四、水郷の姫(一)
街道沿いにある柏津町は、渡しの町として知られている。町の中央に、柏津川という太い川が流れており、その渡し船を出す港だからだ。
もともと小さな村だったが、街道の整備とともに渡しの利用客も増え、発展してきたという歴史を持つ。
川から多くの水路を引いていることもあって、橋の多い街でもある。特に、一番大きな水路に掛かるのは朱塗りの大橋で、ちょっとした観光名所にもなっていた。
しかし。
宝劉には別の目的があった。
「蜜柑すあまを食べるわよ!」
握った拳は力強く、その眼には固い意志が宿っている。
「蜜柑すあま、ですか?」
舜䋝が首を傾げる。
蜜柑すあまは名前の通り蜜柑味のすあまで、『きれいかわいいもっちもち』をキャッチフレーズに売り出したお菓子だ。彩香が説明すると、舜䋝は腑に落ちない顔をした。
「それって、美味しいのでしょうか……?」
「今この地域で流行ってるんだもの。美味しいに決まってるわ」
宝劉は早速、道行く人に蜜柑すあまについて訊ねる。
「ああ、あれは南の商店街ですよ。最近噂の」
「店の名前は『天煙堂』だったかな。大店だから、行けば分かりますよ」
町の人々は皆快く教えてくれた。
「じゃあ、行くわよ!」
店に向かおうとする宝劉を、彩香が止める。
「殿下、まずは迎えの二人と合流いたしましょう」
「どうして?」
早く蜜柑すあまを口にしたい宝劉は不服そうな顔をする。
「いいじゃない、燿も空鴉も、待つのを苦にしない人だもの。すあまを食べたらすぐ合流するわよ」
「いえ、それが難しいのです……」
彩香は、申し訳なさそうに言った。
「実は……路銀の事を考えますと、すあまを買う余裕がございません」
「そんな!」
宝劉は驚いて天を仰ぐ。
「ああ、どうしてこんな事に……」
彩香と舜䋝は顔を見合わせた。原因はかなりはっきりしているのだ。ここに来るまでに立ち寄った町々で、宝劉はその土地の名物を食べ回っていたのである。いくら劉家の従者と言えど、旅の途中だ。金は無尽蔵にある訳ではない。
「じゃあ、さっさと二人と合流しましょう。少しはお金を持って来ているでしょうから」
「御意」
「燿さんがいれば、路銀も稼げますしね」
「そうね」
舜䋝の言葉にうなずいて、三人は待ち合わせ場所へ向かう事にした。
「柏津大橋で待ってるって、書いてあったのよね?」
「はい。行けば分かるとの事です」
さすが観光名所だけあって、町一番の大橋の場所は、所々に立つ看板に記してあった。
道案内を辿って行くと、立派な朱塗りの大橋が目の前に現れた。橋の上は活気に溢れ、目下の川には船も行き交っている。陸の道と水の道が交差するここは、町一番の十字路だった。
「ああ、やってるわね」
雑踏の中聞こえてくる笛の音に、宝劉が笑顔を見せる。ちょうど、一行の路銀が稼がれているところらしい。
大橋の真ん中に、人だかりができていた。老若男女が脚を止め、歓声を上げている。
彼らが見ているのは大道芸だ。狐の面をした小柄な男が、橋の上に茣蓙を敷き、様々な奇術を披露している。その隣では三つ編みの人物が、術に合わせて笛を吹いていた。
「さあさあ、皆様お立合い! これからお見せ致しますのは、世にも不思議な奇術でござい。踊る人形に空飛ぶ猫、火を吐く虎もございます!」
紙の人形が躍り出し、白い猫は空を飛ぶ。紙の虎は火を吐き、その火に飛び込んで消えていった。
「さて、少しお腹が空いたから、うどんでも食べようかな」
狐面の大道芸人はそう言って、懐から半紙を出す。それを半分に折り、また半分、また半分と折っていく。拳の中にそれを握ると、掛け声をかけて投げる仕草をした。細い糸が拳から広がると、観衆は声を上げる。
狐面は、それを手繰り寄せて手元に戻し、台に置いてあったお椀を手にする。
「さあ、このお椀、種も仕掛けもございません」
それを示すように、観客にお椀の中を見せると、先程の紙をその中に入れた。さらに、上から水を注ぐ。箸でぐるぐるかき混ぜると、お椀の中で、半紙はうどんへと変わった。
狐面がそれを食べてみせると、観客から驚きの声が上がった。
「相変わらず、すごいわねぇ」
「そうですわね」
「仕掛けとか、あるんでしょうか」
三人も観衆の一部となって、その芸を眺めた。
「さて、そろそろお終いのお時間でございます。お楽しみいただけましたら、これ幸い。
投げ銭はいくらでも歓迎いたします」
狐面は欄干の上へ跳ねた後、高く跳んだ。狐の遠吠えとともに宙返りをすると、その姿は青く輝く狐火になる。芸は終わりだ。
人々は拍手喝采して、その火に銭を投げ込んだ。青い炎はそれらを吸い込み、段々と淡くなり消えていった。
やがて人混みは解消し始める。橋の真ん中に通行人の流れが戻った頃、三人は後ろから声をかけられた。
「お待たせして申し訳ありません」
「ただいま参上仕りました」
振り返ると、待ち合わせていた二人が、宝劉を拝していた。
「燿も空鴉も久し振りね。元気?」
宝劉は二年振りに会った臣下へ、親し気に言葉をかける。
「優しいお言葉をありがとうございます」
「私たちは変わりありません」
小柄で面を取っても狐顔なのが燿で、笛を吹いていた眉目秀麗な三つ編みが空鴉だ。
「元気なら良かったわ。相変わらず燿は変な顔だし、空鴉は男女どっちか分からないのね」
