第6話

 ママ友に裏切られました。

 執事のベントンが心配そうに私を見ていた、あの視線が忘れられません。

 私の執事は私を尊重するけれど、何かある時には、なんとも言えない心配そうな眼差しで私を見つめるわけです。


 私が息子のラーシュと宿泊していた『ホテル・ベラビスタ』は、貴族も利用するホテルだと思っていたのですが、宿泊客の荷物を勝手にまとめて外に放り出すだなんて、正気の沙汰とは思えません。

 私が平民である事を侮っているのは間違いなく、その裏には貴族が絡んでいるという事にもなるのでしょう。


 私の腰ほどの高さがある大きな旅行用のケースが二つ、道端に転がっているのを起こす作業ですら重労働です。繁華街なので、今すぐ誰かに誘拐されることはないでしょうが、人通りも少ない場所であれば、即座に荷物だけでなく、私も売り捌かれているでしょう。


「ハーーーーッ」


 頭が働きません、息子が誘拐されました。クソみたいなママ友エディットは最初から裏切っていたという事でしょうか?


「荷物を運ばないと、泊まるホテルも探さなくちゃだし、まずはポーターを雇わなくちゃならないのかしら?誰か人を呼ぶ?そこら辺の子供を捕まえて使いっ走りでもさせようかしら」


 ホテルには金目の物を置いていなかったと思うけれど、荷物を勝手にまとめられている間に、何かしらは盗まれているのに違いない。


「あーー・・このホテル、絶対に潰してやるー〜、絶対に、倒産に導いてやる〜」


 恨み言を吐き出しながらホテルを見上げていると、私の腰をグイッと掴むように引き寄せられて、肩に担がれる時に足が宙を浮きました。

「ひいいいいっ」

 私がようやっとの事で道の端へと移動させた大きな旅行用鞄を二人の男が軽々と持ち上げる姿が見えました。

あっという間に担ぎ上げられたまま移動して、近くに停めてあった馬車の扉を見知った男が笑顔で開いて待っています。


 あっという間に馬車に担ぎ込まれた私は、膝の上に抱えられてぎゅうぎゅうと抱きしめられたので、

「グエッ」

と、淑女らしくないうめき声を発したのは仕方がない事でしょう。


「間に合って良かった!間に合って良かった!間に合って良かった!ああ!間に合って良かった!」

 馬車の外では誰かが殴り合いをしているようです、ここは王都にある繁華街じゃなかったのかしら?

「アウロラ!大丈夫だった?意地悪されなかった?暴力振るわれなかった?」

 真っ黒な髪の青年は、私の肩にぐりぐりと自分の頭を押し付けながら力いっぱい抱きしめてきます。


 私の弟分、五歳の時から面倒を見てきたので、十二年の付き合いとなるイデオン・アームストレームが私の無事を喜んでいるのは良くわかりますが、そろそろ内臓が口から飛び出してくるかもしれない勢いです。


「苦しい!苦しいです!」

 ずいぶんと逞しくなった体を力いっぱい拳で叩いていると、侍従のケントが御者席の方から、

「暴漢は捕まえたので、こちらは一足先に出発する事にしますね〜」

と声をかけてくると、馬車がゆっくりと動きはじめました。


 ようやく抱きしめてくる腕の力が緩んだので、抜け出すようにして馬車の窓に近づくと、もう一台の馬車に押し込められる私の荷物と、失神した男たちの姿が見えました。

 柄の悪い男たちを捕まえているのは、私もよく知っている男どもで、私の方へ手を振っている者もいます。


「あー〜ああ、俺がうっかりアウロラの名前を出したばかりに、とんだ事になってしまったけれど、結果オーライと考えればそれでいいのだろうか」


イデオンはそう言って自分の髪の毛をかきあげる、色気たっぷりの仕草を見上げた私は、思わず彼の足に乗り上げるようにして、すべすべの両頬を両側から引きちぎらんばかりの勢いで引っ張りました。


「結果オーライって一体なんなの?浮気され、浮気現場を目撃し、更には夫だけでなくママ友にまで裏切られ、離婚誓約書に本日サインをして、息子まで取り上げられた私に対して、結果オーライって?正気で言っているのなら殺すわよ?」


 私の殺意に歓喜の笑みを浮かべると、イデオンは再び抱きついて、

「大丈夫!大丈夫!ラーシュにはベントンがついているし!取り戻す算段はもうつけてあるから!絶対に大丈夫!」

ぐりぐり、ぐりぐり頬擦りしてくる。


 イデオンとは長い付き合いになるけれど、私が結婚してからはほとんど顔を合わせる事がなくなり、面と向かって会ったのは父と母の葬儀が最後だった。


 ここ二年ほど会わない間に身長が信じられないほど伸びて、体つきも逞しくなっている。現在十七歳のイデオンは、パッと見れば実際の年齢よりも三つも四つも上に見えるのは、子供のうちから大人並みに仕事をしているのが原因だろう。


「全然会ってなかったのに!全然会ってなかったのに!なんで全部知っていますみたいな感じで言うわけ!」


 再び抱きしめられている私は、イデオンの横腹を拳でぐりぐり抉りながら、

「夫に裏切られて!子供も奪われているのに!助けに来るのが遅すぎなのよ!」

ようやっと安心をして、ドッと気が抜けた私がわー〜―っと泣き出すと、

「あいつ殺す!絶対に殺すから!俺に任せて!完全に任せてくれれば、ひっそりと全員殺して回るから!」

イデオンは物騒な事を言い出したのだった。

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