第22話
「嘘でしょ!嘘でしょ!嘘でしょ!なんでこんな事になっちゃうのよ!」
ホテルの一室で塞ぎ込んでいたクリスタが、何度も何度も、枕をベッドに叩きつける。
七色に輝く『黄金(ドウラード)』が不良品であった事が明るみになり、ドレスの返品が相次ぐ事になったのだ。朝から晩まで抗議に来る人々が詰めかけてくるため、事務所も家も全てを閉めて、今はホテルの一室へ逃げ出しているような状態だった。
加工前の不良品を売りつけてきた業者とは連絡がつかず、ベックマン商会が全ての責任を負う事となったのだが、こうなってしまっては、うちの商会に対して誰も見向きもしないだろう。
『黄金』が飛ぶように売れたお陰で持ち直した経営状況も、あっという間に破綻して、オッソン・イェルムの商会を追い抜くほどの成功を収めて見せると夢を描いていたあの頃が幻だったような落ちぶれ具合となってしまった。
どこで間違えたのか・・・
何を間違えたのか・・・
茫然自失となっている僕のところへ、懐かしい文字が記された封書が届けられたのは、僕が何もかもを失った後のことで、呼び出されるまま指定された場所へ行けば、奥のテーブル席にラーシュを抱っこして座っていたアウロラが笑みを浮かべた。
最高級の外出着に身を包んだ子爵夫人には似合わないような大衆食堂の奥の席、ベックマン商会の事務所からもほど近い場所にあるため、仕事が遅くなった時には、よくこの店に二人で食べにきていたものだった。
「アウロラ・・・ごめん・・・」
向かい側の席に僕が座ると、アウロラがハンカチを僕に差し出してきた。
どうやら僕は泣いていたらしい。
泣いている僕など気にもしない様子で、この店の亭主はいつもの煮込み料理とパンをテーブルに二人分置いていく。
僕らが好んでいつも食べていたメニューだ。
「ごめん・・本当にごめん・・僕は君に会いにいくようなことを一切しなかった」
クリスタを夫婦の寝室に連れ込んだ日、それを目撃したアウロラは出て行ってしまった。彼女がラーシュと一緒に移動したホテルの場所を執事のベントンに教えられていながら、僕は向かいもしなかった。
そうする間に、クリスタが離婚誓約書にサインをしてくれと言って持ってきた。僕がサインをしても、アウロラはごねるだろう。別れたくないと言ってきたら、その時にアウロラとは話せばいい。
あくまで上から目線だった僕は、いつも眩しい存在だった彼女を自分よりも遥かに下の人間だと思い込もうとしたわけだ。
「いいのよ、貴方が会いに来なかったおかげで踏ん切りも付けやすかったのだし、新しい夫との生活を掴むことが出来たのだから」
大きくなったお腹を撫でながら慈愛の笑みを浮かべるアウロラは、完全に僕とは他人となってしまったようだ。
「君の夫はあのイデオンだろう?」
僕がアウロラと出会った時に、彼女の隣にいつもへばりつくようにしていたあの小僧は、確か十二歳だったんじゃないだろうか。
アウロラと僕が結婚する時には十四歳で、アウロラの父のところへ挨拶をしに行った時には目を血走らせて僕を睨んでいたものだった。
ガキが生意気に、アウロラに恋慕を抱いているんじゃねえよと、あの時は思っていたのだが、あのガキに僕は最愛を取られたわけだ。
「クリスタが持ってきた調査書には、ラーシュはダニエル・ホーキンス男爵の子供だと書いてあったんだけど、本当は僕の子供だろ?」
「ホーキンス男爵にその話をしたら笑っていたわよ」
アウロラはクスクスと可笑しそうに笑い出す。
「調査書通り、ラーシュを自分の子供にしても良いと男爵が言い出して、イデオンが怒り出してして大変だったのよ」
「でも、僕の子供だろ?」
「ええ、もちろんよ」
琥珀色の瞳を僕に向けながら、アウロラは寂しそうな笑みを浮かべた。
「私には、貴方しかいなかったの。父と母は馬車の事故で亡くなり、叔父は奪い取るようにして父の商会を自分のものにした。貴方はベックマン商会を王都で一番の大商会にするって頑張っていて、私もそんな貴方を応援したけれど、商会が大きくなればなるほど、貴方の瞳はどんどんと私を忌避するものへと変化した。そうして、貴方の浮気現場を見た時に、ああ、そうかと思ったの」
彼女の瞳にうっすらと浮かぶ涙を見て、胸が張り裂けそうになってしまう。
「貴方に私は必要ない、だったら私も貴方を必要としない。あの時、貴方は私の人生の中で必要のないものへと格下げされる事になったの。だけど、見せ物みたいな状態で離婚誓約書にサインをさせられて、息子のラーシュを取り上げられて、わざわざ私のラーシュを取り上げているというのに、不貞をでっち上げられて、息子は孤児院送りとなった私の気持ちが貴方にわかる?」
アウロラの頬を涙が転がり落ちる。
「宿泊していたホテルから無理やり追い出された上に、危うく人身売買組織に攫われるところだったのよ?貴方にとっては、元妻が誘拐されて、多くの男に凌辱されるような事になったとしても何の問題もないのでしょうけれど、女の私の身からいえばとんでもない話だわ!」
「それは、クリスタが勝手にしたことで・・・」
