四、水郷の姫(七)
そんなこんなで夜が終わって朝が来る。暁鐘が鳴ると人々は起きだし、一日を始める。
それは国の王女も例外ではない。
布団から起き上がり、一つ伸びをして朝日を浴びる。
「あー、よく寝た。やっぱり畳っていいわねぇ」
「そうでございますね」
先に起きていた彩香が返答する。この人の朝は、暁鐘より早く始まるらしい。
「空鴉はまだ寝てるみたいね。まったく、寝坊助なんだから」
「まだ時間もありますし、もう少し寝かせてやってくださいませ」
「そうね」
彩香は空鴉の寝顔をじっと見つめる。
「どうかなさいましたか?」
「なんかこう見ると、空鴉って凛々しい顔してるわよね」
真面目な口調で言う宝劉に、彩香は微笑む。
「そうかもしれませんね」
会話に気付いたのか、空鴉が寝返りをうって目を覚ました。慌てて起き上がり、宝劉に頭を下げる。
「おはようございます、殿下」
「おはよう。よく眠れた?」
「すみません、殿下の前で眠りこけてしまうとは」
「いいのよ。気にしないで」
「面目ございません」
三人は朝餉を食べて支度をし、舜䋝と燿が来るのを待つ。
「あの二人、今日も寝坊したのかしら? 遅いわね」
「そうですねぇ」
昨晩、遅くまで外にいたため疲れたのだろうが、朝は容赦なくやってくる。主人に狙われている事を隠している以上、怪しい動きは少ない方が良いのだが。
彩香と空鴉がやきもきしながら待っていると、やがて襖が叩かれた。
「やっと来たようですね」
彩香が戸を開けると、男子二人が立っていた。
「遅くなりまして、申し訳ありません」
「お待たせしました」
舜䋝と燿は揃って頭を下げる。
「よし、じゃあ商店会長の所に行きましょうか」
「御意」
昨日、店荒らしの犯人が子どもである事を伝え、昨晩、商店街中で子どもが外に出ないか見張ってもらった。
その結果を聞きにいかなければならない。犯人が捕まっていると良いのだが。
しかし、商店会長の応伸が口にしたのは意外な事実だった。
「え? 本当?」
宝劉は訊き返す。
「はい。昨晩、家から外に出た子どもは、一人もいないそうです」
「それなのに今朝、八百屋が被害にあってたのね?」
「はい」
宝劉は腕を組んだ。今までに得た情報を総動員し、この謎に挑む。
一行が商店街に来るまで、犯人を見た者はいなかった。付喪神に訊いたところ、犯人は子どもだと分かったが、被害の出た夜に出歩いていた子どもはいないという。
「もしかして、浮浪児の仕業?」
「いえ、この町は、浮浪児がいないのが自慢でして」
「そう……」
しばらく思案して、宝劉ははっとした。
「もう一回、付喪神様たちに話を聞きましょう」
会所を後にして、五人は骨董品店に歩を進める。
「何かお分かりに?」
彩香が訊く。
「分かったというか、確認というか。私、一つ勘違いをしていた気がするわ」
四人の従者は顔を見合わせる。彼らには、何が勘違いなのか分からなかった。
宝劉は、歩きながらまた考える。自分の仮説が正しければ、謎は解ける。ただ、犯人の動機までは解らなかった。
(犯行動機は、犯人に訊くしかないわね。もっとも、どうやって犯人を見つけるかも分からないのだけど……)
突然、すぐ後ろにいた舜䋝がつまずいた。
「うわっ」
声に気付いて宝劉が振り返ると、その脚には子どもが一人くっついている。どうやらこの子が裾を引っ張ったので、舜䋝はつまずいたらしい。
家臣が誰も動かないので、仕方なく宝劉がその子に声をかけた。
「どうしたの? 私たちに、何か御用かしら」
声をかけられ、その子どもは目を丸くする。
「お姉ちゃん、ボクが見えるの?」
「……ん?」
宝劉の顔から血の気が引く。確認を求めて振り返ると、家臣たちは各々首を横に振った。
「し、失礼いたしました!」
宝劉は慌てて子どもに拝礼する。
「神様とは分からず、とんだ御無礼を。申し訳ありません」
子どもの姿をした神は小首をかしげた。
「ゴブレイってなに?」
彼はそんな事より、自分が捕まえている相手からの返答がない事を気にしていた。
「ねえ、このお兄ちゃんは、ボクの事見えないの?」
舜䋝の服を掴んだまま宝劉に訊く。
「残念ですが、この者は貴神を見る事はできません」
「そうなの……?」
子どもの神はじっと舜䋝を見て、合点の行った顔をする。
「ああ、神と人間の合の子なんだね。だから髪も目も白いんだ。変なの」
いくら子ども姿の神が相手とはいえ、宝劉は少しむっとする。
「そうおっしゃらないでください。自慢の家臣です」
そして宝劉は、神様の肩をしっかり掴んだ。
「あなたが、店荒らしの犯人ですね?」
「たなーらし……?」
