誘い

 明くる日。俺は普通に登校して、普通に教室に荷物を置いて、なんの迷いもなく一年のクラスにやってきてから、困ったことに気づいた。


「皇さん、何組だ……」


 間抜けにも程がある。役に立たないアドバイスに自棄になってしまったらしい。勢いで一年前には確かに通っていた教室の前にやって来てしまってから、挙動不審にきょろきょろと廊下を見回す羽目になった。

 俺は電車の関係上、比較的朝は早いほうだからか、教室にいる後輩たちの姿は随分と少なく感じる。

 ……そもそもまだ登校してすらいないんじゃないか。自分の早まった行動に嫌気が差して来て、階段を上がろうとしたその時に。


「何かご用ですか?武井先輩、ですよね」


 ふあり、おひさまの匂いがする。朝陽にしては随分と険のなく、秋のそれとしては瑞々しい。そんな、香り。


「あ…」


「武井先輩?」


 振り返れば、少し不安げな表情を浮かべた天使がそこにいた。皇さんの匂いなら、おひさまのそれに似ていても不思議はないな、などと変に納得してしまう。

 咄嗟に言葉を失うのは二回目で、だからこそか、少しだけ立ち直りも早かった。


「おはよう、皇さん。用ってほどでもないんだけど、君を誘いたくて」


「えと、なんのお誘いでしょう……?」


 不安そうな顔はそのままに、彼女が問い返してくる。あとになって考えてみれば、昨日会ったばかりの異性の先輩に「誘われ」るというのは随分とプレッシャーのかかることだったと思われるが、皇さんとなんとしても接点を作りたかった俺は、気づきやしなかった。


「もしよかったら、お昼を一緒に食べませんか?昨日と、おんなじ教室で」


「お昼ご飯を、武井先輩と、ふたりで」


「うん。あ、約束があったら無理にとは言わないし、友達を呼んでもらっても……あんまり気は乗らないけど、昨日の二人とか、あとは知ってるかわからないけど、夏城優姫さんとか呼ぶことはでき、ます」


 思わず早口になってしまってから、急に不安になって尻すぼみになってしまう。俺はようやっと、自分が実はとんでもないお願いをしようとしていたことに気づいたのだった。


「ちょっと、考えさせてもらってもいいですか?その、約束があるとかじゃ、ないんですけど」


「ああ、うん。もちろんです。こちらこそ、急な申し出本当にすみません……」


 つい顔に朱が差して、皇さんのとても綺麗な悩み顔から目を逸らしてしまう。徐々に登校してくる一年生も増えてきて、遠巻きに眺められている気もする。

 昨日言ったこととは矛盾するが、俺はどう思われたって構わない。でも、皇さんに変な噂が立つことはなんだかとても、もやもやした。


「やっぱり!」


「あの!」


 うじうじと悩んで、少しずつ後退りしながら発した言葉は、偶然にも同じく悩んでいた彼女と重なってしまった。

 気まずくなって視線で譲ると、思い切ったように形のいい唇が開かれた。


「あの。提案、ありがとうございます。私、いつも一緒にお弁当を食べる友達とか、いなくて。先輩のご迷惑でなければ、お言葉に甘えたいです」


「え?……マジで?」


「マジです。やっぱり、ひとりで食べるお昼って、なんだか寂しくって」


 たはは、と頬を掻いて笑う姿は、絵画のモチーフのように様になっていて、勇気を出した誘いに乗ってくれた喜びよりも、そんな美しいものを見られたことへの感動の方が大きかった。


「天使?」


「ええ!?先輩……?」


「う、ごめん。つい」


「は、はあ。それじゃあ、昨日と同じ空き教室で、いいんですよね」


「うん。それで、お願いします……」


 少し顔を赤くした彼女と、なんとなく目を合わせられない俺。どことなく漂う初々しさから逃げるように、俺は階段を駆け上がった。


 ☆☆☆


「で?アサト。皇さんにはOKもらえた感じ?」


「あ、うん。無事……ってトキ!?なんで知ってんのさ」


 ぼんやり教室に戻ると、いつもの造形だけは無駄に良い微笑みを向けて、トキが声をかけて来た。


「詳しく聞かせろ、武井。事の次第によっては、俺の正義の鉄拳が貴様の股間を打つだろう」


「よかったね、OKもらえて。幼馴染に彼女ができるなんて、僕も我が事のように嬉しいよ」


「いやいやいや、違うから!告ってないからね!?」


「あとで道端で捕まえた後輩に聞いたところ、皇 恋夢は一年のマドンナらしいじゃないか。武井貴様、よくもまあそのような高嶺の花に、出会って早々に……恥知らずめ。地獄に堕ちろ」


「いやあ、僕もアサトがこんなに積極的だったとは。意外だよね、カズ?」


 勘違いの解けないまま、あるいは意図的に解かないまま、トキは最悪の相手に話を振る。俺、なんでこんなのが幼馴染なんだろう。腐れ縁って辛い。

 カズは一瞬、誰よりも黒い瞳をこちらに向けてから、すぐにスケッチブックの裏で読書を再開した。スケッチブックには、


『知らない。関わらないで、ばか』


 と書かれていた。全くもって、いつ嫌われてしまったのか。また少し傷ついて、俺は今度こそ悪友二人の誤解を解くために言葉を尽くそうとして。


「よ、今日の一限って課題あったか?」


 救世主須藤の登場に涙が浮かんだ。


「須藤……俺、告白なんてしてないんだ。それなのに、それなのにね?」


「武井?あー、おまえら、囃し立てたいのはわかるが、大概にしとけよ?」


「ちっ。朝から愛しの姫と登校している者になどわかるものか。我々持たざる者の苦しみは!」


「おまえには東原がいるだろ。今週末あたりデート誘えよ」


「んんっ!……すまなかったな武井。少し熱くなった」


「ははは。もちろん、僕は最初からわかってたよ?カマかけただけさ」


「トキ……そういうとこだから」


 勇気をふりしぼった後に、ずいぶんと脱力させられて。その日は騒がしく始まった。

 なお、この後「皇さんを昼食に誘ってOKされた」という本当のことを告げたら、トキと六条だけでなく、須藤にまで聞き返された上に爆笑された。あいつら嫌いだ。

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