二人は揃って苦笑する。
「うちは代々、この顔なもので……」
「私の性別など、お気になさらずとも……」
その様子を見て宝劉は微笑する。
「冗談よ。二人とも、変わりないようで良かったわ」
挨拶はこのくらいにして、と宝劉は二人に期待の眼差しを向ける。
「お金、持ってる?」
「ええ、あるにはありますが」
空鴉が答えた。
宝劉は拳を空に突きあげる。
「やったわ! じゃあ、蜜柑すあまを食べに行きましょう!」
「蜜柑すあま?」
「何ですかそれは」
彩香が、その菓子について説明する。
「美味しいんですかね、それ?」
「少し怖いですね……」
燿と空鴉も、先程の舜䋝と同じような反応をした。
「よし! 行くわよ!」
五人になった一行は、町の南にある商店街へと、馬と脚を進めた。
「どうしてお金の管理をするのが彩香なのさ。普通、最年長者の俺だろ」
道中、燿が文句を言う。
「だって兄(あに)さん、お金持ってるとその分使っちゃうじゃないですか。危ないから駄目ですよ」
空鴉がたしなめる。
「それに僕たちは……色々と動きますから」
「皆さんは身軽にしていてくださいな。金銭管理は、私が責任をもって行いますわ」
舜䋝と彩香も説得し、燿は口を尖らせながらも納得した。
色々な話をしているうちに、商店街に到着する。
柏津町の南部に広がる商店街は、名称そのまま柏津南商店街という。名物の橋から少し離れているせいか、観光地の一部というよりは、地元の人々の暮らしを支えているようだった。
人通りはあまり多くないが、空き地や道の端で子どもが遊んだり、女性たちが井戸端会議をしていたりする。
「お店の名前、確か『天煙堂』だったわよね。どこにあるのかしら?」
むやみに歩いても疲れるだけと、宝劉は舜䋝に、店の場所を訊ねさせる。
「ああ、その店なら雀通りの真ん中辺りだよ。そこの角を右に曲がって、少し行った所だ」
壮年の男性がそう教えてくれた。
五人は言われた場所へ向かう。その菓子屋は確かに大きく、店の前では幟が青空にたなびいていた。
「ごめんください」
早速舜䋝が店の中に声をかける。
「いらっしゃいませ」
すぐに丁稚が顔を出した。馬から降りる宝劉の髪色を見て、慌てて奥に声をかける。
丁稚に呼ばれ、女将が店先に出てきた。齢は四十程だろうか。大店の女将らしく、肝の座った顔をしている。
二人は深く礼をして一行を迎えた。
「顔をお上げください。注文しても宜しいですか?」
彩香が言葉柔らかく言う。
女将と丁稚は頭を上げた。
「もちろん、何なりとおっしゃってください。心を込めてお売りいたします」
それならばと、待ちきれない宝劉が注文を口にした。
「蜜柑すあまをちょうだいな」
その名を口にした途端、菓子屋の二人の顔が曇った。
「あれは……」
「その……」
顔を見合わせ、何だか困惑しているようだ。
「実は……もう作っていないのです」
女将が申し訳なさそうに言った。
「えっ!」
宝劉は思わず声をあげる。
「だって、この地域で流行ってるじゃない。どうして?」
二人の顔がますます曇った。女将はおずおずと口を開く。
「恐れながら、それはもう二年程前の事でございます」
「そんな!」
宝劉はまた声をあげた。
「だって、前にこの街を通った時にはすごく話題になってて……町の女の子たちが話してて、いいなって……」
そう言ってから、自分で重大なことに気付く。
「あっ……」
「どうされました?」
呆然とする主人に、彩香がすぐ声をかける。宝劉は潤んだ眼を側近に向けた。
「私が前にこの町を通ったの、二年くらい前だわ……」
誰も返事ができなかった。店の中に、しばしの沈黙が訪れた。
「分かりました」
その静けさを破ったのは女将だ。
「少々時間はかかりますが、お作りしましょう」
宝劉は目を輝かせる。
「いいの?」
女将は大きく頷いた。
「劉家の方にそこまで気にかけていただけるなんて、光栄な事です。喜んでお作りいたします」
ただですね、と女将は申し訳なさそうに言葉を続ける。
「材料の用意が店にございません。二、三日お待ちいただけないでしょうか?」
彩香が顔を曇らせた。
「殿下、私たちは先に進まねばなりません。今回は諦められた方が……」
「えっ、嫌よ」
宝劉は即答する。
「だって、この機会を逃したら、次いつこの町に来られるか分からないじゃない」
せめて自由な身ならともかく、城に帰ったらなかなか自由に出歩けなくなるのは目に見えている。
「私は絶対、蜜柑すあまを食べるんだからね!」
「しかしですね……」
舜䋝も説得に加わろうとした時、迎えに来た二人が口を開いた。
「あー、あのね、そこのお二人。先に進むのは、今日は無理だよ」
「柏津川の水量が多くて、もう二、三日は渡れないそうです」
彩香がますます顔を曇らせる。
「そうなのですか?」
「ええ、上流で急な長雨があったとかで」
空鴉の言葉に、宝劉、舜䋝、彩香の三人は顔を見合わせた。
「……まさかねぇ」
「偶然ですよ、偶然」
「ええ、そうですわよね」
無理に発した笑い声は、乾いていた。
「とりあえず、宿にご案内しますよ」
燿が気楽な調子で言う。基本、この糸目男は気楽なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます