第20話 親子

『とにかく、大人しくしとく!余計なことはしない!そこを一歩も動かない!わかったわね!』

 電話越しに聞こえるベルの声は思わずスマホから耳を遠ざけたくなるほど大きい。

「わ、わかったから。そんなに怒らないでよ」

『無理よ!あんた、どうしてそのトラックの荷台に乗ったって言った?』

「‥‥‥‥声がしたから『助けて』って」

『それで身を危険に晒している友達を叱るなって方が無理よ!』

「べ、ベルちゃん」

 思わず感動して涙を流しかけるアン。

『とにかく今から葉月と一緒に向かうから。如月君も先行しているみたいだから、絶対運転手には気づかれないように!』

「え、ちょっと待って」

 そこで鈴華との通話が途切れた。

「‥‥‥如月君たち来るのか」

 壁に背を預け、三角座りした足に顔埋めるアン。

 如月兄妹には本当に感謝してる。

 転校初日から助けてもらったし、女の子を救えたのも、この前の自殺者を助けられたのも彼らのおかげだ。

「何故か、ほとんど覚えてないんだけど」

 特にこの間の一件なんて、ビルから転落したと思ったら、いつの間にか蓮に抱えられていて、気がついたら家の近くまでいた。そこから数キロもあったのに。

 更に不思議なことにビルの倒壊は建物の老朽化となっていて、誰もあの事件のことを知らない。鈴華に聞いても。

「何、寝ぼけているのよ。私と一緒に歩いている時に、倒壊しそうなビルの目の前を通って、落ちてきた瓦礫から如月君が助けてくれたのよ」

 鈴華にまでそう言われてしまったら、もはや反論することはできなかった。もちろんそれは葉月と一緒に考えた作り話だ。

 因みにその時の怪我が原因で蓮は学校を休んでいると聞かされたので、今日の帰りお見舞いに行くつもりだったが。

「やっぱり、私、彼のこと嫌い」

 自分のこの考えが間違っているとまでは言わないが、一般とは違うことはなんとなくわかっている。

 銀行強盗に遭遇した時、人質を変わった時、顔に涙を浮かべながら鈴華に頬を叩かれた。

「あんたのその考え。私、本当に嫌い」

 今までにないぐらい怖い顔だった。

 もちろんそれが親友の身を案じての叱責だということは十分にわかっている。

 でも、人質になっていたのは妊産婦。しばらくした後に産まれた赤ちゃんを抱きながらお礼を言われた時、良かったと心のそこから思えた。

 正しいとは思っていない。

 でも、それでもこれを変えてしまうと、胸の中で大きく何かが疼いて、自分じゃなくなるような、そんな不安が脳裏をよぎるともうダメになる。自分の中から助けないという選択肢が一切取り払われて、気づけば手を伸ばしている。助けに向かっている。例えどれだけ自分の身を晒すことになろうとも。

「+**♀¥$##」

 その時、車が走る音の中に微かに違う音?というか、声らしきものが聞こえて顔を上げたアンの目と獣人の女の子の目が合った。

「‥‥‥‥え?」

 エメラルドグリーンの大きな瞳が何度か瞬きをした。

「人形じゃないの?」

 それが生き物だとは思っていなかったアンは驚愕を隠しきれない。

 そりゃそうだ。真っ白な髪の毛から生えている、作り物とは思えない二つの耳に今もぶらぶら動いている真っ白く長い尻尾。なのに、それ以外は二歳ぐらいの大きさながら人間そのもの。これをパッと見て、生き物だと捉える方が難しい。 確かに動いているようには見えたし、触れたら温かったのだが、それでも生き物と自分の中で即答できるほど、アンの頭の中で獣人というものは身近じゃないし、それが当たり前の解釈だ。

