第11話

 噂っていうのは本当に厄介よね。

「私、もう仕事を続ける自信がありません・・・」

 アウロラ様の息子であるラーシュをクリスタ様に渡す事に協力した子守のカリナが焦燥しきった様子で私を見上げる。


 子供を愛人に易々と渡してしまう子守ってどうなんだろうって言われているカリナは、使用人仲間の間で総スカンを食らっているらしい。

 女主人である私が良いって言うんだから良いじゃないって思うんだけど、カリナが辞めたいと言うのなら仕方がないわ。


 一応、夫にも報告したのだけど、すぐに代わりの子守を用意してくれた。


 新しい子守は私より少し年上の冴えない女だったんだけど、真面目な態度で子供の世話に取り組んでいるから、息子のロルフもよく懐いているのよね。


 お茶会に行く事がなくなった私だけど、空いた時間で貴族もよく利用する美容サロンに通う事にしたの。


 時々、クリスタ様ともそこで顔を合わせるのだけれど、

「ねえ、貴女の所の商会、うちの商会の方にも挨拶に来たのだけど、業務を縮小するみたいよね?何かあったわけ?」

クリスタ様って本当に性格が悪いのよ。

 心配しているようで口元がニヤニヤしているのはどうかと思うのよね。


 私は仕事の事についてはノータッチで、会頭の妻としてどうなんだ?みたいな事を夫にも言われた事があるんだけれど、私の両親が今まで通りで良いと言うのだから、良いっていう事にしているから、業務がどうのって言われても良くわからない。


 夫は本当に忙しいみたいで、王都から離れた近郊の都市を回ってあるいているような状態なので、お父様にとりあえず、うちの商会に何かあったのかどうかを尋ねてみたのだけれど、

「お前は何も気にしなくて良い!」

の一点張りなのよね。


 これじゃあ、夫が帰ってきた時にでも聞くしかないじゃない。


 髪の毛も艶々、肌もプルプルつるつるになって、どんどん美しく変身していっても、見てくれる人がいないと本当に寂しいわ。


 一日千秋の思いで待っていた夫がようやっと地方から帰ってきたと言うので、急いで屋敷の小さなエントランスホールへと向かうと、息子と子守に出迎えられた夫が蕩けるような笑みを浮かべて子守と息子を抱きしめているところに直面してしまったのよ。


「なに・・なに・・なんなの・・一体なんだって言うのよ!」


 走り出した私が拳を振り上げて、

「子守の癖に何をしているのよ!私の夫に手を出さないで頂戴!」

子守女に掴みかかろうとすると、間に入った夫が私の体を突き飛ばしてきたので、床に尻餅をついてしまったのよ。


「トーマス!何をするのよ!」


 私の怒りの声が屋敷中に轟いたので、慌てた様子のお父様がこちらの方へと駆け寄ってくる。

 トーマスが私を突き飛ばしたのは明白で、お父様は真っ青な顔で夫を見上げると、

「金は?金はどうなった?」

私の意に反して弱々しい声で問いかけている。


「全ての業態を売却する事が出来たので、罰金の支払いは無事に済ませる事が出来そうです」

「ダンブル男爵の方はどうだった?」

「ええ、経産婦でも問題ないと言ってくださいましたよ。あの方は今流行りのスレンダーな女性よりもふくよかな女性の方が好みなので、エディットでも大丈夫だと言ってくださいました」

「これで法曹の方も少しは甘く見てくれるか・・」

「わかりませんが、最大限やるべき事はやったかと思います」


 男同士でこそこそ話しているけれど、何を言っているのかが良く分からないのよ!

「ねえ!何を言っているの!訳が分からないんだけど!」

 尻餅をついたまま苛立ちの声をあげると、ようやく私に気が付いた様子のお父様が私を助け起こすと、

「うちの爺様の代からの悪行がついに明るみになってね」

私の手を優しく撫でながら父は言い出した。


「お前たちを死刑から免れさせる為には、お前を別の所へ嫁がせるしか方法がないんだよ」

「死刑!」

 死刑って何?一体どんな悪行が明るみになったと言うのよ?


