第14話 魔王

「はぁ〜なんで、俺はこんなところにいるんだ」

 駅前にあるパン屋のイートインコ―ナの一角。山積みのパンを物凄いスピードで平らげるリタ。

「初めてみだぞ。ここから、ここまでって指差して注文する奴」

 この店は先にパンを選んで買ってから、イートインコーナーで食べるというセルフ式で、棚に並んでいる数十種類のパンを前にトングとトレイを持ちながら「どれにする?」とリタに尋ねたのだが、彼女は端から端まで人差し指をさして「全部」とただ一言。

 買う時も、今も注目の的を浴びている蓮はそれだけで精神が病んだ。

「食べないの?」

 有名キャラの顔が描かれたパンを一口平らげたところで、向かい席に座り、オレンジジュースだけ飲んでいる蓮にリタは首を傾げる。

パンの絵面えぐぃ。

「腹減ってないんだよ」

 元々朝は弱いのに叩き起こされ、目の前で大量のパンを平らげている光景を見ているだけでお腹いっぱいだ。

「食べる時に食べておかないと」

「こっちの世界では大丈夫だ」

 異世界では常に食糧難に悩まされた。村から村の移動に三日以上かかることはザラにあったし、道中もちろんコンビニもファミレスもない。

 ようやく村に辿り着いても、寒冷やモンスターの襲来により食糧難に陥っている村も多く、まともな食事にありつけるのかもわからなかった。

 ほとんどの食料がモンスターの肉なのだが、これが、当たり外れが多くて、中にはひたすらゴムを齧っているようなものもあった。

 調味料も乏しく、醤油や塩がないことがこんなにも辛いとは思ってもいなかった。

 しかも食べられるならまだましで、冬場の進軍となると、数日間食事がないこともあった。

 こっちの世界から派遣されたものの中には向こうの生活様式に馴染めず、リタイアするものも少なくなかった。

 まぁ、文化的で飽食の時代に生まれ育った人間がいきなり野宿。しかもトイレは草むらの影。風呂も川での水浴びで、食事も大して美味しくなく、薄い布きれ一枚、枕無しで寝る。そんな生活をしろとなったら、誰でもまいるだろう。

 その点、葉月と蓮は確かに辛かったのだが、大きな抵抗はなかった。葉月なんて初日の野宿から堂々と草むらの影でトイレをしていた。

 そんな生活が三年間続いたのだ。食べる時に食べないといけないという考えは中々抜けなかったのだが、こっちの世界に戻ってきて数週間経つ。流石に食糧への危機は無くなっていた。昨日はただ単に葉月への対抗心ゆえに起こったことだった。

「それより、ちゃんと金を払えよ」

 もちろんリタは一銭も持っていなかったので、全部蓮が払ったのだが。

「どうやって?」

 ああ、そうですね。言ってみただけです。

 葉月はルクサ族という種族で、年齢は人間よりも遥かに長寿なのだが、その姿は個体差こそあるが、見た目は六〜十歳ぐらいで、止まってしまうのだ。

つまりこっちの世界で労働なんて出来るわけがなかった。

 できたとしても裏稼業。リタの力ならちょっとした組織なら簡単に壊滅できそうなのだが、リスクを犯してまでやるメリットは皆無。幸い魔王を倒した報奨金として国王からたんまりとお金をもらった。しかも全部が純金貨。一気に換金すると怪しまれるので、少しずつやっているのだが、それでも衣食住に全く困らない生活をしているだけのお金にはなっている。この件が片付けば、間違いなく蓮は一生引きこもれるだろう。