「+**♀¥$##?」

 何を言っているのかはわからないが、さっきとよく似た言葉。しかしさっきと違い少し不安そうに見えたので、アンが頷くと少女はパッと顔を明るくして、彼女の元に向かおうとしたが、少し進んだところで、まるでロープで引っ張られるように彼女の首は進行方向とは逆に引っ張られる。

「どうしたの?」

 何度やっても、彼女は一定距離以上動けない。まるでロープで首輪と壁が繋がれているみたいに。

「私が行くね」

 よくわからないが、少女がそこから動けないことはわかるので、アンは立ち上がり少女の隣に座った。すると少女は正座したアンの膝に身を預けた。

「か、かわぇぇぇ」

 思わずそう声が漏れるほどに、少女の姿は愛くるしかった。

 本物の猫のようだった。しかし、普通の猫よりも遥かに可愛らしくて、少し少女が動く度にくすぐったくて、恐る恐る頭を撫でると、その毛並みはとても滑らかで温もりがあり、撫でる度に気持ちよさそうな声を出す。

 感極まって、思わず声が漏れそうになったので、口元を抑えたアン。

 それぐらいに目の前の少女は可愛かった。

 一応言っとくが、別に彼女は格別動物が好きじゃないし、子供と遊ぶこともよくあるが、ここまでの感動を覚えることはない。それだけ目の前の女の子が圧倒的なのだ。

「でも、どうしてこんなところに?」

 一体、少女がどんな存在なのかはわからないけど、どうしてサーカスのトラックにこんな痛い気な少女が、しかも一人で。

 首を傾げるアンだったが、次の瞬間トラックは大きく揺れた。それはほんの一瞬だったが、少女は怯えたように小さな体躯でアンを力一杯抱きしめていた。

「大丈夫だからね」

 そう言って優しい手つきで少女の頭を撫でるアンの目の前に、

「凄いな。よくこれだけ集めたものだ」

 いつの間にか蓮がいた。

「き、如月君。な、なんで!」

 その瞬間、口を塞がれた。

「静かにしろ!気づかれる」

 アンがこくりと頷いたのを見て、手を離した蓮の目に少女が映る。

「あ〜この子が」

 そう言ってしゃがみ込みじっと、少女を凝視する蓮。

「+**♀¥$##?」

「はぁ?ああ、そう言うことか」

 また何かを発した少女の声をまるで聞き取れたように反応する蓮。

「え、わかるんですか?彼女の言葉」

「まぁな。簡単なイントネーションだけだが」

「な、なんて言っているんですか?」

「え、ああ、まぁ‥‥‥ママだとよ」

 頭を掻きながら言いづらそうな蓮の言葉の意味がよくわからず、ますます困惑するアン。

「え〜っと、それはどういう」

「刷り込みみたいなものだ。お前が、産まれて初めてみた女性だったんだろうな」

「わ、私が!嘘」

 先ほどからママを連呼されていたと思ったら急に恥ずかしくなったと同時に嬉しくも思えた。

「ママか。ヘェ〜ママか」

 緩み切ったその顔に蓮はイライラした。

 お前、状況わかってんのか。

 そう言いかけた蓮の頭に少女は手をおいた。

「+**♂¥$##++:*?」

 突然の少女の動作に一瞬、フリーズしたが。

「いや、違うから。両方とも違うから」

「え、何言ったんですか?」

「ああ、うるさい!」

 立ち上がった。蓮の口調はさっきほど強くなかった。

 照れくさそうに少女から目を逸らした蓮の姿に思わず微笑む。

「‥‥‥なんだよ」

「いえ、なんでも」

 なんか馬鹿にされているようで気に食わなかったが。

「とりあえず、後十分程でここを脱出するから」

「あ、はい。あ、でもこの子ここから動けなくて」

 どうしましょうか?というアンの問いに。

「はぁ、何言っているんだ。その子はここに置いてく」

 蓮の言った言葉が信じられなくて、真っ黒な瞳で彼を見上げる。

「そ、そんな」

 しかしその反応をすることは想定内。だから。

「何、お前窃盗しようとしてたのか?」

 葉月たちから託された言葉を彼女に投げかける。

 みすぼらしい服装。まずこんな少女が一人、トラックの荷台に積まれた時点で異常だ。連れて行こうとするアンの判断は正常だし、現に違法取引のブツなのだ。盗んだところで罪にならない。だが。

