第3話 黒歴史と惚気と
終礼のあと。部活に入っていない俺は、いそいそと着替え始める運動部たちを尻目に、教室を出た。
普段一緒にいるメンバーのうち、トキは弁論同好会、須藤と六条は自転車通学であるため、徒歩と電車で登下校している俺は、必然一人になる。
……いやそれが、完全に一人というわけでもなく。
俺には幼馴染が二人いる。トキとカズだ。
その付き合いは、小学校で知り合ったトキ、御厨鴇緒よりも、隣の家に住んでいるカズ、小菅和湖の方が長いことになる。
何が言いたいのかというと、カズは隣に住んでいる帰宅部だということだ。下校の電車も当然被る。
「…………」
「…………」
電車内で隣の席。しかし、会話はない。
本を読み込むカズの横顔を眺めているわけにもいかず、かといって余所見をしても気まずいままだ。
実は俺は、この下校時間が一番苦手だった。
「なあ……今度は何読んでるの?カズ」
ガタン、ゴトン。走行音と、ぺらり、さらり。ページを捲る音だけが返ってくる。
ため息をひとつついて、スマホを眺め始めれば、ちょんちょん、と肩が叩かれ、表紙を見せられた。
「ああ、キリのいいところまで読んでたわけね。……異神千夜?普通に聞いたことないやつだったよ」
俺が題名を見たのを見計らって、カズはまた読書に戻る。
彼女が俺を含む男子に対して、ほとんど口を開かなくなったのは何時ごろからだったか。
退屈で気まずい下校路だが、別々に帰ると互いの母に心配をかける。この沈黙は必要な忍耐だと言い聞かせて、俺はネットの海に沈み込んだ。
☆☆☆
駅からマンションへの道の途中。すれ違った女性が茶髪だったからか、俺はふと昼休みの彼女を思い出していた。
容姿に惹かれた。そう言ってしまうと、自分が不誠実な男なように感じる。実際、俺は皇さんというらしい彼女のことをほとんど何も知らないし、恋バナに混ざれたことのない俺が恋愛を語ることもできやしない。
それでも、きっと。このじんわりと胸が暖かくなる気持ちは、「恋」なんじゃないかと。そう思った。
『アサト、変な顔してる。キモイ』
ぼんやりしながら歩いていた俺の背中を叩き、隣を歩いていたカズが、そんなことが書かれている紙を見せつけてくる。しまった。顔に出ていたか。
「悪い。ちょっと考え事してた。でもお前さ、いつも思うんだけど、もうちょっと柔らかい言葉使ってくれないわけ?」
『無理』
使い回しの、お決まりのフレーズ。叩きつけるようにそれを見せてくる彼女に呆れつつ、なんとなく俺は考えていたことをカズに打ち明けた。
「あのさ、カズ。お前って好きな人いたことあるの?」
深い意味はなく、幼馴染にアドバイスを求めようと思っての発言。
それを受けて、カズは何を考えたか、バシッ!と一枚の紙きれを残して走っていってしまった。
「ちょ、おい!……キモイ、バカ、死ね、か。デリカシーなかったかなあ……」
書き殴られた幼馴染の文字に凹みつつ、駆け足で俺はカズを追いかけた。
確かにこういう話題はデリケートだし、昔から付き合いのあるとはいえ、異性の俺に安易に踏み込まれたくなかったのだろう。
と言うことは、カズは恋愛をしたことがある、もしくは好きな人がいるのだろうが……俺だって馬鹿じゃない。邪推したせいで同じ轍を踏むこともない。
「待てって!……ごめん、カズ。俺の配慮が足りてなかった。機嫌直してくれよ」
点滅中の信号でも構わず走り抜けようとしたカズの左手を掴み、俺は荒い息をつく。
振り返った彼女の顔は、急な運動で上気しており、短い黒髪が頬に張り付いていた。
「あっ。う……」
「カズ?」
「……アサトは小四までおねしょしてたし、中二の時はしっかり流行りの病を患って部屋中に工作で作った剣を並べてた。その頃作った呪文ノートはクローゼットの奥に今でもあるし、書いたラノベもどきの主人公はまだかっこいいと思ってる。小学校の修学旅行で旅館に筆箱落として学校に届けてもらってたし、高校に上がってからだってトキたちに付き合ってちょっとえっちな雑誌を」
「待て待て待て待て!?!?!?!?」
理解が追いつかない。カズの長台詞を聞いたのも久しぶりだし、こんなに早口なのはもしかしたら初めてかもしれない。いやそれより内容だ。こいつ、公衆の面前でなんて、なんてッ!!
