第8話 逃亡
「くそやってしまった」
あっという間にSPを撒いて、路地に逃げ込んだところで、二人を降ろし、蓮は廃人のようにふらふらとビルの壁に頭を打ち付けた。
「はぁ〜藤堂君とても足が速いのですね。しかも凄いジャンプ力」
「本当ね!とても楽しかったわ!」
どう考えても人間離れした動き。しかしそれに正しく疑念を抱ける人は彼の目の前にはいない。
しかしそんな二人の声なんて、全く彼には届いていない。
ただ、彼は反射で動いたのだ。フリスビーを投げたら取りに行く犬のように、長年の葉月による調教の成果であり、それを認めるのは当然の如く蓮にとっては遺憾だった。まぁ、認めるも認めないも、実際動いてしまった今となっては、どんな言い訳も通用しないのだが。
「あの、ところでどうして私たちは逃げたの?」
今更になって、首を傾げるアン。
「知らん!葉月に聞いてくれ!」
そう言い放った後に、蓮は大仰なため息を吐いた。
「だが、あいつの指示は大概正しい。だから今回も意図があるはずだ」
自分がここに立っていられるのも、葉月がいたという要素が大きい。
いや、根本的なところを言うと葉月に絡まれなかったら、危ない目に遭わずに済んだのだが、それはまた別の話だと自分に言い聞かせる。
「とにかく、俺たちは次の葉月の指示があるまで、逃げるだけだ」
そう言ってビルの壁に座り込んだ蓮にアンは微笑みかける。
「信頼しているんだね、葉月ちゃんのこと」
出会ってから常に人間関係に興味がなく、人と距離を取ってきたので、初めて誰かを信頼して動いたという発言にアンは微笑ましく思った。
「遅くなりましたが、この間溺れているところを助けてくださって、ありがとうございます」
どうして今なのかとアン自身も思ったが、今じゃないと言えない気がした。
「‥‥‥俺の意思じゃない」
「でも、助けてくれたのは藤堂君です」
俯いている蓮がどんな顔をしているのかはわからない。それでもアンは微笑みかける。
一体、彼がどうして自分を守ってくれるのかも、こうやって自分と一緒にいてくれるのかはわからない。
ただ、わかることは一つ。
この人は悪い人じゃない。そして自分は全く知らない。ならやることは簡単だ。仲良くなることだ。
そう決意した瞬間、不意に顔を上げたアンは目を見開き、
「ゆいちゃん!!!」
そう叫んだ。
顔を上げた蓮の目に映ったのは路地の入り口でこちらに向けて銃を構えている黒ずくめの男と彼が銃口をむけているゆいに飛びつこうとするアンの姿だった。
「くそ!」
蓮が動き出したと同時に、発砲音が路地裏に鳴り響く。今上げられる能力値を最大限まで上げたことによって、なんとか二人に飛びかかり、弾丸が蓮の肩を掠める程度にすんだ。だが。
くそ、どうしたら。
この力は筋肉に電力を流すみたいに瞬発的に身体能力を極限まで上げることができる力なのだが、反動も大きく、体が動けるようになるまで十秒ほどのラグがある。男が第二射を放つには充分な時間だ。
アンに覆いかぶさるように倒れたおかげで、自分を貫通して彼女に当たる可能性は低いのだが、ここで自分が動けなくなったら、どっちみち結末は一緒だ。
なら、ここで取れる最善手は。
「おい、待て!この子は差し出す。だから!」
しかし、次の弾丸が飛んでこない。十秒が経って体が動き始めたので起き上がると、そこに黒ずくめは立っておらず、倒れている彼の傍に経っているのは、クッキーを頬張るリタだった。蓮は安堵の息を吐く。
彼女はゆっくりと彼の元に歩み寄り、弾丸が掠め、血が出ている彼の肩に
右手を添えた。
「きょうか」
そう言った瞬間、彼女の手が光る。わずか数秒の光だったが、リタが手を離した瞬間に蓮の傷口は塞がっていた。
「どうしたんだよ。随分気前がいいじゃないか」
「道具は大切にしないとって、葉月に言われた」
「あ、さいですか」
そんな二人を見ていたアンの顔には驚愕がくっついていた。
しかしそれはリタが蓮の傷を癒したことにではない。ましてや銃で狙われたことではない。
「藤堂君。今、さっき」
しかし彼女が言葉を紡ぐ前に、スマホの着信音が鳴り響いた。ディスプレイには鈴華の名前が出ていたので、平静を装い出る。
「はい」
『あ、アン。大丈夫?』
「う、うん。大丈夫」
『そぉ、よかった。近くにゆいちゃんいる』
「う、うんいるけど。今、ちょっと気絶している」
先ほどの発砲音に驚いたのだろうか。
『そりゃ良かった。じゃあ、今からスピーカーモードにして、藤堂君にも聴こえるようにして。そこにいるリタ?さんにも。藤堂さんの指示だって言って』
いつもと違う鈴華の声色に何か嫌な予感をしながらも、スピーカーモードにした。
『え、まずはアン。あんたユイちゃんそこに放置して、すぐにこっちに戻ってきなさい』
親友から放たれたその一言に、目を見開き、叫ぶ。
「なんで!」
『簡単よ。狙われているのはゆいちゃん。私は友達をいつまでも火中にいさせるつもりはない。もし、拒否するなら力づくでも、連行させるわ!』
鈴華の鋭く、冷たい口調にアンは呆けていた。
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