第10話

 王都と地方都市や隣国を繋ぐ物流を任されているロンダ商会は窮地に陥っていた。

 隣国ハッランドとの物流拠点となる西の大都市ウプサラの支店に王都からの監査が入ったところ、我が国では許されていない違法薬物が大量に見つかったというのだ。


 どうやら、妻であるエディットの祖父の代から違法薬物の輸入に関わっていたようで、多額の罰金を王家に支払うのはもちろんの事、首謀者である義理父や現在の会頭である自分の命すらどうなるか分からない状態に陥っている。


「さ・・さすがグランバル商会、さすがの情報網としか思えません」

 支店に監査が入ったという話までは聞いていたが、まさか、そんな事になっていようとは思いもしない。

 富豪としても有名な若きグランバル商会の会頭であるイデオン氏を前にして、手の震えが止まらない。あっと言う間に喉がカラカラとなって張り付くようだ。


「トーマス・ロンダ、いや、結婚前はトーマス・カラムさんでしたよね。すでに結婚が決まっていたお相手がいたというのに、ロンダ家のお嬢さんの我儘に従う形で結婚をする事になったトーマスさん」


 イデオン氏は長い足を組んで、翡翠色の瞳を細めると、蛇に睨まれた蛙のように冷や汗が背中を流れていく事に気がついた。

 商会の危機だという事でわざわざ注進に来てくれたのは理解したが、何故そこで、結婚する前の話が出てくるんだ?


「愛する女性と無理やり別れて結婚し、商会の会頭として頭角をあらわしてきている貴方が、義理の親の犯罪を被って死罪などと、そんな哀れな話もないなあと思いましてね」


 膝の上で握った自分の拳がブルブルと小刻みに震え出している事には気が付いていた。

 本当に、哀れな話だよ。

 俺はただの一度として大きな商会の会頭になりたい等と思った事はなかった。

 リナと結婚出来ればそれで良かったのに、気がつけば良くわからない女と結婚させられて、馬車馬のように働かされる日々。

 それで、妻の親が代々続けた犯罪で死罪だなんて・・・


「それでですね、我が商会から貴方あてにプレゼントを用意したのですよ」


 整いすぎるほど顔立ちが整った目の前の男が悪魔だというのなら、俺はかけらも疑いはしない。

「これこそ、今の貴方には必要なものだと思うのです」

 狐のような顔をした侍従がテーブルの上に置いたのは間違いなく離婚誓約書であり、そこには妻のサインがしっかりと記されていた。


「うちが経営する会員制のサロンに奥様がいらっしゃいましてね、ついでにこちらの方にもサインをしてもらったんですよ。離婚誓約書とは分からない形でお出ししたんですけど、あまり中身も確認せずにサインをするような方なようで良かったです」


 にっこりと笑うイデオン氏は更に追い討ちをかけるようにして言い出した。


「貴方の婚約者さんだったリナさんは、貴方と別れた後は生家を出て、隣町の縫製工場で働いていたようです。今もお一人だったようなので、うちの商会で働いてもらう事にしたんですがね?」


 狐顔の侍従が扉を開けると、黒のスカートに白のブラウスを着たリナが、懐かしそうに俺を見ながら笑みを浮かべる。

 そうしてイデオン氏の後に立って辞儀をする姿を見上げた俺の頬に、涙が一粒こぼれ落ちた。

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