第9話
王都で仕事をする人間であれば、誰しも一度は『オッソン・イェルム』の名前を耳にする。商売の天才と称されるオッソンは有名であり、商人の間ではカリスマ的存在と言っても間違いない存在といえるでしょう。
天才オッソンには一人娘がいて、その娘も父親に負けないだけの商才があるというのもまた有名な話で、
「お前がアウロラ様なみに優秀だったらなぁ」
というのは、私と同年代の商人の子供であれば、誰もが一度は二度は言われた言葉となるだろう。
特に私はアウロラと同じ、会頭の一人娘という事もあって、常にアウロラ様と比較され続けながら結婚したという経緯もある。
アウロラ様から直接何かをされた事は一度としてないけれど、今まで比べ続けられてきたアウロラ様が、絶望へと突き落とされた、あの時の快感が忘れられない。
夫も息子も、全てを奪い取られたアウロラ様のあの時の顔ったら、本当に最高だった。
いくら天才の子供を褒めそやしたとしても、結局、大人になればただの人なのよ。
結婚して夫に裏切られたら、後は破滅が待っているのは、どこの女性も同じ事なのよね。
滞在していたホテルには宿泊できないようにクリスタ様が手を回していたから、ホテルを放り出されてさまようアウロラ様の行き着く先には破滅しかない。
ああ、彼女があの後どうなったのか、もう少し落ち着いたらクリスタ様にお尋ねしてみなくっちゃ。
あのクリスタ様だったら、絶対に落ちるところまで落ちたところを確認しているでしょうからね!
「今度のお茶会では、噂話に追加しても良いかもしれないわね」
ベックマン家の跡取り息子であるラーシュが母親似だという事を利用して、クリスタ様が、ラーシュはアウロラ様が何処かの貴族と浮気をして出来た子供のようだと吹聴して歩いているので、最近ではこの話題で持ちきりとなっているのよ!
天才オッソンの娘であるアウロラ様は有名人だったから、どんな話でもみんな喜んで飛びつくのよね!
アウロラ様は浮気をした相手の子供を産んでいて、ヨアキム様との子供と偽って育てていて、その事に気がついたクリスタ様が調査の末、真実を掴んだというわけ。妻の浮気にショックを受けるヨアキム様をお支えしていたところ、二人の間に愛が芽生えたのね!
そんな話があっという間に広がっていったのだけど、これにその後の話を追加したら、みんな喜んで飛びつくだろう。
この国は夫の浮気にはとても寛容なのだけれど、妻の浮気については、平民であるほど厳しい視線を向けられる事になる。
貴族は政略結婚も多いため、後継者を産んだ後は、お互いに自由恋愛を楽しむという事も許されるのだけれど、平民となると、妻に対して『良妻賢母』を強く求めるところがあるから、女が浮気するなんて許されないのよね。
夫が留守中にうまくやる人は山ほどいるけれど、母親たるものよそ見などせずに子供を育て、夫を支えるべしみたいな固定観念がしっかりと根付いているのよね。
「アウロラ様のその後はよく分からないから、とりあえずはクリスタ様とヨアキム様の蜜月状態をみんなにお話ししてみようかしら」
私としては、アウロラ様ネタで三ヶ月は引っ張れると思っているし、楽しいお話しで花を咲かせる気まんまんなのだけれど、最近、お茶会の招待がどうも少ないような気がするのよ。
私はアウロラ様と違って社交にも力を入れているから、色々な所からお声がかかっていたのだけれど、それがパッタリと無くなってしまったのよね。
こういう時には情報収集のため、昔からのお友達であるヨハンナの所へ遊びに行って最近の噂話を仕入れてみましょう。
お断りもなしに私は息子のロルフを連れてヨハンナの家へ遊びに行くと、ヨハンナは渋々といった感じで招き入れてくれたのよ。
ヨハンナもまた商会の一人娘であり、ようやっと婿入りしてくれる人を見つけたという状態の二十二歳いきおくれ令嬢であり、太っていて愛嬌がある顔をしている子なのよ。
いつもは太った顔をニコニコさせているヨハンナが、今日は私を睨みつけるようにして、
「エディット、ロルフが泣き叫ぶと困るから家に招き入れたけれど、本当にあなた、困ったことをしてくれたわね!」
いつもにない厳しい口調でそういうと、幼いロルフをメイドに預けて、日当たりの良いサロンに私を招き入れた。
メイドに紅茶と茶菓子をテーブルにセッティングさせて人払いをすると、小さな鼻の上にしわを無数に刻みながら問いかける。
