第12話

 父であるオッソン・イェルムは天才といえば聞こえは良いけれど、相当の変わり者だったのは間違いのない事実です。私が三歳の時から文字と計算の教育を始めて、六歳になると簡単な帳簿付けをするように指導し、八歳になると経営が悪化した商会を一つ任されて、自分なりにメスを入れて経営状況を改善しろと言い出したのよ。バカじゃないのかなって、本当に今だったら思うわけです。


 周りには同じ歳の友達なんていなくて、いつだって大人に囲まれて商売を広げるアイデアを拾って歩く毎日でした。

 拾って育てた弟みたいなイデオンが常に隣に居たけれど、同じ歳で、しかも歳が近い子供も居て、楽しく話せる同性の友達はエディットがはじめてだったのよ。


 そもそもエディットと知り合ったのは、グリンデン商会の夫人が開催したお茶会で、グリンデン商会といえばホルンルンド商会の傘下にあるのは有名な話。

 商会同士で深い繋がりがあるエディットが夫の浮気相手であるクリスタと仲が良いなんて簡単に想像できたのに、同性の友人に浮かれていた私は気が付きもしなかったの。


 ママ友エディットが破滅の道へと進み出そうとしている頃、私は息子のラーシュを取り戻すために四苦八苦していたのだ。

 

 我が王国には女性の権利なんてものはほとんどないので、結婚前にはアウロラという私の後には父が庇護者となって立っていたし、結婚後は夫のヨアキムが庇護者となって、私の背後を支えてくれた。


 子供も産まれて、息子のラーシュを抱っこする私を支えてくれるのは夫だと思っていたのに、夫はある日、私の後から離れて別の女の人の元へと移動してしまったのだ。


 背後には誰もいなくなった私の腕の中からいつの間にかラーシュまでいなくなり、呆然とした私は、ああ、私一人だけでこの世の中に立つというのが、どれほど大変な事なのかと実感する事になったのだった。


 男社会の世の中はどこまで行っても男性優位の世界だったし、その中にたった一人で立ち上がる女性のなんと大変な事なのか。女一人となると、我が子ですら手にする事が出来なくなるなんて。


 クリスタの策略により、息子のラーシュは私とホーキンス男爵との間に出来た子供だと夫に告げられたようで、私からラーシュを拉致するように取り上げてから十日後には、ベックマン家から孤児院へと追放処分となってしまったの。


 追放にするくらいだったら、何で取り上げるような真似をしたんだろうと思ったのだけど、私をそれだけクリスタは苦しませたかったんだろう。


 ラーシュが孤児院へと追放されるのと同時に執事のベントンはベックマン家を辞して、私の元へと戻ってきた。

 ベントンと一緒に孤児院までラーシュを迎えに行ったんだけど、門前払い、例え父親が追放したとしても、母一人では渡してくれない世知辛さよ。


「だから!俺と結婚しようって言ってるじゃないか!」


 耳にたこが出来るくらい求婚してくるイデオンに対して半ば同意をしておきながら、最後の最後で結婚誓約書にサインをする事を渋っていた私も、遂に、サインをしてしまったのよ。


 だって、ベントンもケントも私と結婚してくれないって言うんだもの。それに、誰か他に結婚してくれそうな人を探そうとすると、イデオンがとんでもない精神状態に陥ってしまうのよ。


「若者の前途を潰すような行為でゴメンなさい・・・」

 涙を流しながら遂に、結婚誓約書にサインをしたわ。


ケントは喜び勇んで部屋を飛び出していき、イデオンは私を抱きしめて離さないし、夫婦としての証明書を持参してケントが戻ってくると、急いで孤児院までラーシュを迎えに行く事になったのよ。


「まあ!そうですか!結婚されて、ご夫婦でラーシュちゃんの面倒をみると!なるほど!ラーシュちゃんは預けられたままで、誰も面会にも来ないような状況でしたので!お母様と新しいお父様が迎えに来られて本当に良かったですわ〜」


 私を門前払いした修道院の方々の態度が全然違う。

 何せ富豪として有名なイデオン付きでやってきたからね、無意識に修道女長なんて胸の前で揉み手をしているもの。


 ラーシュが預けられたのは貴族も問題がある子供を預けるような孤児院だった。修道院に併設している形となっているためか、子供を迎えに来た両親を対応するのは修道女長の仕事となるらしい。


「彼女が離婚をして子供を取り上げられたと聞いて、急いで調べてみれば、こちらに預けられている事がすぐに分かって本当に良かったです。彼女の元夫はただただ体裁のために子供を引き取ったのは明確な事実ですし、子供には母親が必要だという事が理解できない部類の人間のようでして」


 イデオンはニコニコ顔で私の手を握りながらそう言うと、修道女長の目の前に金貨を積み上げながらにこりと笑う。


「彼女のように夫の不貞が理由で離婚したのにも関わらず、彼女に有責があるようにでっち上げ、挙げ句の果てには子供を取り上げるというような所業をする男性は世に沢山いるものと思います。どうかそのような被害を受け、心を傷つけた子供と母親の救済に使っていただければ」


「全ては神の思し召のままに」

と答えて、金貨を手でかき集めながら、修道女長は神に祈りを捧げた。


 完全なる弟分だったイデオンは、まだ十七歳だというのに、胸板は厚く、筋肉質な体つきをしている。金鉱山の採掘をしているときにはイデオン自身も携わっていた為、そのときに相当鍛えられたらしい。


イデオンは、修道女に連れられてきたラーシュを軽々と抱き上げると、

「ラーシュ!君のパパだよー〜!」

喜びの声をあげる。


 ママである私に注目していたラーシュは、突然現れた黒髪の美丈夫に驚いて可愛らしい瞳をまんまるに見開いたけれど、不思議そうな顔でイデオンの顔をピタピタ叩いている。

 ラーシュは完全に私似で、髪の毛だけが夫に似て金色なのよね。

 イデオンは喜んで父親宣言しているけれど、十七歳のパパってどうなんだろう。


「あたらしいぱぱ?」

驚くべきことに、ラーシュはイデオンがあたらしいパパかどうか尋ねている。

「そうだよ!新しいパパだよ!昔のパパはあたらしいママが出来たでしょ?だから、アウロラママには俺というあたらしいパパが出来たんだよ〜」


 元夫ヨアキムは昔のパパ扱い、まあ、別に昔のパパ扱いでいいんだけど。

 すると、ラーシュの目に涙がぶあっと溢れ出す。


「あたらしいままきらい」

「アウロラママは?好きでしょ?」

「だいしゅき」

「それじゃあ、あたらしいイデオンパパも好きになって欲しいなぁー〜」


 イデオンはあっという間にラーシュを肩車すると、部屋を飛び出し、馬車に向かって走り出してしまったのだった。

 ラーシュはキャアキャア言って喜んでいるから良いんだけど、十七歳で一児の父になって良いのだろうか?

 というか、はしゃぎすぎじゃない?

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