第15話 生きる自由、死ぬ自由

「なんだ、この状況」

 言われた場所に到着した蓮は言葉を失った。

 その場所には数十名の野次馬と既に警察が到着して、当たりを囲んでいた。

 十階建ての雑居ビルの屋上。落ちたらほぼ死ぬというビルの縁にアンと誰かわからない中年のサラリーマンは一メートルぐらい離れて立っていた。その二人の腰にはロープが繋がれていた。

「あ、ヤッホ〜」

 どうしたらこんなことになるのかという疑問はさておき、男が飛び降りたら、まず間違いなく死ぬので緊迫感に包まれた現場の中で、一際明るい声で蓮を呼んだのはもちろん葉月だった。

 彼女が笑顔を浮かべているのは、まぁ、別に大した疑問ではなかったのだが、その隣に立っていた鈴華が思ったより冷静に佇んでいるのは疑問だった。

「落ち着いているんだな」

 もしかしたらこの二人、そんなに仲良くないのではないかと思ったが、

「前にも同じようなことがあったの」

 鈴華の口から出た言葉は予想以上に予想外だった。

「あの時は確か、銀行強盗に人質に取られた人質の代わりをかって出て」

「バカなのか、あいつは」

 口が滑るように出た蓮の罵倒に鈴華は何も言い返せず、溜息を吐く。

「というわけなのお兄ぃ。大変だよ。下手したら、魔王倒すより大変かも」

 まるで人ごとのように、この状況を楽しむようにニコニコ笑う葉月だが、別にからかっているわけじゃないと知っているので、必死で溜飲を下げる。

「なぁ、葉月。このミッション終わったら、あいつ監禁していいか?」

 とんでもない提案なのだが、その中に誰一人それを頭から人道的にどうなのかと否定するものはいなかった。鈴華でさえも確かにそれは合理的だと思った。命あってこそなのだから。

「非常に魅力的な提案だけど、もしかしたら魔王因子が彼女の精神状態にも関与していたら?」

 監禁状態なんて、普通の人ならまともな精神状態でいられない。もし、それがトリガーになって覚醒したら、もぅ、誰にも止められない。

「じゃあ、無人島に置き去り。定期的に食事は与えて餓死はしないように」

「多分、彼女がその島に住んだ瞬間何十匹もの肉食獣がその島に移住してくるよ」

 あの子の不幸レベルって、そんなレベルなのと、突っ込みかけたが。

「それは面倒すぎるな〜」

 あっさり蓮が納得したので、突っ込みそびれる鈴華。

「まぁ、それは追々考えるとして、今はこの状況をなんとかしようか」

 そう言って、葉月はビルを見上げる。

「さて、どうしようか?」

「藤堂君。あれだけ早く動けるんだから気づかれないようにロープ切れるんじゃ」

 確かに蓮のスピードならそれは可能なのだが、

「そんな緻密なことはできない」

 異世界での彼ならもしかしたら可能だったかもしれないが、力を半分以上に削られて、その回復力も半分以下。昨日あれだけのことをしたのだから、フルスピードに持っていくことも不可能だ。