「エディット、あなた、アウロラ様に、あなたの目の前で離婚誓約書にサインをさせたって本当の話なの?」
「はあ?」
「しかも、その場でアウロラ様の子供を取り上げたって本当の話なの?」
「ええ?」
確かに、王家所有の離宮にある予約必須の高級カフェで、アウロラ様はクリスタ様が用意した離婚誓約書にサインをされていたわね。うちの子守に命じてラーシュをクリスタ様に渡すようにしたし、クリスタ様はラーシュを抱き抱えて馬車へと移動して行ってしまったけれど。
「離婚をしたら子供の親権は父親が持つのは法律で決まっているのだから、子供をベックマン家へクリスタ様が連れて行く行為に何の問題もないと思うのだけれど?」
「はあ、あなたって本当に母親なの?」
つくづく呆れたといった様子でヨハンナは私を見つめると、心底軽蔑した様子で口を開いた。
「確かに、法律では離婚後の子供の親権は父親へ移譲されるってことを決められているわよ。その法律が理由で、子供と引き離された多くの母親が泣いているのもまた事実だけど、あなた達のやり方は酷すぎるのよ」
「酷いって何が酷いの?」
アウロラ様は家を出ているし、クリスタ様はすでにヨアキム様と生活を共にしているし、すでに離婚は決まったようなものじゃない?
離婚するのなら、子供は父親の元に連れて行くのは当たり前の話だもの。
「エディット、あなた、最近の噂を耳にしていないの?」
「噂ってなんの噂よ?」
「あなたに関わると、夫の不貞が原因で離婚するときには、無理やりサインをさせられる事になるし、子供もうまい具合に取り上げられる事になるから気をつけろですって。しかも浮気相手が有利になるように動くから、正妻の立場なんかすぐに奪われてしまうって」
「はあ?」
意味がわからない。
「アウロラ様が浮気したなんて噂が流れているけれど、元々浮気をしていたのは夫であるヨアキム様の方だし、ヨアキム様が自分が有責である事を免れるためにアウロラ様が不利になるように噂を流しているなんて事は誰もが知っている事なのよ」
ヨハンナは太っている上に地味な顔立ちをした女なのだけれど、蔑むように私を見つめながら話を続けた。
「そんなアウロラ様に取り入って懐に入り、心許すほど仲良くなった所で、遊ばせるために連れてきた子供を攫うようにして夫の浮気相手に渡し、しかも、離婚誓約書にサインするように公衆の面前で促した」
「な・・・」
「あなたはそういう人なのよね」
「何を言っているの?」
「あなたに関われば、簡単に裏切られる。私たち女が、自分の生家がなくなったり、頼れる人など誰もいない状態で子供も奪い取られて、何の保証もないまま離婚誓約書にサインをさせられたら、どんな末路を歩む事になるのか、そんな事も簡単に想像できないの?」
ヨハンナは下を俯いて、スカートの上で拳を握りしめると、
「女の敵よ、到底許せない・・・」
物凄い形相で私の顔を見上げた。
「私とあなたの仲が良いというのは婿入りする予定の先方も知っていて、物凄く不安に思っているみたいなの。簡単に人を裏切る人間を友人に持つ私も同類なんじゃないかってね?」
ヨハンナは冷たい笑みを浮かべながら、
「幼い時から一緒に遊んだりしていたけど、私、そもそもエディットの事、大して好きじゃなかったのよ」
瞳を細めると、
「あなたって、常に私のことを下に見ていたし馬鹿にしていたでしょ?心の中で思っている事だからわからないと思った?だけどね、あなたはいつも、馬鹿にしたような瞳で私を見ているのよ」
口元に半月を描くと言い出した。
「ロンダ商会のお嬢様だから仲良くしろっていう親の言葉に従っていたのが馬鹿みたいだわ」
そうよ、私はロンダ商会の夫人なのよ?
誰が地方都市や外国に商品を運んで行ってると思っているのよ?
私はテーブルを乱暴に叩きながら怒りの声を上げた。
「そうよ!私はロンダ商会の跡取り娘で、商会頭の夫人なのよ!うちが物を運ばなければ、あんたたちも商売にならないのよ!ヨハンナ!私にそんな態度をとって後々後悔する事になるわよ!」
「後悔なんてしないわよ!」
ヨハンナはハハハッと笑うと、目尻の涙を指で拭いながら、
「後悔するのはあなたでしょ?もう二度とうちには来ないで!」
と言って席から立ち上がったのだった。
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