二、深森の姫(二)

「そいじゃ、その鳶の巣まで案内するんだの」

 土地神は、短い脚をそろりそろりと動かして、一行を先導する。亀がゆっくり数歩歩くと、やっと人間たちの一歩になった。

「……」

 宝劉は、言いたい事を言おうかどうしようか迷う。

 口にしたら、神様に対して失礼になるのではないか。しかしこれでは遅すぎる。いや、亀の姿をしているのだから、歩みが遅いのは当たり前。それを否定するのは気が引ける。いやいや、こちらにも一応都合というものがあり、それくらいはわがままを言ってもいいのではなかろうか。

「……土地神様」

 いろいろと悩んだ末に、宝劉は声を発した。ちなみにこの熟考の間に進んだのは、人間の足で二歩である。

「申し訳ありません。ご無礼をお赦しください」

 そう言って馬を舜䋝に預け、宝劉は亀を持ち上げる。

「のー?」

「私が、土地神様をお運びいたします。例の鳶の巣まで、言葉で案内していただければと存じます」

 胸に抱えると、亀はうんうんと頷いた。

「この獣道を、しばらくまっすぐなんだの」

 土地神の言葉に従い、三人は歩いて行く。

「そこを左に曲がって、十歩進んだら右だの」

 言われた通りにしばらく歩くと、少し開けた場所に出た。足元に草が茂る奥に、立派なブナの木が立っている。

「この木なんだの。右上の方に、見えるかの?」

「右上……」

 見上げてみると、確かに枝を集めてできた鳶の巣があった。

「あそこに居るんだの。きっと、降りられなくなっているんだの。助けてほしいの」

「承知いたしました」

 土地神を地面に降ろし、宝劉は二人と相談する。

「あの鳶の巣に、蛇の方がいらっしゃるらしいわ。何とか、降ろしてほしいそうよ」

 舜䋝と彩香は考え込む。

「木に登って、直接お迎えに行くしかないのでしょうか」

「危のうございます。心配ですわ」

「でも、蛇の神様を目視できるのは、私だけよね……」

 少しの間話し合ったが、他に方法も無いだろうという結論になった。

「僕が最初に登って、枝の強度などを調べて参ります」

「ええ、お願いするわ」

 こうして、まず舜䋝が木に登る事になった。

 幹に足をかけ、手ごろな枝を掴んで身体を持ち上げる。慎重に上へ上へと登っていき、難なく鳶の巣へ到達した。

「あっ」

 巣の中にあった物を拾い、それを一度懐にしまって戻って来る。

「これがありました」

 舜䋝が取ってきたのは、先刻さらわれた携帯食料だった。

「あら、あの鳶失格の」

「奇遇ですわね」

 しかしその形は崩れ、あちこちにごみが付いている。手元に返っていたからと言って、口にする気にはなれなかった。

「太い枝を選んで行けば、強度は問題ないかと思います」

 舜䋝が報告する。

「問題なく登れるでしょうが、油断はなさらないでくださいね」

「分かってるわ。ありがと」

 宝劉はたすきを掛け、さっそく木に足をかける。

「頼んだの」

「はい」

 土地神と家来たちに見守られながら、宝劉は木に登る。気を付けながら進んでいくと、問題なく巣にたどり着いた。

「お、劉家の人間じゃねぇか、珍しい」

 鳶の巣の中で、蛇がどくろを巻いて鎮座していた。分かっていた事とはいえ、その光景に、宝劉は少し面食らう。

「お初にお目にかかります、宝劉と申します」

 目をぱちぱちさせながら、何とか蛇に挨拶をした。

 足場になる枝がそばにあったので、安定した姿勢を保つ事ができそうだ。

 宝劉は土地神の片割れに頭を下げる。

「鳶にさらわれ、降りられなくなっていらっしゃるとうかがいました。お迎えに上がりましたので、私と一緒に下へお降りください」

 丁寧に提案したのだが、蛇から返ってきたのは意外な言葉だった。

「嫌だね」

 簡潔かつ明確な拒絶に、宝劉は驚く。

「何故ですか?」

 そう訊き返した。

「俺は今、家出中なんだ。帰る気はないね」

「そんな……」

 そんな事を言われても困る。こちらも神に頼まれているのだ。

