第18話
私はアドルフ・エリク・マレーグ、マレーグ王国の王太子だ。
今の時代、どこの国でも、国庫の目減り具合に頭を悩まし、財政立て直しに四苦八苦し、貴族たちの横暴とも言える我が儘な主張に憤りを感じ、我が世の治世に不安を感じている事だろう。
領地で働く民から貴族は税を徴収し、その一部を王家へ納めるというのは何処の国でもやっている事だけれど、隣国との道路は整備され、貿易のために船が海上を行き交い、国内の物が出ていく以上に、国外の物が次々と輸入されて消費されていく今の世の中で、旧態依然とした方法に固執してしまえば、国は呆気なく滅びてしまうだろう。
異国との貿易に成功した商人が力をつけていく今の世の中で、収穫頼みの領地経営では、すぐさまジリ貧となるだろう。
しかし、働く事が恥だという概念を持つ親に育てられた世代は、領民から搾り取るだけ搾り取るのが正義であり、自分たちはふんぞりかえっていれば美味いものも目の前に運ばれてくるし、美しいドレスや宝石は選び放題とでも考えている貴族の数は、驚くほど多い。
このままでは駄目だという事は分かっていながら、今までの『伝統』という名の悪習に重きを置いて、親と同等の生活を何もせぬまま維持しようと試みる。
大型船が大陸間を移動するようになった今、何もせぬままでいれば時代の波に飲み込まれ、気がついた時には泥船は沈み込んだまま、助かりようのない状態に陥ってしまう。
そこで昔ながらの貴族たちに助けの手を伸ばすのがハンス・ダデルスワル公爵。隣国ハッランド経由で麻薬を密輸し、歴史ある貴族を自分の子飼いとして、マレーグ王国内で大派閥を築いた男。
王家もなかなか手出しが出来ない大物を捕らえるきっかけとなったのは、アウロラ・グランバリ子爵夫人、目の前の女性である事は間違いようのない事実なのだ。
褐色の髪を結い上げた琥珀色の瞳の小柄な女性は、一見すると、美丈夫として令嬢たちに絶大の人気を誇るイデオンにはそぐわないように見えるだろう。だがしかし、その瞳の奥に瞬く知性の光と、芯の強さ、聡明さを漂わせる佇まいを見ると、
「ああ、イデオンにはぴったりの伴侶であるな」
という私の感想を聞いて、イデオンがあからさまに上機嫌となった事に気がついた。
「先触れもなく訪問したことをとりあえずは詫びたい」
このタウンハウスは王宮からもさほど離れていない場所にある為、気軽に訪ねる事が多かったのだが、結婚して妻がいるのだからそれなりの配慮が必要であったか。
「我が妃が気に入りの菓子を手土産に用意した、夫人の好みに合うと良いのだがな」
そう話している間に、私が持ってきた菓子と、こちらの屋敷のパティシエが用意した菓子がテーブルの上に運ばれてくる。
趣味の良い家具に囲まれた応接室は、新緑を基調としたセンスの良いもので、壁にかけられている絵画も風景画がやたらと多い。
イデオンは絵画に頓着もしないのだが、最近飾られるようになったこれらは夫人の趣味という事になるのだろう。
私の向かい側のふたりがけのソファにはイデオンとその妻のアウロラが並んで座っているのだが、アウロラの方は困り果てた様子でしばらくの間、顔立ちが整いすぎた夫の顔を見上げていたようだが、ようやく何かを飲み込んだような様子で私の方へ顔を向けると、
「美味しそうなお菓子をお土産にいただき有難うございます。私は夫と違って、平民出身のため、殿下に対して何か粗相をすることもあるかと思いますが、広いお心でお許し頂ければ幸いですわ」
と言って爽やかな笑みを浮かべた。
隣に座るイデオンは妻の手を握ると、自分の唇にあてて蕩けるような笑みを浮かべる。
甘い雰囲気が溢れ出る二人を前にして咳払いを一つすると、早速、本題に入る事にした。
「今日、ここを訪れたのは、私自身が直接、夫人に対して礼を述べたかったからだ。あなたのお陰で我々はダデルスワル公爵という害虫を駆除し、妃は王国の薔薇を切り落とすことが出来て、大変満足をしている」
意味がわからないといった様子のアウロラの顔は、幼いように見えて可愛らしい。
この夫人は背も低く童顔だから、年下のイデオンといても違和感というものが生まれないのだな。
「フリクセル伯爵夫人という、王国の薔薇とも言われた貴族がいたのだ。確か、あなたが我が王家が所有する離宮のカフェで、離婚誓約書にサインをさせられている姿を楽しそうに眺めていた貴夫人の中の一人だったのだが」
嫌そうに眉を顰めるアウロラの顔はやはり可愛らしい。
イデオンが睨みつけてきたので、思わず苦笑してしまう。
「王国の薔薇と言われるだけあって鋭い棘を無数に持った女であった。我が妃はシェーレ聖国から嫁いで来たのだが、王太子妃である我が妻を、社交界から爪弾きにしようと暗躍し続けた女なのだよ」
人の不幸が大好きで、自分より上の立場の女は、十歳以上も年上の貴婦人しか認めない。
「自分に楯突く女は破滅に導くのが信条の女でな、国から連れてきた妃付きの侍女は、フリクセル伯爵夫人の策略に嵌まり込んで自死を選んだ。他にも不幸になった女性は多く存在するが、今回、貴女に手を出したのがきっかけとなり、ようやっと破滅する事となったわけだ」
「確かに、美しいご婦人たちが、私がクリスタ様にやり込められる姿を、楽しそうに見学していらっしゃいましたが、それが、何かのきっかけになったという事でしょうか?」
私は大きく頷いた。
今まで私の要求をのらりくらりとかわしていたイデオンが本気で動くきっかけとなったからだ。
「そのお陰で私も妃も満足する結果が得られたというわけだ。そのお礼もかねて、あなた達の披露目のパーティーには、私も参加したいと思っている」
アウロラは、御礼がパーティーの参加って何故?という顔をしているが、驚きを隠せないその顔にイデオンが口付けを落としながら、
「アウロラはヨアキムとクリスタに対して、ざまあをするつもりなんだろ?だったら、殿下がいた方がめちゃくちゃギャフンもできると思うんだよね?」
と、言っているが、ざまあ?ギャフン?よくわからないんだがな。
「殿下がいると、あの人たちに特大のざまあが出来るの?」
「最大の国家権力を持ってくるんだよ?特大のざまあもギャフンも出来るよ!」
「本当に?」
「本当だよ!」
手をつなぎ合って盛り上がる二人を眺めながら紅茶を飲んで、
「ざまあとギャフンとは一体なんなんだ?」
と、尋ねると、
「当日に分かると思います!」
こちらに揃って顔を向けた二人が、声を揃えて言い出した。
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