第2話 ……天使?

 男子高校生の大半にとって、昼食というのは癒しだ。夏休み明けでバテ気味の授業を忘れて、今日も友人と弁当を囲む。

 昼休みは決まって、教室の端っこ……窓際の席で弁当を食べている。

 席替えの度に集まるところは変わって、俺……武井阿智の席のこともあるし、御厨鴇緒の席も使えば、たまには六条恵のところに行くこともある。

 まあ、専ら昼休みに青春を謳歌してる須藤公佳が空けた席を使うのが定番なのだけど。


 だが、今月はそうもいかなかった。

 授業態度のあまりよろしくない須藤は一番前、六条は後ろだが出入りの激しい扉前、御厨のそれは女子たちのたまり場に気づけばなっていたし、俺は須藤の斜め後ろだった。

 つまり、たむろできる窓際の席がない。

 そうして探した結果、俺は六条と御厨に唆されるままに、幼なじみの机の前に立っていた。


「あの」


『なに?』


 小菅 和湖……カズは、俺に一瞥も返さずに、窓際の一番後ろの席から校庭を眺めている。

 というか、視線どころか言葉も返ってこない。

 彼女が男子に話しかけられると、スケッチブックに書いた使い回しの台詞をぺらぺらめくって返すようになったのは、いつからだったろうか。


「席、使わせてくんない?カズにどいてもらうのは悪いんだけど……俺たち食べるところなくて」


『無理』


『嫌』


 黒髪のショートに彩られた表情は、どこまでも無。

 幼なじみにかける贔屓とか、親愛とか、そういったものは全く見えもしない。


「いやこれは無理でしょ。というか、席を空けてもいない人間にどけって言うのは気が引ける」


「そう言うな。貴様は彼女の幼なじみだろう?チッ、美少女の幼なじみと高校までクラス一緒とは。罪深い、死ね」


「いやいやいや、今の塩対応見たっしょ?俺カズに嫌われてるの。むしろ一緒で辛い」


「かーっ!貴様という奴は!自分がいかに恵まれた人生を送ってきたかもわかっていないと見える!」


 あからさまな妬みの視線と小言を向けてくる六条の肩を、トキが軽く叩いた。


「六条くん六条くん。東原さん」


「な、なにっ!?ど……どこだ。どこにいる!?」


「いや嘘。ごめんね」


「御厨、貴様ァァァァァァ!!」


 騒がしいったらありゃしないが、これが俺たちの日常だ。

 でも、あまりここで油を売っていると本気で飯をいただく時間が無くなる。


『早く消えろ』


 あとカズの単調な文字とぴくぴく動いている眉が怖い。


「トキ、六条、早く撤退しよう。確か下の階に空き教室があったはず」


「お、それはいいね。目ざといな君は」


「では、暫くはそこか。……というか御厨、絶対そこの存在を知っていてこの茶番をけしかけたな?」


「ははは、僕にはさっぱり」


 この二人は基本的に愉快犯で、性格が悪い。その癖めんどくさい方向が違うので、俺だけではツッコミが追いつかないのがしょっちゅうだ。


「あーほんと、一家に一台須藤だよ」


「あのような男、そんなに大量にいたら困るであろう。俺は嫌だぞ、男臭い」


「僕は面白そうだと思うけどな?須藤くんと須藤くんが夏城さんを取り合ってたら、爆笑するよ。これは本心で」


 ☆☆☆


 やかましく話しながら、移動した先の件の空き教室は、俺たちの教室から階段を下りて、一つ下の階にあった。

 教室の前半分は机と教材に埋め尽くされているが、後ろ半分は何も置かれておらず、絶好の昼食スポットなのだ……と、思っていたけれど。


「ふむ。なるほどここは、教室棟の隅だからか、穴場らしいな。……む」


「おや、僕らの他に先客が。これはこれは失礼」


 前半分に寄せられた机と椅子を一組、窓際の一番前後ろまで持ってきて、その人はぼんやりと外を見ていた。

 彼女に声をかけた二人に対して、俺は咄嗟に口をぱくぱくさせてしまう。なぜなら、その横顔が、あまりにも美しかったから。


 明るい茶髪が、窓から入る日差しに照らされて、キラキラと光って見える。まだ暑い部屋の空気に当てられて流れた汗が、首筋を伝っている。半袖のワイシャツから伸びる腕と、校則通りの長さのスカートから出た脚が、少女特有の白さの中に、血色の良さを主張している。

 何より、長いまつ毛が、弁当を食べ終えているようなのに、箸を咥えたままの唇が、セミロングの髪のかかった形の良い耳が、その神秘的な表情を形作る全てが。どうしようもなく、俺の視線と心を奪っていた。


「あ!すみません!私としたことが、ぼーっとしてしまって。ええと、先輩?ですよね。お弁当ですか?」


「ああ。そういう貴様は一年か。如何にも、俺たちはここで昼食を摂りにきた」


「お邪魔だったら僕らは撤退するよ。なにぶん男臭くてうるさい面々だからね」


「いえいえ。私こそごはんはもう食べ終わっているので、教室に戻りますね」


「…………天使?」


 思わず口をついて出てしまった第一声に、目の前の女子生徒は固まり、六条とトキは呆気にとられた後、腹を抱えて笑いだした。


「く、く、くはははっ!ははははっ!貴様、武井貴様!俺を笑い殺す気か!?」


「『…………天使?』ふふ、ふ、ふふふ!『…………天使?』ふ、ふふふふ!」


「えっ……と?」


 突然の爆笑と、自分がしてしまった失言から目を逸らし、二人を止めようと俺は口を開く。


「ちょ、お前ら笑うのやめろって。困ってるじゃん、彼女」


「困っているのは貴様の物言いに対してだろうが!確かに彼女は美形だが、俺も何も言わなかったんだぞ。それを、それを……く、くはははっ!」


「『…………天使?』だってね。『…………天使?』面白すぎでしょ。アサト、どうしてそんなに無茶なフリ、初対面の相手にできるんだい?」


「あー、ええと。ごめん、突然。変なこと言った……撤回はしないけどさ」


「えと、その。ありがとう、ございます?」


 少し頬を染める彼女。可愛いな……。

 いやいやいや待て待て。なんで俺は初対面の後輩を口説いてるんだ?というかトキと六条はあとでボコす。


「あー……とにかく、俺たちごはん食べるね。ほんとごめん、信用出来ないと思うけど誰にでもこんなこと言ってる訳じゃ……いや、これも違う。なんだ、俺は何を言えばいいんだ?」


「なんだそのやたらとテンプレートな口説き文句は。いまどき流行らんぞ」


「ふ……くく、そういう問題じゃないでしょ。あ、名前聞いてもいい?こいつは武井阿智、今後ともよろしくね」


「は、はあ……皇 恋夢といいます。あの、武井先輩?とお二人も、よろしくお願いします」


「これが御厨でこっちが六条。まあ二人はどうでもいいんだけど……皇さん、どうかさっきの俺の世迷いごとは忘れてくれるとありがたい」


 ぞんざいな扱いに六条がやかましく騒ぎ立てようとするのを抑えつつ、俺は茶髪の後輩に頭を下げた。

 高校二年の九月ともなれば、俺の風評というものもだいたい固まっているものだが。

 それはそれとして、突然出会った後輩を口説いたなんて、根も葉もありすぎる噂を流されると、教室での居場所がなくなりかねない。


「えと。私、男の人にそんなに大袈裟に褒められたこと無かったので、嬉しかったんですけど……忘れちゃって、いいんですか?」


 こくり、と。目の前の彼女は首を傾げる。可愛いがすぎる。


「是非忘れることをおすすめするぞ。この男が女を褒めるのを見たのは初めてだが、その一言がアレではな」


「いやー、皇さんがいい子でよかったねえ、アサト。まあ、控えめな後輩の代わりにここは、僕が新聞部にネタを提供してあげるべき、かなあ?」


「そろそろグーがでる」


「ははは、冗談冗談」


「とにかく!忘れてください。お願いします、皇さん」


「そこまで仰るなら、はい。でも、ふ、ふふ……先輩がた、仲がいいんですね」


 ようやく笑顔を見せてくれた皇さんに対して、俺たちは三人して顔を顰めた。


「あれ?私、変なこと言っちゃいましたかね……?」


「いや、ううん。仲良いっていうか、腐れ縁だから」


「素敵じゃないですか。私、そういう関係の子っていなくて、憧れます」


「それ程よいものでもないぞ」


「よければアサトあげようか?」


 友達は多そうに見えるが、昼休みに一人でいたということは、そうでもないんだろうか。そろそろ教室に戻るという皇さんに手を振って、俺たちは弁当を開けた。

 その日の昼食の味は、不思議とイマイチ覚えていない。

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