「喧嘩でもなさったのですか?」

「ふん、そんな事しないさ」

「なら、どうして?」

「あいつがのろますぎるからだよ。今まで永い事一緒にいたが、愛想が尽きたのさ」

「えぇ……」

 困惑した宝劉は、一旦降りる事にした。太い枝を辿り、慎重に地面へ降りる。

「の。どうだったかの?」

 すぐに亀が声をかけてくる。相方を案じている様子だ。

「ええと……」

 宝劉は言葉を詰まらせる。蛇を心配する亀に、彼の家出を伝えるのは少し気が引けた。

(これは何だか、面倒な事になったわね……)

「のー……」

 宝劉の顔が曇ったのを見て、亀も表情を変える。

「ああ、えーと、その……」

 宝劉は慌てて表情筋を動かした。

「蛇の神様はご無事です。ただ、少し難しい状況でして……」

「のー?」

 追及を逃れるため、宝劉は逃げるように大木へ足をかけた。

 鳶の巣まで戻り、もう一度蛇に声をかける。

「お降りになりませんか? 亀の神様も心配しておられます」

「嫌だね」

 蛇の意見は変わらない。

「俺はもう、帰る気は無いんだよ。あいつにもそう伝えておけ」

「しかし……」

 さらに説得しようとした時、巣の主が警戒音を発しながら飛んできた。

「また参ります」

 宝劉は急いで蛇に言い、鳶の巣から離れる。

 地面に足をつくと同時に、亀が不安げな顔をした。

「すみません土地神様。少し、家臣たちと話をさせてください」

「構わないの」

「ありがとうございます」

 宝劉は、助けてほしいという表情で、舜䋝と彩香の方を向いた。

「どうなさいました?」

「何かございましたか?」

 二人は心配して主人を見やる。

「実は……」

 宝劉は小声で、事の次第を二人に話す。

「あらまあ」

「それは困りましたね」

 簡単な依頼だと思っていたのに、妙な話になってしまった。

 人間三人はそろって首を傾ける。

「どうしたらいいかしら?」

「説得して降りていただくしか、無いのでは?」

「そうですわねぇ……」

 帰途の事も考えると、ここで時間と体力をくっている場合ではない。

「とりあえず、頑張ってみるわ」

 鳶が巣から離れたので、宝劉はもう一度木に上る。

「何度来ても無駄だぜ。俺は帰らないからな」

 蛇が言った。

「それは困ります。土地神様方が分かれたため、この山の生態系が崩れ始めているそうです。どうか、お降りくださいませ」

 宝劉は何とか説得を試みるが、蛇はしゅるっと細い舌を出し入れしただけだ。

「先程、亀の神様に愛想が尽きたとおっしゃっていましたよね」

 説得の方向を変えてみようと、宝劉は言う。

「でも、先日までの永い間、お二方は一緒にいらっしゃいました。仲良くされていたのでしょう?」

「ふん、どうだか」

「今までも、愛想を尽かしそうになった事は、あったのではないかとお察しします。蛇と亀は、身の動かし方が対極にありますし、それは性格にも表れているのでしょう」

 宝劉は、まっすぐに蛇を見る。

「しかし、玄武は本来、陰陽が融合した姿と言われております。貴神方は、お互いに無い部分を、補い合っていたのではありませんか?」

「……」

「確かに、合わないところがあったから、貴神は愛想を尽かされたのかもしれません。でも、そうでないところもたくさんあったからこそ、今まで永く一緒にいらしたのではないでしょうか」

 蛇は黙って、宝劉の言葉を聞く。

「どうか、もう一度お考えいただけませんか。亀の神様は、貴神を信じて、待っておいでです」

「……」

 そこへ再び、鳶の警戒音が響いた。

「また参ります」

 宝劉は急いでそれだけ言い、鳶の巣から離れる。足元の枝に体重をかけ、少しずつ降りていく。

 しかし、焦りが身体に出たのだろう。

「あ……!」

 宝劉は、足を滑らせた。

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