咄嗟に掴んだ腕を振り解き、後ずさる。たぶんちょっと顔が赤いはずだ。死にたい。
「お前、お前はなんてことを……!!」
俺が彼女を睨みつければ、すうっ、と上気していた肌は元に戻り、いつも通りの人形じみた幼馴染の表情が顔を出す。
その変わり身の早さと、突然すぎる黒歴史暴露に俺は戸惑って、カズが一人で交差点を渡っていくところを眺めていることしかできなかった。
☆☆☆
その日の夜。俺はトキに帰り道であったことをメッセージで伝え、ベッドに倒れ込んでいた。
本当に、妙な一日だったと思う。
そりゃあ、人並みに代わり映えのしない日々への退屈とかは、抱えていたけれど。後輩に一目惚れをして、しかもそれが高二にして初恋で。悶々とそれについて考えていたら、十五年来の幼馴染に、路上で黒歴史大暴露大会をやられたわけだ。俺、何かしたかな?
トキから返ってきたのは、『面白いねえ、君たち』というメッセージと、こちらを小馬鹿にしたような顔をした鳥のスタンプ。
あいつほんとに使い物にならないな。心の底からそう思う。一応幼馴染の問題として、聞こうと思った俺が間違っていたよ。
どうせ六条に相談したって同じようなことが返ってくるに違いない。となると、こういうことを相談できるのは最早一人しかいない。
一言メッセージを入れて、俺は須藤公佳に電話をかけることにした。
「もしもし?武井が俺に電話で相談とか、めずらしーな」
「まあ、そうなんだけどさ。周りが全滅で」
「そうか。まあ、アレとアレは頼りにならんからな」
須藤と見解が同じで安心した。彼もまあ、特殊な方に含まれるが、少なくとも六条恵と御厨鴇緒よりはマシだ。
「それで?わざわざこの時間に電話してきたってことは、急ぎなんだろ?」
「あー、うん。一応、今後の学校生活と幼馴染との関係に関わる重大事項」
「小菅と喧嘩でもしたか?」
「いや、そういうわけでも……ないわけでもないか」
窓から見える半分の月を眺めながら、俺は遠い目をする。イチから説明するとなれば、当然昼のことも言わなければ不誠実だろう。どうぼかすか。
「はぁ?路上で黒歴史暴露?くふっ……いや、災難だったな、武井」
「ほんとだよ。俺にどうしろと?」
「そうだなー。確かにちょっと、デリカシーはなかったかもな。というか、おまえがそういう恋愛系の話題、自分から振るの珍しいよな。なんかあったか?」
「あまり言いたくはないんだけど」
「聞かないでおいてもいいが」
適当だからこその言葉だろうけど、気遣いに感じてしまう。俺、なんでヘンな友人しかいないんだろう、須藤は普通のやつだったんだな。
そう思って、密かに涙しつつ口を開こうとしたとき。
『バカ、積極的に口割らせなさいよ。浮いた話よ?恋バナよ?聞かなきゃ損でしょ!』
『ちょっと黙っとけ聞こえるだろ!』
「須藤。俺はお前を見直すのをやめるよ」
「武井!?ちょ、待て。これは違う、やましいことはねーんだ。本当だから」
「何言い訳してるわけ?だから言ったでしょ、あたしは別に隠れるつもりないって」
電話口の向こうには、どうやら須藤の恋人である夏城優姫がいるらしかった。
須藤は隠そうと思ったのか、電話中は話さないように言っていたようだが、我慢が効かなかったみたいだ。
「別に二人がお熱いのは知ってたけどさ。この時間に高校生の男女が二人きりってのは、ちょっとどうかと思うなあ……」
「黙っててもらえると助かるわ。公佳の顔を立てて」
「そういうのは俺がいうもんだろうが……本当に今日は一緒に飯食っただけなんだよ。あんまり言いふらさないでほしい」
須藤の慌て方も最もだ。六条あたりがこのことを聞けば騒ぐことは間違いないし、騒がれたときには最悪、警察やら児相やらのお世話になりかねない。
