二、深森の姫(一)
新緑の森。鳥たちが飛び立つ。響くは二つの蹄の音。
「こらっ! 待ちなさい!」
旅に出て三日。一行は一羽の鳶を追いかけていた。
「返しなさいったら!」
携帯食をさらわれた。朝餉にしようと荷をほどいた時だった。
「まったく。鳶なら鳶らしく、油揚げでもさらってなさいよ! ちまきを盗るなんて、鳶失格だわ!」
地上を走る人間たちを嘲笑うように、鳶はぴーひょろろと声高に鳴く。
「早く返さないと、とっ捕まえて焼き鳥にしちゃうわよ!」
宝劉は必死に空へ向かって叫ぶが、悲しいかな、劉家は神と話す事はできても、動物とは言葉を交わせないのだ。
「諦めましょう宝劉様。山道を長く走ると、馬が疲れます」
舜䋝の言う通り、彼と彩香を乗せた月毛は息を切らしている。宝劉の愛馬も疲れ始めているようだった。
「そうね……残念だけど、あの鳶がおいしく食べてくれる事を祈りましょう」
一息ついて辺り委を見回し、宝劉は顔を曇らせる。
「あら? もしかして私たち、迷子になってる?」
「そのようですわね」
彩香が肩をすくめる。
「どういたしますか?」
獣道に近いながらも、目の前には馬の通れる山道が続いている。
「そうねぇ……」
少し悩んだ後、宝劉は手綱を握り直した。
「このまま行くわ。ここで立ち止まっていても、前には進まないもの」
「御意」
「承知いたしましたわ」
三人は新緑の美しい森の中を、また半刻ほど馬を進める。
しかし、両脇の景色は生い茂る木々だけで、一向に変化がない。細い山道は続いているものの、家や人の姿は見えてこなかった。
「困ったわね……」
宝劉は呟く。
この道が、人の棲み処に続くものなのか、それとも山奥へ向かう道なのか、それすら分からなくなっている。これ以上いたずらに進んでも、遭難の恐れが見えてくるだけだろう。
宝劉は馬を止めて、従者二人を振り返る。
「諦めて、訊いてみてもいいかしら?」
「良いかと思います」
舜䋝が答える。
「これ以上山奥に入ってしまったら、困りますから」
「そうですわね。もし遭難したら、逆にご迷惑をお掛けしてしまいますし」
彩香も同意した。
宝劉はうなずいて、さっそく馬から降りる。
後ろの二人も降りた事を確認すると、二礼二拍手をして、祝詞を唱えた。
「のー」
返事のような声と共に、土の中から土地神が現れる。
「の。劉家の人に呼ばれたの。何用なんだの?」
大きめの亀の姿をした土地神は、目を細めてのんびり言う。
「ご挨拶申し上げます、土地神様。私は現王の妹、宝劉という者です」
宝劉は頭を下げたまま挨拶する。
「恐れながら、この付近の道を教えていただきたく、お呼びしました」
「のー」
土地神はうんうんとうなずく。
「迷子になってしまったんだの。土地神としても、頼られるのは嬉しいの」
これはすんなり行きそうだなと、宝劉は安堵する。
しかし亀の続けた言葉に、意表を突かれた。
「ただ、ちょっと道を教える前に、一つ頼まれてほしい事があるんだの」
「……はい、何でしょう」
神様からの頼みを断る訳にもいかず、そう答える。
「私達にできる事でしたら、お手伝いいたします」
「の。ありがたいの」
宝劉の返事に、土地神は嬉しそうだ。
「実はわし、亀ではなくて玄武なんだの」
「え?」
宝劉は思わず声を上げる。目の前の土地神は、どう見ても亀にしか見えない。
「驚くのも無理はないの。相方が居ないと、そう見えるんだの」
そして、土地神は事情を話し始めた。
「相棒の蛇が、鳶にさらわれてしまっての、帰ってこないの」
「それは、大変ですね」
「の。わしらの力が半分になってしまったから、この一帯の生態系が、崩れ始めているんだの。危ないの」
二人組の神の場合、その神力は共に在る事で発揮される。仮に離れてしまった場合、その力は弱っていく。
「ええと、もう一方をさらっていった鳶の巣の場所は、お分かりになりますでしょうか」
「の」
土地神は肯定する。
「相棒の居場所は、お互いに大体分かるの」
「それでは、後ろに控えております二人に事情を話してから、ご案内いただけませんか」
「の」
亀はこれも肯定した。
宝劉は従者二人に向き直り、土地神の困り事と、それを解決する事を伝える。
「承知いたしましたわ」
「お役に立てるなら、お手伝いします」
彩香と舜䋝は、快く承諾する。
「ありがとう」
宝劉は微笑した。
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