「エディット、毎日サロンに通っている甲斐あって美しくなったね」

 お父様はそう言って瞳をウルウルさせると、

「これならダンブル男爵もお喜びになるよね?」

と、夫の方を振り返って問いかけている。


 未だに子守とロルフをまとめて抱きしめて頬ずりをしている夫の行動が理解できない。

「どういう事なの!一体どういう事なのか説明しなさいよ!」

 私が握られた手を振り払おうとすると、お父様は信じられないような力で私の手を握りしめた。


「トーマス君は、お前と離婚が成立してリナさんと結婚した。ロルフの親権はトーマス君に移譲されて、三人は今日から隣国ハッランドに旅立つことになっている」

 私の横を、次々と荷物が運び出されていくのは何故かしら?

「お前も今日の夜には男爵の元へ移動する事になる」

「ちょっと待って!そもそも離婚とかした覚えがないんだけど!」

「いいや、サインはしていたよ」


 屋敷の前に停まった馬車へと移動する子守と息子のロルフを見送ると、夫は大股で私の方へと近づきながら言い出した。


「俺の机の上に、君のサインが入った離婚誓約書が置いてあったのでね。今回、君のお爺さんの代からやっている違法薬物の取引が明るみになって、俺のために置いていってくれたのかと思っていたんだが・・・」

「違法薬物ってなんなのよ!」

「お爺さんの代からうちはそれで儲けていたのよ」


 やつれきった母がやってくると、私を抱きしめながら言い出した。


「我が家の犯罪が明るみとなったから、私たちはこれから警吏の人間に捕縛される事になると思う。それでエディットはどうするの?私たちと一緒に刑務所に入るか、法曹界に大きな力があるダンブル男爵の後添いとなってなんとか貴女だけでも免れるか、二つに一つしかないのよ?」


「ダンブル男爵は62歳と高齢だから、少し我慢すれば自由になれる!」

 父の言葉に続いて、

「愛人が八人いるけど性格が悪い君なら大丈夫だろ?」

夫のトーマスはそう言ってニヤリと笑う。


 待って!待って!待って!ダンブル男爵って妻が全員早死にしているあのダンブル男爵よね?


「エディットが嫁げば死刑だけは免れるように手配すると男爵は言っていましたよ?とにかくやれる事は全てやっておきましたので、後はよろしくお願いします!それでは失礼します!」

夫はくるりと背を向けると、さっさと家から出て行ってしまう。


「トーマス!トーマス!」

 私が必死の声を上げても、

「彼はもう離縁も済んで赤の他人なんだからやめなさい!」

「赤の他人になっているのに、ここまでやってくれたのよ?感謝こそすれ、何でそんな顔をするの!男爵のところに辿り着くまでには機嫌を直しておかないと、外に放り出されることだってあるのよ!」


 父と母は必死になって言い出した。


「離婚して、生家も潰れていて、子供も奪われた母親が行先なんて破滅しかないのよ!」


「男爵の後添いなんて高待遇の環境を用意したトーマス君の気持ちがわからんのか!」


「それに、男爵の機嫌を取らなければ、私たちは死刑になってしまうのよ!ねえエディット!分かっているわよね!」


「うるさい!うるさい!うるさい!」


 私が叫び声をあげると、父が私を殴りつけた。

 頬じゃなくて頭を、頭を何度も殴りつける。


「わがままはもうお終いだ!お前はこれから一人で生きなくちゃならないんだ!今まで育てた両親のために!お前が頑張るのは当たり前のことじゃないのか!なあ!」


「何のために毎日お金がかかるサロンにやっていたと思うの?ねえ、理解しているわよね?ねえ?ねえ?」


「う・・う・・うわーーーー〜ん!」


 泣いたって誰も慰めてなんかくれない。

 どうして私、こんな事になっちゃったんだろう。

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