俺としても友人がそう言うことになるのは嫌だし、話すつもりは毛頭ないんだけれど、せっかくだからこれを利用させてもらうことにする。
「そうだなぁ。じゃあ代わりに、今からする話を他の誰にも話さず、トキと六条が言いふらそうとしたら止めてくれるって約束するなら、言わない」
「それで行きましょ。いいわよね、公佳」
「だからおまえが……まあいいや。それで」
「OK、交渉成立ね。そしたら……はぁ。話すか」
そうして俺は昼間あったこと、つまり早くも黒歴史追加確定の、皇さんとの一件を話すことになった。
ひっじょーに遺憾だけど、彼らに相談に乗ってもらえれば、かなり心強い。
しばらく茶々を入れずに聞き終えた二人は、意外なことに笑うことなく言葉を返してきた。
「へえ、皇さんね。あたしもちょっと話したことはあるけど、いい子よね」
「俺は別に面識ねーけど。ともかく応援はするぞ」
「笑わないんだ、二人とも。ちょっと意外」
思ったことをそのまま伝えれば、電話口の向こうから苦笑の気配が伝わってくる。
「天使っていうのはちょっと大袈裟って思ったわよ?でも、そのレベルの浮いたセリフがしゃあしゃあと出てくるやつと一緒にいるし」
「俺はそこまでじゃなくないか?……いや、そうでもねーな。まあ、なんていうか身に覚えがちょっとあるわ」
「え、惚気じゃん」
「悪いかしら?」
「開き直るんだ……さすが姫」
二人の惚気のことはともかく、笑われなかったことには少し安心した。自分でも昼間の言動はどうかしてたとは思うし、須藤と夏城さんにまで笑われたら、明日学校に行けなくなるところだった。
これなら大丈夫そうだと、俺は本題を切り出すことにする。
「それでその、恋人同士の二人に相談したいんだけどさ。誰かを好きになったら、どうすればいいの?ていうか恋愛ってどんな感じ?」
「…………」
「ぷっ……くく、はは……っ!!」
しかし、安心したのも束の間、今度こそ笑い声と微妙な沈黙が返ってくることになった。顔を顰めていると、一通り笑ったらしい須藤がフォローをし始める。
「いや、悪い。笑うつもりはなかった、決してなかったんだが。おまえ高二だよな?初恋が今っていうのは別に個人差だと思うけども……世間知らずっていうか、ピュアっていうか」
「正直びっくりしたわ。まさか公佳より恋愛方面でぶきっちょな人間がいたなんて」
「は?おまえに言われたくねーぞ、この脳筋赤面不器用女」
「殴られたいのかしら?可愛い彼女に向かってその言種」
「惚気はいいから!で、実際どうすればいいのさ?それが聞きたいだけなの!」
隙を見せれば惚気始める二人をなんとか本題に引き戻し、俺は切実に問う。別に人の惚気を聞くことが嫌いなわけではないけれど、今はとにかく恋愛の作法を聞かないことには、これからどうすればいいかがわからなかったのだ。
「そうだな……心のままに動けば案外なんとかなるぞ」
「悪いわね。ちょっと具体的なアドバイスはできそうになくって。恋って理屈じゃないのよ」
「参考にならない……あー、もう。俺はどうすればいいんだ……」
「とにかく、その皇って後輩と仲良くならないことにはどうにもならないだろ。接点作れ」
「小菅さんのことは後回しね。というか、幼馴染の武井くんにわからないことがあたしたちにわかる訳ないし」
「そーだな。御厨にでも助けを求めとけよ」
「はぁ……わかったよ。接点ね、接点。お昼ご飯一緒に食べるとかでいいよね。うん、ありがとう。誘ってみる」
頼りにならないアドバイザーたちは最後に何か言いかけていたようだったけど、俺は電話を切った。
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