「全てがクリスタさんの所為なの?貴方は何も悪くないと言えるわけ?」
アウロラを見上げてラーシュが不安な表情を浮かべて彼女に取り縋る。
そのラーシュを抱きしめたアウロラは僕を睨みつけながら言いだした。
「だから貴方に直接言いたかったのよ、ざまあみやがれ、ざまあみやがれって!」
二つ隣のテーブルの席に座っていた男は、あっという間に僕らのテーブルへとやってくると、アウロラの隣に座り、抱きしめながら、褐色の髪に頬を埋める。
「すっきりした?」
「うん、すっきりした」
「ベントン、ラーシュとアウロラを連れて行ってくれ」
後に控えていたらしい執事のベントンがラーシュを受け取り、アウロラを抱えるようにして店の外へと向かう。
そうして一人だけ残ったイデオン・グランバリ子爵は、テーブルの上に両手を組んで、僕の顔を見つめながら氷のような微笑を浮かべる。
「息子のラーシュは、貴族との間に出来た不貞の子供と言われているようなのでね、俺の子供ってことで手続きは済ませています。将来的に本当の父親の事については告げることもあるかもしれませんが、そこのところはアウロラの判断に従うつもりです」
「その・・ラーシュの本当の父親に君がなるというのは無理があるんじゃないのか?」
「ああ、この髪色ですか?」
アウロラは褐色の髪で、イデオンの髪色は漆黒。顔はアウロラ似といっても二人の子供にするのは無理があるように見えるのだが。
イデオンは自分の前髪を指先でいじりながら言い出した。
「俺の父と母、兄も揃ってラーシュ並の金髪なんで、全く問題ないですよ。俺も曽祖母の遺伝で漆黒の髪ってだけなんで、どうとでも言えるっちゃあ言えるんで」
「お前がアウロラとラーシュを幸せに出来るのか?」お
まだ十八歳か、若すぎるだろ?
「アウロラの才能はお前も十分に知っているだろ?いずれ疎ましく思い、飽きて捨てることになるんじゃないのか?その美しい顔だったら、女なんてよりどりみどりだろ?アウロラなんて年増を邪魔に思う事になる未来しか見えないんだが」
実際、僕でさえ、あれほど愛していたアウロラを疎ましく思うようになったんだ。
年下の彼では、いずれ彼女を持て余し、捨てることになるだろう。
「ハハハハハッ、自分の器が小さいからって、俺の器まで小さく見積もるのはやめてくれよ」
長い足を組み、胸の前で腕を組んだイデオンは、涼しげな瞳で僕を見つめる。
「オッソンはアウロラの才能を危惧していたんだよな、お前もそれなりに見込みはあるが、いずれアウロラの才能に嫉妬をするかもしれない。アウロラが邪険にされるようだったら新たな庇護者が必要になるってんで、俺を一人前に育て上げてくれた。俺はアウロラの庇護者となるために順番待ちをしていたわけだが、万が一にも俺がいなくなった場合には、第三、第四の庇護者が用意されている」
形の良い口元に不屈の笑みを浮かべながら彼は言う。
「第三とか第四とか知らねえ、俺は絶対にアウロラを離さねえ。アドルフ王子とかもうるさいけど、どんな奴らが牙をむいたとしても、最大限の抵抗を見せてやる」
自ら牙を剥くように口を僅かに開きながら、イデオンは威嚇するように言い出した。
「俺とてめえは違うんだよ。俺がどれだけアウロラを待っていたと思う?俺がどれだけの時間、アウロラだけを思っていたと思う?」
ハンッと鼻で笑うと、イデオンはしかめ面をしながら言い出した。
「お前とアウロラが結婚なんて時には血反吐を吐くかと思うほど苦しかったが、まあ、いいや。そもそも、お前の破滅のきっかけは俺だったって事になるから全てを帳消しにして許してやる。てめえの商会やらクチュールの始末は俺がつけてやるから、今日の船でてめえは国外に出ろ。とりあえずはハッランド王国に居るトーマス・カラムっていう男のところへ行け。そこから後は、てめえの自由だ」
金貨が入った革袋をテーブルの上へ投げると、さっさとイデオンは店の外へと出て行ってしまったのだった。
富豪と言われる彼が始末をつけると言うのなら、きちんと始末をつけてくれるのだろう。
きっとそれは、今まで僕の商会に関わってきたアウロラの希望でもあるのだろう。
僕の目の前に残されたのは、いつもアウローラと食べていた思い出の食事。
後悔に苛まれ、泣きながら全てをたいらげた僕は、金貨が入った革袋をポケットに突っ込み、金はいらないと言われ、食堂の主人に追い払うように店の外へと追い出された。
ホテルに戻ると、癇癪を起こしていたクリスタは何処にもいない。フロントで尋ねてみれば、若い男と一緒にはしゃぎながら外へと出て行ってしまったらしい。
籍を入れているわけでもなく、情みたいなもので共に過ごしていただけの女だった。
彼女が新しい男を見つけたというのなら、僕はもう不要という事になるだろう。
ホテルでチェックアウトをすると、ハッランド王国へ向かう船に乗るために僕は港へと向かったのだった。
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