三、乾村の姫(六)

「王女様!」

 一行が村へ戻ると、村長が走り寄ってきた。

「ありがとうございます。王女様のお陰で、こうして雨が降りました。何とお礼を申してよいやら……」

 村長が頭を下げる様子を見て、村民たちも寄ってくる。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 口々に礼を言い、ぬかるんだ地面に膝をつこうとする。

 宝劉は慌ててそれを制した。

「そんな、大層なことはしてないわよ。雨が降って良かったわ」

 そう言っても、村人たちのお礼は終わらない。三人はしばらく、雨の中で感謝の言葉を聞いていた。

 村人たちの感謝感激が何とか収まったところで、一行は村長の家に戻り、熱い茶を煎れてもらう。

「温まるわね」

「ええ、本当に」

「あったかいですね」

 雨の中冷えた身体に、茶はほっこりと浸み込んでいった。

「王女様のおかげで、この村は助かりました。本当に、ありがとうございます」

 村長夫妻はそろって三つ指をつく。

「そんなに恐縮されても困るわ。私は、自分の仕事をしただけだもの」

 暖かい煎茶で一息つき、宝劉は大切なことを伝える。

「この村に雨を降らせるのは、土地神様じゃなくて山の向こうの水神様よ。村のどこかに祠を造って、そちらに参拝するといいわ」

「分かりました」

 そして、お礼と祝いのために、宴の席をという話になった。

「どうぞ皆さま、ご参加ください。宴の主役はお三方です」

「ありがとう、喜んで出席させてもらうわ」

 こうして、祝いの席が設けられる事になった。

「そうだわ、せっかくですから、あのお酒を村の人たちに振る舞ってはどうかしら?」

 村長の妻が言う。

「お、お前それはあんまりだろう。わしの分が無くなってしまう」

 村長が悲しげに返す。

「あらあなた、村長たるもの、村民の事を一番に考えなければならないのではなかったの?」

「そ、それはそうだが……」

 立派な体躯の村長は、身を縮めてしょんぼりする。

「あれは、わしの秘蔵の……」

「でも、こんなにめでたい事は、そうそうありませんよ」

 村長婦人は、掃除のために夫を説得する。

「それに、お酒はまた造ればいいじゃありませんか。大丈夫、きっと今以上のものができますよ」

 その言葉で、村長の顔はぱっと明るくなった。

「そうだな、また新しい酒を仕込もう。お前、手伝ってくれるか?」

「ええ、もちろんですわ」

 その晩、大人も子どもも集会所に集まり、祝いの宴が催された。魚の卵とじも惜しみなく作られ、酒も振る舞われる。

 どんちゃん騒ぎの中で、村長はじめ重役が部屋の隅に集まり、何やら話をしている。

 村人たちからの感謝の言葉に溺れていた三人は、それを見て失礼、と席を立った。

「宴の席なのに、難しい顔をなさっておいでですね。どうかしたのですか?」

 舜䋝が声をかけると、大人たちはおずおずと事情を話した。

「実は、新しい祠の入魂を、王女様にお願いしようと、相談していたのですが……」

「旅の途中でいらっしゃいますし、これ以上お引止めするのも失礼ではないか、と」

「しかし、劉家の方がいらっしゃるなんて、めったにない事ですから、ぜひお願いしたいのです」

 彼らの話を聞いた宝劉は、大きくうなずいた。

「いいわよ、引き受けるわ」

 その返事を、従者二人は止める。

「宝劉様、さすがにこれ以上の滞在は……」

「入魂はこの先の町の神官にやらせ、私たちは帰るべきですわ」

「えー、良いじゃない」

 宝劉は口をとがらせる。

「城に帰るのが五、六日遅れるくらい、兄様も気にしないわよ」

「殿下……」

「それが目的ですか……」

 舜䋝と彩香が呆れた顔をする。

「ああ、目的ではないわよ」

 宝劉はすぐに否定した。

「久し振りに仕事をして思い出したの。私、人の役に立つのが好きだって」

 ありがとうと言われるのも嬉しいが、自分が人の役に立てる事自体が嬉しい。

「もう少し、この村の役に立ちたいわ」

 そう言うと、二人もしぶしぶ承諾した。

 宴会の席をぬって、村長夫人が赤い封筒を持ってくる。

「さっき、王家の遣いと名乗る男が来て、これを置いていきましたよ」

「ありがとうございます」

 舜䋝がそれを受け取り、勅書を開く。

「何て?」