「無理したら、一回ぐらいはできるかもしれないが、やりたくない」

「お兄ぃの最低な発言はともかく、あの位置。もしかしたらブレーキをかけらずにお兄ぃだけが、落下するかも」

 そんな間抜けな話、あるだろうか。

「というわけで、今回は出来るだけ能力に頼らずに解決する方法を探ろう。如月さんなら、危ない目に合うのが一日一回とは限らないし」

 蓮はうんざりする。本気でアンの監禁方法を模索する未来は近いかもしれない。

「さて、皆様案を募りますよ〜」

 緊迫感が漂う状況で、まるで緊迫感がない藤堂兄妹。

「これが異世界帰りの余裕って奴なの」

 そんな取り止めのないことを考えていると、

「あの男を殺す」

「リタも賛成」

「お、いい案だね」

 とんでもない意見があっさりと通過されそうになる。

「ちょ、ちょっと待って」

「でも、それをしたらお兄ぃが引きこもるのは、部屋じゃなくて刑務所の牢屋の中だよ」

「‥‥‥‥え?」

 心底意外そうな顔を浮かべている蓮。まぁ、無理もない。

「あっちには法なんてものはないからね。そういう感覚も鈍っているのかも」

 当たり前だが、こっちの世界にはちゃんと法がある。人を殺せば法で裁かれる。

「‥‥‥な、なしで」

 当然蓮も犯罪者になるのは嫌なので、即刻自分の案を却下する。

「救助隊の方がマットを敷いているから、放っておいても助かる可能性‥‥‥」

 そこまで語ったところで、鈴華は自分の考えの浅はかさに気づいて言葉を詰まらせる。

「落ちた瞬間にマットが破れるに一票」

 遠慮のない蓮の一言。だが。

「に、二票で」

 遠慮がちに手をあげる鈴華に葉月は笑顔を浮かべる。

「流石、私の見込んだだけある」

 いや、そんな嬉しそうに言われても、後、藤堂君『やっぱりお前もこっち側の人間になったのか』って目線で見るのはやめて。

 それから色々の案が出た。

「三階ぐらいから棒を出して、ロープを引っ掛ける」

 でも、それもマットと一緒でかかった瞬間、ロープが切れそうだという案が出た。

「結局、何をやってもあいつは助けられないじゃないのか?」

 たら、ればを言い始めたらキリはないが、それでもアンという少女のイメージが、蓮たちの思考をマイナスマイナスへと誘う。

「はい!」

 そこで、リタが元気よく手をあげる。

「はい、リタ」

「エルアなら、あの男を射殺できるから、その間にアンを助ける」

 リタの提案に蓮も葉月も頷く。

「それで行こうか、じゃあビナー、エルアに連絡」

「ちょっと待って!」

 その提案に意義を唱えたのは鈴華だった。

「それは最後の手段で。もし、それをやったら更に面倒なことになると思う」

「というと?」

 鈴華はひとつ息を吐いて、屋上にただずむ親友を見据える。

「あの子、自殺を止めたくてあそこに立っているんだと思う。だから」

「なるほど。もしここであの男を射殺したら、私たちの信頼は失うと?」

 鈴華はこくりと頷く。

「銀行強盗の時もそうだった。話を聞いてもらえるように必死に話しかけていたのに、最終的には機動部隊が突入して、あの子すごく悔しがっていた。だから」

「くだらない」

 そう切り捨てたのはもちろん蓮。

「死にたい奴は勝手に死なせたらいい。

 第一に、ここであいつが説得して生き延びたところで、あいつはあの男の人生支えられるのかよ。中途半端な手助けは、見捨てるよりひどいぞ」

 実に正論だと鈴華は思った。だから。

「だったら藤堂君、あの子を説得してきて」

「‥‥‥‥はぁ?」

「藤堂君の足なら誰にも気づかれずにあのビルに入ることはできるでしょ?だからあの子説得してきて、こんなくだらないことやってないで、さっさとその男を見捨てて、こっちに来いって!」

「な、なんで俺が」

「だって、藤堂君はあの子を守らないといけないのでしょ?

 だったら、困っている人に、死にたい人に、手を伸ばしてくれる人、そんな人たちに一々手を伸ばすあの子の性格面倒だと思うよ?

 だったら今のうちから矯正すればいいじゃないの?」

「そ、それはお前がすればいいじゃないか」

「あの子が私のいうことをちゃんと聞いてくれる子だったら、あの子あそこに立ってないでしょ?」

「うっ」

「アハハハハ」

 ずっと笑いを堪えていた葉月だったが、遂に我慢の限界だった。

「お兄ぃ。どう考えても正論でベルちゃんの言っていることは正しいよ。

 それにもし、あの男が強行して飛び降りたのなら、その場でなんとかできるのはお兄ぃだけだから、その場にいることは実に正しいことだと思うよ」

 にこやかな笑顔。

 反論してもいいよ。でも、時間の無駄だよ〜と有弁に語っている。

 こうなった以上、葉月を説得するのは無理だ。そうやって彼女は全てを決めてきた。

 村を見捨てることも。

 味方を囮にして火中に飛び込ませることも。

 信頼していた冒険者仲間を裏切ることも。

 そこには一切の私情は今までなかった。でも。

「お前、少し楽しんでいるだろう」

「なんのことかな?ほら言った、言った。サポートはちゃんとするから」

 そう言ってポンと背中を押されて、蓮はトボトボした足取りで、ビルに向かっていく。その背中は哀愁漂っていて、それを見る葉月の笑いは止まらない。

「見事だったよ。やっぱりベルちゃんは私が見込んだだけのことはある」

 蓮の姿が完全に見えなくなると、葉月は真っ直ぐ、屋上に佇むアンを見ながらそう告げた。

「‥‥‥‥別に。ただ、正しいことを正しいままに言っただけよ」

 メガネをクイっとあげる横顔は心底ホッとしていたのはよくわかった。

「今朝の質問、とりあえず保留しておいてあげる。でも、一応エルアはスタンバイさせるよ」

「‥‥‥‥」

 話を聞く限り、エルアというのは狙撃の名手なのだろう。だったら、彼を撃ち殺すのも簡単‥‥‥。

「え、ちょっと待って」

 とあることに気づいて、鈴華は葉月を見たが、

「うん、何?」

 あ、気づいている。絶対気づいている。

「‥‥‥‥私、葉月のこと嫌いかも」

「え〜同族嫌悪かな?」

 こんな女がゴロゴロいてたまるかと思いながら、とんでもない妹を持った蓮にベルは心底同情した。

 だから、利用したのは許して欲しいな。

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