「良い、お兄ぃ。この取引は何事もなかったように成立させないといけません」

 今回、幸いなことに敵側にアンがこのトラックの中に忍び込んだことは知られていない。

 なら、アンがここでいなくなったところで怪しまれることはない。

 だが、商品がなくなった。しかも少女が今回の取引の大本目だろう。それがなくなったら大問題だ。

 彼らは血眼になって少女を探し、その過程でアンに辿り着いてしまうかもしれない。そうなったら言わずもがな、最悪だ。

 だから今回、アンだけを助けて、何事もなかったようにするのが最善なのだ。

「さぁ、さっさと彼女を引き剥がせ。なんなら昏睡させてもいいぞ」

 そう言った蓮の瞳は今にも力づくでも自分と少女を引き剥がす、そんな感じだった。

「‥‥‥このままにしたら、この子はどうなりますか?」

「‥‥‥必要とする人の元に渡される」

 蓮の気配。それに少女の怯え方からとてもじゃないが、その人たちが真っ当とは思えなかった。

「いやです。この子をこのままここに置いとくなんて」

「悪いが今、お前の意見は聞くつもりはない。どうしてもというなら、このまま力づくで」

 そこで蓮の言葉が途切れる。

 別に何かあったわけではない。抵抗されたわけでも、反撃されたわけでもない。ただ、ただ、こちらを睨み付けるアンの瞳に一瞬、圧倒されたのだ。

 あの時のミルナと同じ瞳に。

 しかしすぐにかぶりを振る。何かに取り憑かれたような、全く知らないその感覚から逃げるように、蓮は捲し立てる。

「いいから、さっさと引き剥がせ!」

「なら、私も置いていってください!」

「お前がここに残ったところで、何ができる!」

 魔王因子が埋め込まれた少女も、発動しなければ単なるか弱い人間の女の子だ。何の力も持ってない。

「それでも、私にはできません。この子をこのまま放置しておくなんて」

「さっきも言ったが、お前の意見は聞いてない。

 こっちも仕事でお前を助けているんだ。勝手にやらせてもらう」

「こっちもあなたたちの意見なんて、関係ありません。

 確かに、助けてくれるのもこんな危ないところに来てくれたのも感謝します。

 でも、私は物じゃありません。もし、ここで無理矢理連れて行こうとするなら、私は叫びます!」

 もはや怒りを抑える気も隠す気も蓮はなかった。

 歯軋りをし、握り拳を強く握った。

 気に食わない。気に食わない。

 気に食わない。気に食わない。

 勇者気取りの偽善者。

 自己犠牲野郎。

 臆病者の恥知らず。

 全て、蓮が異世界で、女性から浴びせられた言葉だ。

 女というものは、皆、わがままで傍若無人なものじゃないのか。

 いらなかったら即座に捨てて、必要な時だけ良い顔をして、それ以外は常に冷酷な眼差しをこちらに向けて、都合が悪かったらあっさり切り捨て、必要とならば体を売って、相手に寄生して、必要となくなったら簡単に裏切る。自分の保身を第一に考える。

 つまりこちらが手を差し伸ばしたら、あっさりとそれを受け入れる物じゃないのか。

 それが異世界で、引き篭もる前にみた蓮の女性の姿だった。

 それがなんだ。どうしてだ。

 気に食わない。気に食わない。

 気に食わない。気に食わない。

 どうしてあの女と同じような目で覇気のある意思で、口調で、自分に噛みついてくる。

『たわけ、今のお前はその女たちと一緒じゃ』

 そうなのか。

『凝り固まった頭と目で判断しよってからに』

 お前なのか。

『安心せぇ、お前はまだ変われる』

 やっぱりお前なのか。

『その時、ワシはまた必ずお前に現れる。だから安心せぇ』

 またお前は無理難題を俺に押し付けてくるのか。

 次の瞬間、壁を強く叩いた。思わず目を瞑ったアンだったが、目を開けた時に見たのは自分の真正面で胡座を掻く蓮。

『葉月、作戦変更だ!この獣人の娘を助ける方法を考えろ。時間稼ぎはする!

