一、山里の姫(三)
翌朝、旅の支度を整えた三人は、村の人たちに別れを告げていた。姫さんが村を出るということで、総出で見送りに来てくれたのだ。
「達者でなぁ姫さん」
「つらくなったら、いつでも帰ってきなよ」
「ありがとう。みんなも元気でね」
宝劉が一人ひとりと別れを惜しんでいると、大人をかき分け、子どもたちが三人の前に出て来た。先頭は新太だ。
「おい、白いの! おれと勝負しろ!」
丈夫そうな木の枝を威勢よく突き出し、舜䋝に宣戦布告する。
「勝負?」
舜䋝は首を傾げた。
「決着なら昨日ついたじゃないか。僕が勝っただろ」
「う、うるさい! 昨日のはえーと……」
新太は棒を構えたまま考える。
「えーと……そうだ、ぜんしょーせんだ、ぜんしょーせん!」
「前哨戦ねぇ」
舜䋝は仕方ないというように溜息をつく。
「いいよ、勝負してあげる。今度は本戦だからね」
「おう!」
これはまた面白いことになった。宝劉は喜んで介入する。
「勝負するなら、規則を決めなきゃね」
新太から枝を借り村人たちを下がらせて、地面に直径三丈程の円を描く。
「はい、じゃあ説明します。二人にはこの円の中で戦ってもらうわ。膝をつくか、円の外に出たら負けよ。いいわね?」
勝負を控えた二人はうなずく。そして円の中、少し離れて向き合った。
「おれが勝ったら、姫さんは渡さねぇ。一人で帰りやがれ」
「えっ?」
新太の言葉に、舜䋝は驚いて宝劉を見る。
「宝劉様、このガキこんな事言ってますけど、よろしいのですか?」
「んー……まあ、いいんじゃない?」
宝劉は少し考えた後、笑顔で許可を出す。
「頑張ってね、舜䋝」
「は、はい……」
「やあああぁぁぁ!」
彼の返事が終わるか終わらないかのうちに、新太が舜䋝にとびかかった。
「おっと」
舜䋝は慌ててそれをかわす。そして新太を脇に抱え、持ち上げた。
「離せ!」
新太はじたばた棒を振り回し、舜䋝を攻撃する。
「いてっ、痛いっ、やめろくそガキ」
近すぎて避けられない打撃を受けながら、舜䋝は脚を動かす。円の縁まで歩いていくと、新太を線の外に降ろした。
「はい、舜䋝の勝ちね」
宝劉が審判を下す。
「ちくしょー!」
新太は大声を上げ、目に涙を浮かべた。
その結果を見た子どもたちが、ひそひそと言葉を交わす。
「だから言ったんだよ、やめなって」
「相手が悪すぎるよね」
「初恋って叶わないものなんだよ。仕方ないんじゃない?」
その会話は新太の耳にも入る。
「うるせぇ!」
新太は棒を投げ捨てた。
座り込む彼の正面に、宝劉はしゃがみ込む。
「頑張ったわね、新太」
小さな頭をぐりぐり撫でて、ねぎらいの言葉をかけた。
「格好良かったわよ」
「でも、おれ負けたから……姫さん、あいつと遠くに行っちゃうんだろ」
少年の眼には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
「そうねぇ。ごめんね」
宝劉は苦笑して新太に謝る。
「私は都に帰るけど、いつかまた会えるわよ。ね?」
「うん……」
新太は手の甲で涙を拭う。
こうして少年と舜䋝の決着はついたのだった。
「もし僕が負けていたら、どうなさるおつもりだったのですか?」
舜䋝が、詰め寄るように宝劉に問う。
「あのガキ、宝劉様は渡さないとかほざいてましたし、最悪帰れなくなっていたのかもしれないのですよ」
「そうねー」
宝劉はのんびり答える。
「まあ、それはそれでいいかなーと思って」
「宝劉様!」
「冗談よ」
宝劉はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「まあ、もしあなたの方が負けたてたら、お腹抱えて大笑いしてやってたわ」
「そ、そうですか……」
万が一そうなっていたら、きっとしばらく立ち直れなかっただろう。舜䋝の頬を冷たい汗が伝っていく。
「でも、」
宝劉は言葉を続けた。
「大丈夫よ、あなたが一度戦った相手に、負けるはずないもの」
信頼してるわよ、と舜䋝の胸を軽く叩き、宝劉は村人たちの方へ戻っていった。
「良かったですね」
彩香が舜䋝の後ろから声をかけるが、うつむいたまま反応はない。
「あら?」
前に回って顔を見ると、青年は耳まで真っ赤にして固まっていた。
「あらあら」
どうやら彼の、宝劉への想いは健在なようだ。二年間も会わなかったのに大したものだと、彩香は感心して主人の後を追った。
「寂しくなるねぇ」
「時々は帰ってきなよ」
村人が、一人ずつ宝劉に言葉をかける。
「私も寂しいわ。またいつか遊びに来るからね」
宝劉もそれに応え、別れを惜しんだ。
全員と挨拶が終わると、宝劉は大きく息をつく。
「それじゃあ、私は行くわ。みんな、今まで村の一員として接してくれてありがとう。元気でね」
最後にもう一度別れを告げ、愛馬に跨る。
村人たちに見送られながら、宝劉は二年間過ごした里を後にした。
「さあ、帰りましょう」
時は栄孟三年四月。こうして、朱倭国王女、宝劉の帰途は、始まった。
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