第7話 お出かけ

 金曜日の放課後。アンに提案されて、葉月と蓮と鈴華の四人は電車に揺られること二十分のところにある繁華街に足を伸ばしていた。鈴華に提案された街案内を実行するためだ。

 案の定蓮は渋ったのだが、葉月に説得、もとい脅迫されて、仕方なくついてきた。

 繁華街といってもこの辺ではという意味で、決して大きくなく、ここから更に電車で二十分程先に大きなターミナル駅が鎮座する本物の繁華街があるのだが、そこは放課後に行って案内できるような場所ではないし、案内できるほどアンも詳しくはなかった。だから比較的よくきて、ある程度のものを揃うこの場所を選んだのだ。

「さぁ、どこから案内しよう!」

 ボーリング場やカラオケ。百貨店や雑貨店。高校生が服を選ぶとなると店は少ないので、案内できるところは少ないことを掻い摘んで説明したうえで、尋ねたところ。

「‥‥‥‥い、ぇえぇぇ」

 蓮が家と言い切る前に、葉月が容赦なく、脇腹をつねったのだ。

「お兄ぃ、いきなり女性の部屋に行きたがるなんて。コアウルフでももうちょっと節操がありますよ」

 もちろん別にアンの家に行きたいというわけではない。ただ単に帰りたいだけなのだが。

「え、アンの家に行ったところで、何も遊ぶものなんてないけど、そんなにひきたぃぃ」

 今度は鈴華がアンの頬を思いっきりつねった。

「あんたも少しは発言に気をつけなさい。ごめんなさいウチの友達(バカ)が」

「いえ、折角誘ってくれたのにウチの兄(クズ)が空気の読めない発言をしてしまって」

「‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥」

 じっと葉月を見据える鈴華。

 にこやかに微笑む葉月。

「とりあえず放してよ〜」

「いい加減にしろ!」

 およそ刹那だったのかも知れない。それとも数十秒間だったのかも知れない。お互いの腹を探るように相手を見ていたのは。一つ言えることはアンの頬と蓮の脇腹を真っ赤に染めるのには充分な時間だった。

 葉月の提案で四人はとりあえず某有名チェーン店のドーナツ屋でおやつを食べることにした。放課後の高校生はお腹を空かせているので、反対するものはいなかった。

「美味しい!」

「おい、妹よはしたないぞ!」

「お兄ぃだけには言われたくない。あ、こら取るな!」

 どこにでもあるので、そこまで珍しいものではないのだが、二人揃って十個あるドーナツを次々に平らげていく。

「あははは、うん、喜んでくれて何よりだよ!」

 二人の食いっぷりを見て、アンは微笑ましく笑い、鈴華はカップを持ち上げたところでフリーズしていた。

「よかったら、これもあげるわ」

 折角買ったのだが、見ているだけでお腹いっぱいになった。

「え、いいの?」

「おい、葉月半分個だ!」

「何を馬鹿げたことを言っているのかなこの愚弟は。これは西九条さんが葉月にくれたものだよ」

「そんなに慌てなくても」

 まるで今にも誰かに取られそうな勢いでドーナツを食べる二人に嗜めるように言ったのだが。

「西九条さん。食べられる時に食べとかないと、次いつ食事ができるかわからないよ!」

「そうだ。もしかしたら数日後になるかも知れない」

「‥‥‥‥」

 この飽食の時代に生きる、若者らしからぬ発言。

 やっぱり何か隠している。

「確かに!じゃあ、私もおかわりを」

 そう言って立ち上がったアンに、鈴華は眼鏡を人差し指で上げて告げる。

「あんた食べすぎると、また晩御飯食べられなく、そうなるとユミさんなんていうか」

 その瞬間、アンは浮かしていた体を降ろした。

「ユミさんというのは?」

 その名前が出た途端に顔を青ざめたアンの表情を見て、葉月は首をかしげる。

「ああ、この子のお姉さん。アンの両親両方とも海外赴任だから、親御さんみたいなもの。そしてご存じの通り、この子こんな体質だから心配かけることも多くて、それで過剰に過保護になっているというか」

「あれは鬼だよ。ううん、鬼で済むものじゃない。親玉だよ。この人類一瞬で滅ぼしそうな。うん、魔王だよ!」

 断末魔を聞いたような表情で、叫ぶアンに呆れたように目をつぶりため息を吐いた鈴華だったが、目を開けた時に見た藤堂兄妹の表情が妙に思えた。

 何かアンが言った一言に何か彼女たちにとって触れてはいけない一言があったのか、先程まで勢いよく食べていたのだが、蓮は手を止めて明後日の方を向いて、葉月はナプキンで口元を拭っている。だが、その顔がにこりと笑う。