 え、知るか!たまには兄のわがまま聞け!』 

 そう言い捨てて、蓮は腕を組んで俯いた。

 一体、何が起きたのか分からず呆けていたアンだったが、目の前にいる蓮から先ほどの覇気がなくなり、まるで駄々をこねる年相応の男の子に見えて、思わずアンの顔から笑みが溢れる。

「あ、ありがとう」

「勘違いするな。お前は俺が大嫌いだ。

 次に同じことをやったら、容赦しない。たとえお前の友達を人質に取ってもな」

 怯ませるつもりだったし、脅迫つもりだった。なのに。

「なら、その時はとことん話しましょう!」

 目の前の女は怯まなかった。驚愕した蓮は顔を上げて、アンを見る。

「なんで、そうなる」

 彼女は笑顔だった。

「あなたが優しい人だとわかっているからです!」

 どんだけ思考を吹っ飛ばせばそんな結論に帰結するのか。理解するのも馬鹿馬鹿しいレベルだったが。

「だって、こんな可愛い子が如月君のことをパパと言ったんですから」

 明らかに蓮の表情が変わる。

「な、なんで、いや、違う」

 動揺してしまい、声がうわずってしまった。

 アンはキョトンとした。

 蓮の人間らしい挙動なんて、ドーナツを妹と取り合ったそれ以来だったからだ。

 思わず噴き出してしまった。

「お前、喧嘩、売ってんのか!」

「ご、ごめんなさい」

 涙を拭いながら、罰が悪そうにする蓮を慈愛の目で見る。

「でも、私は好きですよ。あなたのそのような姿」

「うるさい。それよりさっさと質問に答えろ」

「え?ああ、簡単なことです。

 私が産まれて初めて見た女性でママなら、初めて見た男性が如月君の可能性が高いですし、先ほどから妙に否定しようとしてますし」

 単なるバカだと思っていたのに。

「単なるバカだと思っていたのに」

「ちょっと、声が漏れてますよ」

「‥‥‥聞こえるように言ったんだ」

「本当に酷い人ですね。私もあなたが嫌いです」

「それは好都合だ。どうせ後数年でお別れだ。それまでは我慢してやる」

 いったいどういう意味だと聞きたかったが、再び蓮は俯いた。しかもあろうことが、彼の口からかすかな寝息が聞こえた。

「よく、寝られるな」

 そしてその寝息は抱きかかえた自分の胸元の少女からも聞こえた。

「大丈夫だからね、守るからね」

 その時、初めて気づいた。

 少女が蓮のジャージの裾を掴んでいたことに。

 どうしてこんな広い空間なのに目の前に座るのかと思っていたが、どうやらそういうことらしい。

「フフフ、やっぱり優しいな」

 嫌いだけど。

 そこで急激に羞恥心が沸いてきた。

 そりゃそうだ。胸元には少女。そしてその裾を掴まれた男性をパパと呼び、自分のことをママと呼んでいる。

 この状態を恥ずかしがらないほど、アンは冷酷ではないし、ましてや鈍感でもない。むしろ感情豊かだ。

「これ、やばいかも」

 火照った体。真っ赤な頬。

 こんな気持ちになったことは初めてだった。

 さっきまではマウントを取られないように平然を装っていた分、振り返しも大きい。

 とにかく、蓮が起きるまでに正常に戻らないといけないので、大きく深呼吸しした。

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