第4話
その人を初めて見た時、自分よりも5つも年下だとは思いもしなかったのよ。
黒々とした髪に彫像のように完璧に整った顔立ち、神々しいほど美しい顔をしているというのに、その雰囲気は野性味あふれるもので、雄の匂いが溢れ出る、迫力のような者を感じたの。
自分の商会を立ち上げて三年目、顔を売る目的でうちの商会のパーティーに顔を出していた彼の腕を取ると、庭師が丹精込めて作り上げた庭園の方へと連れ出したわ。
夜でもキャンドルが灯されているので、真っ暗という訳ではないけれど、ちょっと奥の方へ引っ込んでしまえばそこは暗闇となり、初めて出会った二人でも熱い逢瀬を交わす事が出来るような場所となっている。
「ねえ、貴方、とても素敵だわ!」
「それは、それは、ホルンルンド商会の令嬢であるクリスタ様にそのように言われるなんて光栄です」
キャンドルの明かりに浮かび上がるその人はとても素敵で、まるで愛の神テロスに囁く男神ロドスのよう。
木々が作り出す陰影が切り絵細工のように緻密な影を落とし、彼の翡翠色の瞳は私を見つめて細まった。
「私、貴方ともっと話したいの」
彼の手を取り、少し力を込めて、
「異国の話を聞きたいわ、貴方が見た風景を私も見て感じたいの」
潤んだ瞳を向けて、ふっくらとした唇を小さく戦慄かせる。
「でも・・そんなこと・・許されないかしら・・」
うちの商会は王都で五本の指に入るほどの大きな商会で、しかも老舗だけに豊富な人脈を持っている。その人脈の中には貴族も含まれるので、自分の商会を大きくしようと考える商人は、誰しも我が家を無下には出来ないのだ。
「ねえ・・私の愛する男神ロドス」
ロドスは愛を囁く神、愛を捧げ続ける神、私は女神テロスなのだから、貴方は私の前に跪かないわけにはいかないのよ。
だけど、その美しい男は男神の名前を聞くなり、大きく目を見開くと、
「はあ?俺が男神ロドスだったら、あんたが女神テロスだと言いたいわけ?」
と言って私の手を振り解くと、色気たっぷりに自分の前髪をかき上げる。
そうしてジロジロと私を見下ろしながら言い出した。
「こんな年増が俺のテロス?は?冗談もやめてくれよ、俺のテロスはこんな厚化粧の年増ババアじゃねえんだけど」
厚化粧?年増ババア?
「俺の女神テロスは琥珀色の瞳が叡智に輝き、愛おしい栗色の髪は柔らかく、お前みたいに金色に染めて平民のくせに貴族ぶって偉そうになんてしていねぇのさ。ああ、アウロラ、俺の女神、会いたいのに会えない、会いたいのに、会えない、俺、正直に言って頭狂いそう。マジでなんでこんな年増と俺は、女を引き摺り込むのを目的として作られたような夜の庭園に来なくちゃならねえんだ?意味がわかんねえ」
そう言って男がブルブルと震え出すと、侍従と思しき男が木の影から現れて、
「やっぱり!そんな事になるかと思いましたよ!アウロラ様切れと中毒症状は分かりましたから、これ以上は失礼を重ねないで下さい!」
と言って、私から引き離すように彼の腕を引っ張った。
「な・・な・・なんだっていうのよ!失礼にも程があるじゃない!」
「本当に申し訳ありません!我々はこれで失礼いたしますので、良い夜をお過ごし下さいませ!」
自分の主人を追い立てるようにして侍従はさっさとその場を後にすると、庭園にぽつんと一人、私だけが取り残される事になったわけ。
一見すれば一人に見えるかもしれないけれど、見えない場所に引きこもっているような人間が二人や三人居るのは間違いのない事で、次の日には、
「あのホルンルンド商会の令嬢も流石に年か?最近では男も落とせないし、暴言を吐かれた上に逃げ出されるような有様らしいぞ?」
と、影で噂されるようになってしまったのだ。
もちろん、私は怒りでどうにかなりそうだったわ!
あの美しい男、あいつが言っていた『アウロラ』とやらに、私の怒りは即座に向かう事となったわけよ。
あの美しい男はオッソン・イェルムが手塩にかけて育てたのだと吹聴されていたから、あいつが言う『アウロラ』とはオッソンの一人娘のことを言っているのに違いない。
アウロラはベックマン商会の会頭と結婚しているので商会同士の集まりで何度か見た事があるのだけれど、茶色の瞳に茶色の髪をした、いたって地味で平凡な女じゃない。
この地味な女にあの美しい男が夢中だというのにも腹が立ったけれど、地味女の隣!隣に立つヨアキム・ベックマンもまた、色気が滴り落ちるような美形の男なのよ!