 それだけが彼が今日生きている原動力だった。

「さっさと片付けたい」

 といっても、アンが十八になるまで後二年半はある。憂鬱になる。

「レンは魔王嫌い?」

 唐突に投げつけられた質問に蓮は怪訝な顔を浮かべる。

「なんだよ、その質問」

「嫌い?」

「魔王って、あの女のことか?」

 嫌いっていうより、面倒だ。ただでさえ魔王因子のせいで危険を引き寄せるというのに。

『このままじゃ、如月アンは守れないから、次の手を考えるよ』

 昨日葉月から告げられた言葉だ。

 そしてその言葉の意味を蓮もすぐに理解できた。自分達とは真逆の考えを持つということも。

「違う。魔王」

「はぁ?」

 質問の意図が最初はわからなかったが、

「もしかしてミルナのことを言っているのか?」

 ミルナとは蓮たちが最後に戦った魔王の名前だ。

 ドーナツを齧りながらリタはコクリと頷いたので、どうやらあっていたようだ。

「なんで、そんなことを聞く?」

「魔王と話してた。戦ってる間」

 よく見ているな。

「レンが話すの、珍しい」

「別に。この戦いが終わると、解放されると思って気分が高揚していたのかもな」

 そう言いながら目線を逸らした蓮。それが、彼が嘘をついた時の仕草だと、本人以外は知っている。

「リタはレンがどうして動くのかわからない」

「なんだよ、それ」

 リタはごくりとドーナツを飲みこむ。口元はチョコレートまみれだ。

「引きこもりたいのなら、死んだ方が楽じゃないの?」

 誰かは知らないが、口が軽い奴がいるなと舌打ちひとつ、ジュースを啜りながらも、紙ナプキンをリタに差し出す。

「死にたいわけじゃない。死にたいのなら、俺はここにいない」

 異世界なんて、死にたくなくても、ほんの瞬きの、ほんの刹那で死ねる環境だった。それでも蓮が生き残れたのはひとえに、生きることへの執着だった。

「俺は生きたいんだよ。だから極力、危険からは遠ざかりたい‥‥‥さっさと受けとれ」

 危ないことからの回避。戦わずに生き延びる方法。全ては生存確率を上げるためにやっている。だから。

 リタは手の代わりに口を差し出す。拭ってくれということなのだが、そんなことするわけがなく、口に貼り付けるように、ナプキンを突きつける。

「‥‥‥ケチ」

「やかましい」

 リタは渋々自分で口のチョコを拭う。

「だから、あの女を見てイライラしていた?」

 本当によく見てやがる。

「ああ、そうだな。自分の命よりも他者の命の方が大事だと考えるあいつの考えは本当に腹正しいな」

 そしてそれが護衛対象。こんなにも嫌なことはない。まるでそれ事態が精神攻撃のような。

「お前はどうなんだよ」

「リタ?リタは葉月についてくだけ。後こっちは美味しいものいっぱい食べられるから好き」

 ああ、そうだよな。こいつは食い物さえ与えていれば、大丈夫だよな。

「だから、死なないでね、レン」

 大きな翡翠のような瞳でこちらを除く彼女の顔に一瞬惹かれそうになったが、すぐに自分を説得させる。

 リタの中で蓮=ご飯という方程式を。

 何度こいつの無邪気な表情に騙されて、危ない橋を渡ったか。

 学習しない自分に頭を抱えた時だった。

『みんな、お知らせなの〜』

 ビナーの言葉が頭の中に響く。それを聞いただけで、蓮の体がずんと重くなる。休日出勤を命じられたサラリーマンのように。

「聞きたくない」

 しかしその声は常に一方通行。蓮の悲痛な叫びはビナーには聞こえない。

『なんか、ビル?の屋上で護衛対象紐に繋がれているの』

 意味がわからなさすぎる。

『というわけで集合』

 そう言った瞬間、全員の頭の中にビナーの現在地が告げられる。幸いなことにここから近い。

「何やってんだよ、あの女」

 頭を抱えながら、立ち上がる蓮。

「無視すれば?」

 リタの一言にその歩が一瞬止まりかけたが。

「‥‥‥いやだ。葉月に怒られたくない」

 そう言って再び歩き始めた蓮の背中をしばらく見つめた後、リタも立ち上がりテクテクとその後についていった。

「変なの」

 そう言ったリタの言葉は当然、蓮には届いてない。

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