第8話 見慣れた背中


 ふと見上げたその先に見慣れた背中が見えた。

 しかも、その隣には妖艶な美女がいて、親しげに語らっている。


 あ、美女がちょっと横向いた。

 若いなぁ。20代前半かなぁ?

 金髪ロングヘア……ぱっちり二重の愛らしい瞳、白い肌……外国の人かな?

 ということは道を聞かれたのか?

 いや、それにしては妙に距離が近いような……。


「…………」


「どした? なんかあった?」


 ついつい目の前のカップルを凝視していたら、モグリンに声をかけられ我に返った。


「いや、ちょっと旦那に似た人を見た気がして……」


 他人の空似と思いたい。


「そっか。んじゃま、とりあえず今日はここまでだろ?」


「まぁ、そうね」


 夕飯の支度もあるし。


「換金処理もあるから、一旦消えるわ。また明日~♪」


 軽い口調でそう言うと、モグリンはポンっという効果音と共に消え失せた。


 するとその直後、旦那っぽい人と美女が別れて別々に歩き出した。


 別人だと思いたい……思いたいからこそ、確かめたい。


 気づくと、速足でベビーカーを押していた。

 そして、旦那らしき人物の真横を通り過ぎた時――。


「あれ? こんな時間にどーした? なんか買い物?」


 私に気づいた、旦那っぽい人改め、旦那に声をかけられた。


「ああ、うん。ちょっとスタンプラリーをしに……」


 なんと説明していいかわからず、とりあえずそんなことを口にした。

 ゲートクラッシュついでに、スタンプラリーもやっているので、嘘は言っていない。


「へぇ、ついでにあちこち連れて行ってあげられるし、いいかもね」


 言いながら、しゃがんでベビーカーの中を覗き込む。


「それで、何のスタンプラリーをやってるの?」


 娘のちっちゃな手をにぎにぎしながら、問いかける。

 ああ、そうか。スタンプラリーってひとことで言ってもいろいろあるもんね。


「えっと、あれ」


 言いながら、さっきクラッシュしたばかりのポスターを指さした。


「えっ!? 全駅? あれ、めっちゃ数あるよ」


「うん。つい始めちゃって……」


 始めたくはなかったんだけど、なりゆきで……。


「でも、地下鉄ってベビーカーだと難易度めっちゃ上がるよね。はぁ……」


 言いながら、今日の苦行を思い出し、げんなりしてしまう。


「ハードモードのPRGかってぐらい、ダンジョン感半端ないんだけど」


「まぁ、最近はエレベーターも増えてずいぶん楽になってきたけどね」


 言われて、殆どの駅に設置されているエレベーターを思い浮かべた。


「それは思う。前は階段しかなかった駅にエレベーターついてて、すごく助かった。でもさ……」


 うんうんと頷きながら同意しつつも、くるっと反転して例のポスターをずびしと指さした。


「問題はこのスタンプラリーのポスター!」


 さっきの美女のことが気になってつい苛立ちを旦那にぶつけてしまう。

 ホントはこんな話どうでもいい。むしろ、あの美女との関係が聞きたいんだ!

 でも、聞くのが怖いんだ。


「ベビーカーで行きずらいんだよ!」


 思わず、ぐっと握りこぶしを作って力説してしまった。


「階段でしか行けないとことか」


 エレベーターで行けるとこに貼って欲しいと何度思ったことか……。


「隠し部屋かってぐらい奥のとことか」


 人通りの多いところを避けているからか、普段絶対通らなさそうな路地の奥にあったりとか。


「柱の裏とかっ!」


 壁際全部辿って見つからなくて、途方に暮れていたら、柱の裏に貼ってあったこともあったなぁ。


「あと、せっかくエレベーターで上まで行けるのに、なんでわざわざそこからエスカレーターでちょっと下がったとこに貼るのさっ、上の掲示板めっちゃ空いてたじゃん!」


 これまでの苦労が脳裏に蘇り、ついつい声がでかくなる。


「え……? あ、ああ、それは……」


 私の剣幕に押されたのか、旦那がちょっと引いていた。


「あと! このスタンプラリーのサイトさ、どの辺に貼ってあるかヒント書いてくれるのはありがたいよ。ありがたいけど、『駅事務所付近』って文字だけ書かれてても場所わからんわっ! 構内図も載せてくれよぉ。わざわざ駅名+構内図で検索して調べるのめんどくさいんだよぉぉ」


 一気にまくし立ててしまった。

 でも、ちょっとすっきり。


 あの美女のことは気になるけど、気になりすぎるけど……。

 今日感じたイライラは吐き出すことで解消された。


「ああ、構内図はねぇ。部署にもよるけど、データ持ってなかったりするからなぁ」


 旦那が困った顔で言う。


「ん……?」


 データを持ってない? しかも、部署にもよるとな?

 なんだって、そんな関係者っぽい言い回しをするんだろう。


「なんでそんなこと知ってるの?」


 旦那はちっこい会社でシステムエンジニアをしているごくごく普通の会社員だ。

 地電の内部事情など知るはずはないのだが?


「ああ、前にちょっと仕事したことあるから」


 言っちゃダメなことだったのか、ばつが悪そうに頬を搔きながらそう告げた。


「地電の……?」


 なんて話ながら歩いていたら、娘がぐずりだした。


「下請けだし、ちょっとした手伝い程度だけどね」


 言いながら、ベビーカーのベルトを外して、娘を抱き上げる。

 と、途端に上機嫌になる娘。

 なるほど。パパに抱っこして欲しくて泣いたのか。


「構内図も載せたいのでデータ下さいって言ってもさ。『うちにはありません』って言われたらそれまでだから」


 おい、守秘義務大丈夫か? と、思いつつ、ついつい聞き入ってしまう。

 まぁ、仕事内容の詳細とかじゃないから、このくらいなら大丈夫……なのかな?

 というか、この口ぶりだと、さくっとデータが揃わず苦労したんだろう。


「同じ会社なのに?」


 思わず首を傾げたが。


「そうだねぇ。例えばだけど、同じ大学だとしても学部も校舎も違う研究室の研究データをさ。そこに知り合いもいないのに見せてもらうのって大変じゃない?」


 そう言われれば、納得だ。


「そっか、全部のデータが共有されてるわけじゃないもんね」


 などと、話しつつ、帰路につき。

 結局、その日は美女のことを聞けなかった。

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