「ああ!ああ!ベックマン商会ですよね?うちもあそこの商会とは仕事をしているので良く知っていますよ!うちと同じ歳の子供がいるから話には良く聞くんです」
私の取り巻きの一人であるエディットはニコニコ笑いながら言い出した。
「クリスタ様!次は金髪狙いなのですね!ヨアキム様とクリスタ様!美しいお二人が並ぶ姿を想像するだけで胸が弾んでしまいます!それにヨアキム様を狙うなら今が狙い目なのは間違いないですよ!」
「狙い目?」
商売の天才と言われたオッソンの娘であるアウロラは、女だてらに夫の仕事にも手を出す事があり、意見の対立もしばしばあるのは有名な話みたい。
「カタラン王国から格安で絹織物を入手するルートが開拓できそうだったそうなんですけど、その仲介に入る商会の名前を聞いただけで即座に取りやめにしたのがアウロラ様で、周りはそれに納得していたそうなのですけど、ヨアキム様だけは、とても納得出来ない様子でいらっしゃったという話も最近あってですね」
「ふーん、面白いじゃない」
「面白いですよね?」
地味な顔立ちをしているエディットだけれども、頭の回転は悪くない女なのよね。
商会の一人娘ということで、昔からアウロラを引き合いに出されて、あの子みたいになれだとか、見習えとか、お前はどうしてそうなんだとか、色々と言われてきているだけに思うところが色々とあるのかもしれないわね。
「それじゃあ、お父様も最近はうるさいし、お兄様の目も厳しいし、私もそろそろ結婚して落ち着こうかしら」
「ヨアキム様は、最近、仕事終わりにはそのまま家に帰らずに、紳士クラブを訪れるそうですよ?」
だったら、偶然を装って会うのは簡単ね!
「ヨアキム様を奪って私が正妻の座に着いたら、私がアウロラよりも上って事になるわよね?」
「ええ!だけど、やり方は気をつけないとですよね?」
「そうね」
ただの略奪婚ではこちらに非があるように見えるから、アウロラに問題があるように見せないとまずいって事になるのだけれど、
「そこはイーナスお姉様にお願いするから大丈夫よ!」
伯爵夫人の名前が出てきたので、エディットは大きく一つ頷くと、
「今度の子供たちを集めたお茶会にアウロラ様が参加されるのは知っているので、私、仲良くなっておきますね!」
ニコニコ笑いながら、今後の作戦を練っていくことにしたのだった。
順風満帆の人を破滅に導いたり、淑女そのものの少しの隙もない女性を破滅に導いたり、誰もが一目置く人を破滅に導いたり、とにもかくにも、幸せそうな人を破滅に導くのってものすごく楽しいわよね!
完璧に見える人ほど、何処かに隙が隠れていたりするので、そこを突いて穴をあけて、その人が積み上げてきた『人生の塔』をぐずぐずにして倒す瞬間は、最高にエキサイティングするのよね。
「親もいない、夫もいない、子供もいないあなたの行く末なんて決まりきったものじゃない!それじゃあさよなら!」
呆然とこちらを見上げるアウロラの顔ったら!最高すぎるじゃない!
近くで私たちの様子を見ていたお姉様たちも、可笑しくて仕方がないって感じでくすくす笑っている姿に会釈を送りながら、私たちが外へと出ていくと、真っ青な顔をした子守が小さな子供を抱いてこちらの方を見上げていた。
もう一人の子供はエディットに抱きついているから、子守が抱いている子供がラーシュ、アウロラとヨアキム様の子供という事になるわけね。
「まあ!ヨアキム様に似ているところなんて髪の毛の色だけじゃない!」
琥珀色の瞳をこちらに向ける子供の顔立ちは完全に母親似で、太陽を溶かしたような金色の髪だけが父親に似ているという事なのね。
この国の貴族は金色の髪を持つ人間が多く、平民の中で金色の髪が生まれると、貴族の血が混じっているのではないかと良く言われるのよね。
今は金髪に染める技術が発達して、多くの人が髪の毛を染めるようになっているから、貴族の血なんて言い出す人は少なくなっているのだけれど。
これってもしかして、アウロラが貴族と浮気した末に出来た子供だとかなんとか、十分にでっちあげる事が出来るんじゃないかしら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます