第24話

「クリスタ、愛してる」

 甘い囁きを聞きながら、私はワインに口をつけたのよ。


 私は美しい、そう、私は美しいのよ。

 男だったら誰しも私を求めてやまない、この唇を貪り、この豊満な胸に顔を埋め、欲の限りを吐き出したいと乞い願う。


「私も愛してる・・あなたを愛してる・・・」

 ヨアキムなんていらない。

 格好良いと思ったけど、全然なんだもの。

 あーんな不良品の布切れを輸入して、取り返しのつかない損害を出して、信用を無くして、この王国で二度と商売をやれないほどのダメージを喰らっているんですもの。


 私は運が良い女だから、貴方になんかかまっている暇はないの。

 ほら、今だってこんなに若い男が私に愛を囁いてくるのよ。

 美味しいデザート、美味しいワイン、そして極上とも言える男がいる生活。

 ああ、これこそが私の素晴らしい人生、お姉様たちが破滅した後も、無事で過ごせる自分の強運には惚れ惚れしちゃうわ!



「クリスタ・・クリスタ・・ああ、クリスタ・・お前までこんな場所に運ばれてきてしまうなんて・・」

「ああ、神様、助けてください・・どうか私たちを助けてください・・・」


 何故だろう、お父様とお母様の声が聞こえてくるわ。

 頭が痛い、ワイン飲みすぎた?

 お父様とお兄様は牢屋で、お母様は遠縁の家に身を寄せているはずよね?


「クリスタ・・クリスタ・・・」

「なあに?うるさいなぁ」

「クリスタ!起きなさい!クリスタ!」


 肩を揺さぶられて目を覚ますと、いつの間にかむき出しとなった煉瓦の床の上に自分が寝そべっていた事に気がついた。

 体がギシギシいうし、頭がズキズキと痛い。

 ここは何処?私は一体どこにいるわけ?


「クリスタ!」

 私の肩を揺さぶってくるのは確かにお母様で、天井にも近い場所にある明かり取りの窓から差し込む月の光に浮かび上がるその姿は、まるで別人のようにも見えた。


「お母様?」

「ああ・・クリスタ・・なんて事なの・・・」


 涙をこぼすお母様が私を抱き起すと、お父様がこちらの方へと近づいてきて囁くように言い出した。


「クリスタ、何故ヨアキム君と国外に逃げ出さなかったんだ?殿下は確かに、お前だけは国外に出しても良いと言っていたのだが」 


「ヨアキムなんか知らないわよ!あんな使えない男、こっちから捨ててやったんだから!」

「ああ・・なんてことだ・・・」

 父は絶望しきった様子で自分の顔を覆う。

「全てはお前がきっかけだったんだ、お前とヨアキム君がきっかけだったからこそ、殿下は慈悲をかけてくれたというのに、お前は唯一の救いを投げ捨ててここまで来てしまったんだね」

「はあ?どういう事?」


 床も壁も天井も、煉瓦がむき出しとなった何もない部屋には、排泄用と思われる甕が置いてあるだけで、壁の隅に蹲るようにして動かない人の影が、真っ黒な塊のように見えるだけ。


 両親の他にも6人ほどこの部屋には押し込められているようだけれど、言葉を発するのは父と母だけだった。


「何処の国なのかは分からないが、我々は地下の闘技場のような場所に連れてこられたようなんだ」

「前座に駆り出されて次々と死んでいる、死ななかったとしても頭がおかしくなって帰ってくるんだ」

「はあ?全く意味がわからないんだけど?どういうこと?死ぬってなんなの?」

「ああ・・なんて事かしら、貴女だけは無事でいてくれると思ったのに」

「もうだめだ、私たちには破滅しかないんだ」


 嘆く両親を見ていると、何だか悪い夢でも見ているみたい。

 確かに私は愛を囁かれて、極上の男にこれからも愛され続けるはずだったのよ。

 なのに、なんで?ワインを飲んで、美味しいデザートを食べて、それで、何でこんな場所にいるわけ?


 締め切られた扉が音を立てながら開くと、今まで黙り込んで座り込んでいた連中が悲鳴を上げながら部屋の隅の方へと逃げ出していく。

 扉の向こう側は明るいみたいで、人工的な光がこちらの方まで差し込んでくる。


 扉の向こうから真四角の箱を頭からかぶった大男が入ってくると、周りの人間がパニック状態に陥ってしまう。


 そんな中、お母様が私を庇うようにして前へ出て、

「やめてください、連れて行くなら私にしてください!お願いします!お願いします!」

と、箱男に懇願しはじめた。

 男は無言で母を押しのけると、私の腕をつかんで引きずるようにして外へと連れ出したのだった。


 何処かの地下なのか、薄暗い通路を松明の光が明るく照らす。

 通路の先は開けた場所のようで、大勢の人間が何かを叫んでいるような声が聞こえてくる。さっき、地下闘技場とか何とか言っていたけれど、そんなものが何処かの国の地下にあるって事?


 引きずられるようにして歩いていくと、ちょうど通路が途切れるその先に、我が国の王太子殿下が護衛の者を引き連れた状態で待ち構えていた。


「お・・お・・王子様!助けて!助けてください!私、何も悪いことなんてしていません!」

「大丈夫、大丈夫だから」

 殿下は瓶の蓋を取って、その中の匂いを私にひたすら嗅がせながら言い出した。


「全ては君が出発点だった。私は君にはそれなりに感謝をしているのだが、最後の最後に君は選択を間違えた。他人から奪い取った男をあっさりと捨てて、見目麗しい男に走った時点で賭けは私の妃の勝ちとなる。王国の薔薇の子飼いであったお前も、妃の侍女を破滅に追い込むのに関わった一人ではあるのでな、最後の慈悲として苦痛だけは軽減するように計らってやろう」


 匂いを嗅いでいくうちに、頭がぼっとして体の芯がむず痒いような熱さが湧いてくる。


「お前が他人にやったことは、こうやって返ってくるのだと実感し、腹の奥底から詫びの言葉を吐き出しながら逝け」


 背中を押されて進み出た場所は、階段上の観客席にぐるりと囲まれた舞台みたいな場所であり、床に血が広がり、何かのかけらが転がる姿が視界の端に映った。


 屈強の男たち5人が私を取り囲み、道化の衣装を着た男がはしゃいだ声で何かを言っているけど、外国語なのでよく分からない。

 私、これからどうなっちゃうんだろう。

 頭がぼうっとしてはっきりしないまま、闇の中へと沈み込んでいく。

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