第17話 夢

 気がつけば蓮はそこに佇んでいた。

 魔界最深部に位置する魔王城。その最上階玉座の間。

 とは言っても、そこはほとんど建物としての原型を留めてなかった。

 床から壁に至るまで全て黒焦げ。窓は全て割れ、何もかもが今にも崩れ落ちそうで、これが本当のオープンハウスとブラックジョークを言いたくなるほどに天井はなく、生ぬるい風が吹き抜け、見上げれば魔界の象徴である赤と青の二つの月が見ることができた。

「久しぶりだな」

 見上げた月から視線を下ろし、玉座の上で何故か正座をしている幼女に蓮は声をかけた。

 長い紫色の髪の毛。血のような真っ赤な瞳。幼女体型にはどこまでも似合わない黒のシックなドレス。二つの黒いツノの片一方は折れて、コウモリのつばさのような背中の羽はボロボロだ。

「ふん、お前の顔なんて見たくもなかったわ!」

 魔王ミルナはその姿勢に似合わない今にも唾を吐きかけそうな口調で蓮を睨みつけた。

「さっさと出てけ!」

「よっこらせっと」

「何故座るのじゃ!」

 いきなり床に胡座をかいた蓮をミルナは指差す。

「だって、お前がいるってことはここ夢だ。だったら醒めるまで待ってくれ。夢の中まで動きたくない」

「ったく、なんでこんな奴に妾は負けたのじゃ」

 頭を抱えるミルナ。

「だから言ったじゃないか。条件さえ呑めば不可侵条約結ぶって」

「何が不可侵条約じゃ!一方的な、私的過ぎる条約じゃないか!」

「文句言うなら葉月に言えよ」

 その瞬間ミルナの全身に悪寒が走り、即座に椅子の後ろに隠れ、顔だけ覗かせる。

「あ、あの女いるのか」

 まるで子犬のように震え、辺りをキョロキョロ見渡している。

「本当に、葉月のことが苦手なんだな」

「初対面で開口一番が『私のペットにならない』って言った奴のことを警戒せんほうがおかしいわ!」

 物凄く正論で、逆に笑えてきて思わず口元を抑えた。

「安心しろ。夢にまで現れたら………俺、本当に死にたくなる」

薄い息を吐き、哀愁を漂わせ、空を見上げる蓮。

「‥‥‥お前ら、兄妹じゃないのか?」

「赤の他人だ。お前と俺の関係となんら変わりない」

 どこか寂しそうな表情に、ミルナは首を傾げ、椅子に座りなおした。

「よくわからんが、お前らは本当に面倒な奴らじゃ」

「そりゃ勇者は魔王に厄介に思われるものだろ」

「本当に面倒な男じゃ」

 そう言って深く溜息を吐いた後、ミルナも空を見上げる。本当に魔界かと思われるぐらいに、そこから見える星々は本当に綺麗で、でも魔界では星というのは、死人の象徴で、輝けば輝くほど、不気味だと忌み嫌われている。

「そういえばまだお礼をいってなかったの」

 ふと思い出したように、蓮を見る。

「なんの礼だよ」

「ワシを秩序ある魔王として終わらせてくれたことにじゃ」

「魔界で秩序って‥‥‥いや、お前が治めていた国の方がよっぽど秩序があったか」

 全てが実力主義。力が全て。そんな魔界のシステムが蓮は割と気に入っていた。

「俺、結構本気だったんだぜ。なのに一蹴しやがって」

「たわけ。魔王城で引きこもり生活を送らせてくれってどんなじゃ。

 全くお前ら兄妹はいろんな意味で規格外じゃったわ」

 見た目幼女なのに、疲労の具合は中年。余程苦労しているらしい。いや、ミルナに溜め息という概念を教えたのは間違いなく、藤堂兄妹だろう。それだけ、この兄妹はいろんな意味で彼女の脳裏に鮮明に焼きついた。

「‥‥‥‥それで、お前はなんでここにきたのじゃ?」

「いや、夢って言っているじゃないか」

「じゃあ、さっさと目覚めるなり、死ぬなりして、出てけ!」

「え〜まだ、寝てたい」

 大の字になって、今にも根を張りそうな勢いで仰向けに寝転ぶ蓮。

「目障りじゃ、お前と同じ空気を吸っているのが不快じゃ」

「息なんて吸ってないくせして。というかこれだけ換気よければ、同じ空気なんて吸うことないだろ」

「全く、お前は。なんだ、また何か悩んでおるのか。

 それとも、ワシに情でも湧いたのか」

 ニヤニヤ笑う彼女を蓮は一蹴する。

「ははは、冗談。誰があんな女に」

 今まで、女なんて碌な奴しかいなかった。

 村を救わなければ恨まれ、あっさりと裏切るし、助けてやったのに更に上の要求をしてくる。

 弱者であることを当たり前と思い、常に助けてもらえる存在。

 それが、蓮が異世界を旅してきた女のイメージだった。

「まぁ、せいぜい気張るのじゃな。

 お前という存在は大嫌いじゃが、お前の生への執着心だけはほんの少しは尊敬しているのじゃから」

 どこか優しい声に蓮は何故か無性にその顔が見たくなって体を起こしたが、そこに映ったのは朝日が差し込む自室だった。

「‥‥‥‥」

 しばらくベッドの上で呆けていたのだが、頭の中にビナーの声が響いた。

『変な奴に連れて行かれちゃった!』

 相変わらず意味がわからないことを言っているのだが、それだけで理解はできてしまう。すっかりこのサイクルに順応してしまった自分が本当に嘆かわしい。

 それでも彼は全く理解してない。

「くそ!あの女、少しは大人しくできないのか」

 そう言いながらも蓮はジャージに着替え、五階のベランダから外に飛び出した。

 悪態をつきながらも、誰よりも先に、誰よりも早く、何の迷いもなく彼女の元に向かう自分のことを。

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