「……この先の柏津町で、燿さんと空鴉さんが待っていらっしゃるそうです。合流せよとのお達しです」

「あら、あの二人も迎えに来るの?」

 二人は蓮華に所属する中堅の隊員で、舜䋝の先輩にあたる。

「私たちがなかなか帰らないから、心配して寄こしたのかしらね」

 宝劉がそう言って考える横で、舜䋝は彩香に目配せする。事情を察した彩香は、物憂げな顔で小さく頷いた。

「あらー、賑やかにやってるわねー」

 宝劉が高い声に振り返ると、そこにはおしゃべりな飛魚がいた。

「ご挨拶申し上げます、土地神様」

 宝劉は村の土地神に頭を下げる。

「雨が降った祝いにと、宴をしているところでございます」

「あらそうなの、いいわねぇ。私、宴会って大好きよ。賑やかでいいわよね、心が躍るわ。宴の席なんて何年ぶりかしら。ここの民はそんなにわいわいやる方じゃないのに、今回はよっぽど嬉しいのね。劉家の人が来てるっていうのも大きいのかしら? そうそう、私からもお礼を言わなきゃね。雨を降らせてくれてありがとう、助かったわ」

「御礼の言葉、ありがたく頂戴いたします」

 土地神が一瞬黙った隙に、宝劉は自分の言葉をねじ込む。

「劉家として当たり前の仕事ではございますが、お役に立てたなら、良かったです。それとご報告ですが」

 宝劉は自分も言葉を続ける。

「貴神の祠の近くに、水神様の祠を造らせていただきたく存じます。村の者たちが、水神様に祈りやすいように。ご同意いただけますでしょうか?」

「いいわよー。私としても、そうしてくれるとありがたいわね。もう手紙を書かなくて済むし、話し相手もできるもの」

「ありがとう存じます」

 土地神の賛同を得られた。これで、心おきなく新しい祠を造ることができる。この土地神の「話し相手もできる」という言葉が少し不安だが、まあ、そこは気にしない。

 宴の翌朝から、作業は始まった。村の男衆総出で山の木を切り、加工し、組み立てる。ご神体と呼ばれる神魂の拠り所も、同時進行で作られた。

 そして五日後、祠は完成した。装飾や美しい彫刻は無いが、村人たちの真心が込もった立派な祠である。

 ご神体は水神の姿を模し、竜の彫り物が制作された。職人を呼ぶ暇は無かったので荒削りだが、大切なのは形ではない。

 まだ足元の悪い中、入魂の儀式が行われる。

「それじゃあ、始めましょうか」

 身を清め、王家を表す緋色の衣を纏って正式な化粧をした宝劉は、しずしずとできたての祠の前に歩み出る。深く拝礼し、入魂の祝詞を唱え始めた。

 舜䋝と彩香、村長はじめ村の人々は、遠巻きに儀式を見守っている。祝詞の意味は従者二人以外には分からなかったが、みな期待に胸を膨らませていた。

 祝詞が終わると、裸足の宝劉は錫杖を持って舞い始める。神呼の舞と呼ばれるそれは、鈴の音を天に届け、神の御魂を招く踊りだ。

 深緋の髪をなびかせて、宝劉は舞う。右に左に装束が揺れ、白い足が土を踏む。

 鈴の音がひときわ大きく響いた時、天から一筋の光が差した。優しい青色をしたそれは、すっと祠に降り立った。

 紅い巫女は舞を止め、社の前に平伏する。再び長い祝詞を唱え、儀式は終わった。

 礼をして祠の前から下がると、宝劉は村長に笑顔を見せた。

「これで、水神様はこの祠においでになったわ。これからは、ここに参拝するといいわよ」

「ありがとうございます」

 村人たちも、口々に感謝の言葉を述べる。宝劉はそれを嬉しく思いながら聞いていた。

 そして、儀式の後片付けを終えるとすぐ、一行は旅立つ支度を整えた。

「じゃあ、私たちはこれで失礼するわ」

 村の外れまで見送りに来た村民たちに、宝劉は言う。

「またいつか通りかかったら、お邪魔するわね」

「それは是非。こちらこそ、雨を降らせていただきありがとうございました」

 村長は深々と頭を下げる。後ろの村人たちも、それに倣った。

 村長夫人が、竹の皮に包んだ白米の握り飯を差し出す。

「せめてものお礼でございます。道中、お気を付けください」

「ありがとう」

 宝劉は直々にその弁当を受け取る。

「秋になって、この村の米が献上されるのを楽しみにしてるわ」

 改めて、村長夫妻と村人たちに別辞を述べ、三人はその村を後にした。

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