「良いことを聞きました。つまりこれからは何かあればユミさんにご報告すれば良いのですね?」

「え、ちょっと葉月ちゃん。何言っているのかな」

「如月さんは少々危なかっしいところがあるので、お灸を据えてもらえる人は有難いと思いますが。友達として心配ですので」

「え、葉月ちゃん私と友達になってくれるの!」

 前のめりで、目を輝かしながら葉月にそう言うアンに『そっちなの』と突っ込む鈴華の声なんて聞こえない。

「ええ、もちろん。宜しければ西九条さんとも友達になりたいのですけど」

「え?」

 突如葉月に見つめられて、思わず苦笑いを浮かべる鈴華。

 笑っているけど、凄い作り笑いなんだよね〜。

「‥‥‥別に良いけど」

「あ〜でた。ベルちゃんのツンデレ!」

「あんたのほっぺたって本当に柔らかいわよね〜」

「ひぃたい、ヒィたい」

 解放された頬を摩りながら、アンは席に座り、蓮に視線を送る。

「よかったら、藤堂君も友達になりましょ!」

 その一言に場が凍りついた。

 なにせ彼は登校初日に彼女に対して告白紛いのことをしているのだ。つまり今のアンの発言は実質蓮を振ったことになる。もちろんそのことに気づいていないし、

「いや、嫌だけど」

 当の蓮も忘れていて、友達なんてそんな面倒な関係、願い下げだという意味で言ったのだが、葉月の前でその発言は悪手そのものだった。

「お兄ぃはアンさんとは友達関係じゃ、満足してないと言っております」

「へぇ?」

「おい」

 葉月の一言に首をかしげるアンと何を言っていくれているんだと目で突っ込む蓮。

「はぁ〜アン。あんた登校初日に彼に言われたことがあるでしょ。

 で、そのことに対するあんたの答えが友達?」

 普段はあまりこういう悪ノリに付き合うことはないのだが、状況を全く理解できずにこちらに答えを求めてくる視線が面倒だったので、さっさと払い落としたかったのだ。

 鈴華の答えを聞いて、しばらく硬直していたアンの顔がみるみる真っ赤になっていく。

「いや、待って、違うの、違うの。いや、違ってはないけど、それが違っていてね、だから、その」

「え!なんで!」

 手を大きく振りながら支離滅裂なアンの声に被さるように、聞こえたその声の主はレジ前に立っていた女の子だった。

 年齢は八歳ぐらい。白のブラウスに黒のワンピース。茶色混じりの長い髪にはウェーブがかかっていて、綺麗に整えられ、もしそれが普段使いの服装ならとても育ちの良さを感じる。 

胸の辺りまでの高さにあるカウンターに身を乗り出して、レジをしているおばさんに苦言を呈している。

「だからね。お金がないと買えないの」「え〜でも、いつもは何も言わないでくれるのに!」

 どうやらお金がないのに、ドーナツを買おうとしているらしい。いつも出てくるというのは、きっとおつきの人か誰かがお金を払っているのだろう。

「財閥の娘かしら」

「貴族の娘だと思いますけど」

「‥‥‥‥‥‥え?」

 葉月の一言に、首を傾げる鈴華。

 だが、それよりも驚きの出来事が起こった。

「おいくらですか?」

 隣にいたアンがいつの間にか、女の子の隣にいたのだから。

「え、アンちょっと」

 だが、もう時すでに遅し。

 お会計を終わらして、女の子と共にこっちに歩いてきた。

「この子、ゆいちゃんって言うの。一緒にいいよね?」

 いつの間にか名前まで聞き出して。

 話を聞いていると、予想通りゆいは良いところのお嬢様でボディガードの人とはぐれたという。

絶対、嘘でしょ!!

