第7話

 完璧な彫像のように計算し尽くされた美しさを持つイデオンは、背も高く、体つきも逞しく成長していた。


三年前、アウロラの結婚を大反対したイデオンは、アウロラの結婚するのと同時期に暗黒大陸とも呼ばれるロドラン大陸へと船で渡り、後に、金鉱山を発見して採掘に乗り出し、巨万の富を得たのは有名な話。彼はわずか十七歳にして富豪としても有名なのだった。


 そんな彼を私が拾ったのが、私が十歳、イデオンが五歳の時のこと。

 以降、私と一緒に育ったイデオンは弟のような存在だったのだけれど、現在、再会したイデオンは私を自分の膝の上から離そうとしない。


そんな私たちの姿を見て、紅茶やケーキを用意したワゴンを押して部屋へと入ってきた侍従のケントが、大きなため息を吐き出した。


「全く、2年ぶりにアウロラ様にお会い出来たので喜びが凄すぎるというのは分かりますが、限度を超え過ぎておりますよ。さあ、アウロラ様、一旦、お顔を拭きましょうか?」


ケントはそう言って、顔を拭く用の温かいタオルを私に渡して微笑を浮かべると、テーブルの上に紅茶やケーキをサーブしていく。


 そういえば現在の私の顔は、化粧が崩れて悲惨なことになっているのに違いない。


 目が細くて狐のような顔立ちをしたケントは、私よりも十歳も年上なのだ。元々は父のところで働いていた従業員なので、私にとってはお兄さんのような存在の人です。


 ケントに促されるまま顔をタオルで拭ってみれば、化粧と鼻水と涙で、あっという間にタオルが真っ黒、緑、ピンク混じりとなっていきます。


 すかさず別のタオルを渡されたので何度も拭いていると、最後には仕上げのひと磨きをしたイデオンが、ようやっと自分の膝から私を下ろしてくれました。


「こちらは最近、イデオン様がアウロラ様用にと購入されたタウンハウスですので、自分の家と思ってお寛ぎ頂ければ幸いでございます」


 日当たりの良いサロン、最高級のテーブルセットはギャラン工房の手によるもので、部屋を彩る色鮮やかな花々が生けられた花瓶は、東崙島の作によるもの。


 場所は貴族街と平民の富裕層が住むエリアの狭間にあるような場所で、王宮から広がる大きな森の近くにある事から、鳥の囀りがよく聞こえる。

 何もかもアウロラ好みにしつらえた屋敷はさすがイデオンが用意したもの、全てが洗練されているうえに、温かみがあって安心が出来た。


 ようやっとホッとため息を吐き出して目を前に向ければ、私好みの茶葉で淹れた紅茶は私好みの花柄のカップの中で湯気をたて、揃いの小皿の上にサーブされたケーキは、私が大好きなメブロンのチョコレートケーキ。


 葬儀で顔を合わせたのが最後だから、二年ぶりにイデオンとは顔を合わせたけれど、別人のように成長していたイデオンが私の前に用意するのは三年前と同じもの。


怒りがおさまらないといった様子のイデオンが隣に座って私を見下ろすと、憤慨した様子で言い出したのは想定内の言葉だった。


「だから俺は結婚を反対したんだよ!」


 私が夫のヨアキムと結婚したのは三年前、イデオンが十四歳の時のことでした。

 あの時、イデオンは私の結婚を反対して、反対して、反対しまくったのを覚えています。


「あんな色気たっぷりの金髪男と結婚なんかしたら!アウロラはあっという間に浮気されて、捨てられることになるんだからな!」

 結婚して三年が経っていますが、イデオンの予言通り、あっという間に浮気をされて、捨てられて、子供まで取り上げられているような有り様です。


「イデオンの言う事を聞いておけば良かったかも〜」

 私は顔を覆って項垂れました。


 だって、だって、かっこいいと思ったんだもの!愛していると言ってくれたんだもの!

 つい最近までは夫婦としてもうまくいっていると思っていたのに、崩壊するときはあっという間でしたわ。


「あの時は旦那様もお許しになりましたし、十四歳の戯言を聞いて結婚を取りやめるとか、流石のアウロラ様でもそんなことはしませんよ」

「十四歳の戯言とか言うな」

 不貞腐れて唇を尖らせるイデオンとケントのやりとりを見ていると、思わずほっこりしてしまいます。


 私とイデオンの子守役はケントだったので、父の仕事を手伝っている時は、こうやって三人でいる事が多かったのです。


「とりあえず、夫の浮気による離婚なんて良くあることですし、この国は平民であれば結婚も離婚も何度でもあっさりと出来ますから、良い経験をしたとでも思って、新しい未来へと進みましょう!」


 ケントは励ますように言ってくれますが、

「そうね、そうかもしれないけれど・・・」

それでも、結婚生活は三年間も続いたわけですし、

「そんなあっさりいけたら苦労しないわよー〜―!」

涙がブワッと溢れてきたので、イデオンがハンカチで甲斐甲斐しく拭いてくれます。


「ですが、今まで通り、ヨアキム・ベックマンと結婚生活を続けるつもりもないのですよね?」

「私!すでに離婚誓約書にサインしているのよ?」


 離婚は成立しているようなものなので、私たちの関係が戻ることはないでしょう。


「別れた夫に未練とかないんだよね?」

 私は目の前のイデオンを睨みつけました。

「未練なんてあるわけないでしょ!」


 夫については、元に戻りたいとか、復縁したいとか、そんな思いはカケラほども存在しません。


 世の中には、夫とは絶対に別れたくない!浮気したって私の元に帰ってくれるなら良いのよ!夫がいない人生なんて耐えられない!という人もいるのでしょうが、私は、全然、全く、そんな事はなくって、夫が恋人と夫婦の寝室を使っているのを見た瞬間に、人生に全く必要のない人に格下げされたのだと思います。


 だけど、息子の事を考えると、あっさりと割り切れない気持ちも溢れ出てくるのです。


「夫と別れるのはどうでも良いんだけど、そうすると息子のラーシュが父親という存在を失うことになるわけでしょ?夫については心底どうでも良いのだけれど、私が不甲斐ないせいでラーシュから父親を奪う結果になってしまって、どうしようって、今日、離婚誓約書にサインをするまでは、ラーシュのために、私が頭を下げて戻った方が良いのかとか、そうしたとしても、浮気した相手は大商会の娘さんだし、後ろ盾のない私なんかより、流石にあっちの方が良いわよねとか考えたし、悶々としている間に家を出て十日も経っちゃって、気がついたら呼び出されて、はめられて、離婚成立して、息子を取り上げられちゃったみたいな?」


 私はわーっと泣きながら、

「この国の法律では子供の親権は原則、父親が持つってことを忘れていたのよ!私バカだわ!離婚するという事は、ラーシュから父親という存在を奪われるのではなくて、私という母親の存在を奪う事になるのよ!」

悲痛な声をあげると、イデオンは私をぎゅっと抱きしめてくれた。

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