一連の事件の犯人は神だった。だからその姿を見た人間はいなかったし、商店街の子どもが夜外に出なくても事件が起きたのだ。
付喪神たちは嘘をつかない。彼らにとっては、子どもの神も単なる「子ども」だ。土地神が言っていた、本当は自分がやるべきという言葉も、神に関する問題だったからだ。
どう犯人を見つけたものかと思っていたが、こうも向こうから来てくださるとは。
とりあえず、宝劉は子どもの神と目線を合わせるために屈みこむ。
「商店街のお店を荒らしたのは、あなたですか?」
「荒らしてないもん……探してただけだもん……」
神はうつむいて、つぶやくように言う。
「……立ち話もなんですから、会所に行きましょうか」
「かいしょ……?」
その子の手を引いて、宝劉は会所に向かう。神は手を引かれながら、始終不安そうにしていた。
「先程は、大変失礼いたしました」
会所に着くと、宝劉は改めて謝罪する。
神ならば気配でそうと分かるはずなのに、目の前に居てさえそれを感じられなかった事を、不振がりながらも反省した。
「シツレイってなあに?」
八歳程の男子の姿をした神は、今の状況が上手く呑み込めていないようだ。目の前にたくさんの大人が並んでいるせいか、少し縮こまっていた。
「シツレイはゴブレイのお友達です。それより、貴神についてお聞かせ願えますか?」
その質問にも、きょとんとする。
「ボク何聞くの?」
「えーと、あなたの事を教えてください」
「ボクの事? いいよ」
そう言って、子どもの神はぽつぽつと語りだした。
「あのね、ボク神様なの。気付いたらこの町にいてね、それからずっといるの」
宝劉がその前の記憶について訊ねると、神は首をかしげた。
「分かんない。ボク、一月前に神として生まれたばかりだもの」
「……なるほど」
王女がこの神の気配を感じ取れなかったのは、誕生して間もないこの神が、神としての気配を十分まとっていないからだ。反省は必要なかったかもしれない。
「どうしてお店を荒らしたんですか?」
怖がらせないよう注意しながら、宝劉は優しく訊く。
「荒らしてないの。探してたの」
「探してた? 何をですか?」
「あのね、えっと、その……蜜柑すあま」
「えっ?」
子どもの神曰く、町で偶然その名を聞いて、どうしても食べたくなってしまったらしい。
「だって、蜜柑のすあまだよ?」
神は目を輝かせて話し出す。
「『きれいかわいいもっちもち』って言ってたし、きっとすごいんだよ。すごいすあまなの」
宝劉はうんうんと聞いている。
「……でもね、分らなかったんだ」
子どもの神である自分は字が読めず、人間の眼にも見えない。他に頼れるものもいない。
そうして仕方なく、自分自身で探し出すことにした。この商店街だという事は分かったのだが、どの店なのかは分からない。そこで、夜に店へ忍び込んでは、目当てのものを探していたという。
「そうだったんですね」
でもね、と宝劉は優しく言葉を続ける。
「お店の中をぐちゃぐちゃにしたら、みんな困ります。片付けもしなきゃいけませんし、お店の物を壊されたら、その商品は売れなくなります」
神は黙って宝劉の話を聞いている。
「たとえ蜜柑すあまを探していたとしても、店荒らしは悪い事です」
「……ごめんなさい……」
子どもの姿をした神は、幼くして死んだ子どもの魂が集まって生まれるものだ。短絡的な思考に陥ってしまうのも、無理はないかもしれない。
本神も反省しているようだし、これ以上責めるのは良くないだろう。しかし、応伸や商店街の人には、事情を説明しなくては。
「商店街の皆さんに、ごめんなさいしましょうね」
「うん……」
子どもの神は、集まっていた応伸や重役たちに頭を下げる。
「お店荒らしてごめんなさい。もうしません」
隣で宝劉が通訳する。
「子どもの神がした事なの。ご本神も謝っておられるし、許してくれないかしら」
大人たちは顔を見合わせた。
確かに被害は出たものの、神のやった事とあっては、責めることはできない。神が基本、人に危害を加える存在でない事はみな承知しているし、神とはいえ子どもならば、なおさらだ。
「仕方がありません」
やがて応伸が言った。
「ただし、二度とその神様が同じ事をなさらないよう、対策を講じていただきたい」
「なるほど」
商店会長の言う事ももっともだ。神の仕業とはいえ、被害が出た事に変わりはない。こんな事が何度もあっては、商店街も町も堪らないだろう。
「分かったわ。何とか話し合ってみる」
重い雰囲気に不安な顔をした神様に向き直り、宝劉はにこっと笑った。
「蜜柑すあま、食べに行きましょう」
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