 ドーナツを口いっぱいに頬張りながら、口の周りをチョコまみれにして、それをアンに拭ってもらっている彼女に、鈴華と葉月は心の中で同時に突っ込む。

 ボディガードが護衛対象を見逃すなんてありえない。つまり彼女は逃げ出してきたのだ。今頃大騒ぎになっているはずだ。

 ちなみに言うと席は四人席だったので、蓮は近くの壁にもたれかかり、眠っている。

「ありがとう。助かったわ!あんたやるわね」

「ウフフありがとう。あんたじゃなくて、アンね」

「アン。気に入ったわ。私の友達にしてあげる」

「本当!ありがとう!」

 本当に嬉しそうにしているアンに鈴華は溜め息を吐く。

「それで、これからどうするつもりなの?」

「うん、折角出会ったんだから、彼女を家に送り届けようと思って。いいかな?」

 やっぱりこうなったと思い、そしてこうなったらアンは止まらない。

 頭を抱えて、目の前にいる葉月をチラリと見たら、彼女は口元に手を当てて、何かしら考えていたがすぐににこりと微笑む。

「はい、人助け。良いと思います!」

 その発言に苦言を呈したのは当然先ほどまで眠っていた蓮だった。

「おい、ふざけるな!」

 厄介ごとを増やすのは蓮が最も嫌うことだった。ところが葉月は彼の苦言なんて、全く聞こえてないかのように、聞き流す。

「多分、相手も探しているでしょうし、そこまで労力を費やすこともないでしょう。

 それに、こういうお転婆な子には必ずついているはずですよ」

 葉月の言いたいことを鈴華は理解して、確かにそれなら大した労力にはならないと思い、ゆいが食べ終わったのを確認して、立ち上がる。

「ここじゃ、迷惑だろうから移動しましょう。

「ええ、賛成です」

 そして六人はドーナツ屋は後にした。もちろん蓮は最後まで渋ったのだが「これも仕事だよ。お兄ぃ」と葉月に耳打ちされて、舌打ちひとつ、続いた。

 少し日が傾いて、帰宅ラッシュに近い時間になってきたせいか、人通りも増えてきた。できれば日が暮れるまでにはこの案件を片付けたいと思っていた鈴華だったが。

「こうも早く」

 店を出て、少し歩いたところで「そこの公園に入りましょう」という葉月の提案に従い公園に入った。

 公園といってもマンションの間にある小さな公園で、遊具は一応あるが、今は誰も遊んでない。この時間帯に一人もいないのに疑問に思う鈴華だったが、すぐにその違和感の正体に気づいた。

葉月達が入った瞬間に封鎖されたことに。

 そして公園の真ん中に立ったところで、周囲を黒ずくめの男たちに包囲されたことに。

「え、なに、なに」

 動揺するアンだったが、他の皆は表情一つ変えなかった。

「こんなにも早く終わるなんて」

 状況的に考えて、彼らはゆいのSPだろう。つまり彼らに彼女を引き渡したところで、私たちは晴れてお役御免だ。

 安堵の息を吐く鈴華は、葉月の方を見た。鳥肌が立った。

 先ほどまでの笑みは成りをひそめ、鋭い目つきで彼らを睨みつけ、少しでも彼らが動いたら何かしらの行動を取ると思わせるぐらいに警戒心を顕にしている。

「藤堂さん。どう」

「お兄ぃ、ゆいさんとアンさんを連れて逃げてください」

「‥‥‥‥え?」

 葉月の言葉を鈴華が理解する前

「きゃぁ」

 蓮はアンを抱き抱え、

「しっかり掴まれ!」

 戸惑うゆいを背中に背負った。

 突然の蓮の行動に傍観していたSPたちが動き出し、彼を捕縛しようとする。ところが、まるで彼らの動きが見えているかの如く、紙一重のところで軽やかに交わし続ける。普段教室で常に惰眠を貪っている男の動きではない。

「なんだこいつ」

 蓮の動きに困惑するSPたちを掻い潜って、更に包囲されている入り口をさけ、近くの生垣を大きく跳躍して飛び越え、公園から逃亡して行った。

「くそ、追え!」

 一人の男の指示のもと、次々に蓮の後を追う。

 残った男は葉月を睨みつける。

「どういうつもりだ!」

 屈強なサングラスをかけた大の男に睨みつけられたのだ。萎縮するなり、少しでも怯むなりの行動を取りそうなものだが、彼女はまた柔和な笑みに戻って、彼にこう提案する。

「あなたを兵のリーダーとお見受けして、提案します。私たちと協力しませんか?」

 風が公園を吹き抜ける。砂埃が立つ公園の真ん中に立つ葉月の姿は威風堂々としていた。

 本当にあなた、何者?

 その後ろ姿を見つめる鈴華の疑念は深まるばかりだった。

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