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「この世界で人間として生きるには、しがらみが多すぎる。あまりに制約が多すぎて、わたしたちは長い人生のどこかで生きる意味を見失ってしまう。だから、人間を捨てるための方法として、アンドロイドを開発した。それがわたしの父親がやったこと」

 真面目に一日の全ての授業を終えて学校を出ようとすると、早退したはずの深シギが校門の前で僕を待ち伏せていた。その理由を訊くと、「柊くんのことが好きだから」と言われた。僕がそのまま無反応で何も言わずにいると、「柊くんには理解できないよね。アンドロイドは絶対に恋愛なんかしないんだから」とシギはにやにや笑いながら言った。今朝から急にシギが笑うようになった。

 まあ、確かに僕は一生恋愛とは無縁だ。そもそもそういう本能は備わっていないし。

 アンドロイドは子孫を残す必要性がないし、その手段もない。

「わたしの父親は、世界で初めてアンドロイドを開発した人なんだ」

「……へぇ」

「まあ、わたしとは苗字が全然違うんだけどね。わたし父親に会ったことないし」

 こういう、こちらが訊いてもいない事情を勝手にべらべらと話すあたりに、シギの若さを感じる。研究者としての技量と精神年齢は無関係なのだという知識を得る。

「世界中の人々は、アンドロイドは人間の生活を補助するために開発されたと思ってる。でも違うの。アンドロイドは、今までの発明とは全く目的が違うの。人間の生活を豊かにするために開発されたんじゃない。人間の生活を捨てるために開発されたんだ」

「そんなことは初めて聞いたけど」

「父親は死んじゃったし、今こんなことを言っているのはわたしだけだからね」

「…………」

 僕はシギに手を引っ張られるままに、駅前の繁華街を歩いていた。当然こんな繁華街は小学校からはそれなりに離れた位置にあるため、僕たちはかなりの距離を歩いてきた。あたりはすっかり暗くなり、頬を赤くした大人の姿が目立つようになり、油と紫煙とアルコールが混ざり合った酷い臭いが漂っている。

 そんな大人の世界を、小学生の女の子とアンドロイドが手を繋いで歩いている。自然、すれ違う人全員と目が合う。

「人間はその長い人生の中で、いくつもの高い壁を乗り越えなければならない。いっそ死んだほうがましなほど辛いことだってたくさんある。でもやっぱり死ぬのはどうしても怖い。だからさ、もうアンドロイドになっちゃえばいいんだよ」

「……あのさ、シギ」

「柊くんはわたしたちと違って、無理して学校行く必要なんかないんだよ。柊くんは偉い人の指示に従ってあの傀儡学園に通っているけれど、別に指示を無視したって柊くんは死なない。これからの人生に何の不利益もない。柊くんはどこまでも自由なんだ。でもわたしたち人間は、小学校を卒業しなければ生きていけない。義務教育を受けていないと誰にも雇ってもらえないし、仕事ができないと食事と睡眠を確保できないから」

 シギは穏やかな口調で淡々と言いながら、僕の手を強く握って、強く引っ張って、ぐんぐん進んでいく。やがて薄暗い繁華街の中のさらに暗い裏路地へと直角に曲がる。繁華街の喧騒を遠く背に聞きながら、居酒屋の換気扇から漏れ出る生温かい腐臭に顔を顰める。

「あのさ、シギ。もしこれから僕を殺そうとしているなら、それはやめておいたほうがいい」

「アンドロイドはそんな簡単に殺せないでしょ。なんでそんなにビビってるの?」

「違う。そういう問題じゃない。僕を殺そうとしたら、大変なことが起きる」

「そんなことわかってる。あんまりわたしを舐めないほうがいいよ。柊くんがどういうアンドロイドなのかくらい、わたしだって理解して……」

 そこでシギが不意に足を止めた。

岩石が砕けるような硬質で乱暴な音があたりに響いた。

 シギのまさに目と鼻の先に、長い日本刀が地面に突き刺さって立っていた。

「え……、なんだこれ」

「あー、始まったんだ、カタストロフィ」

 シギは冷静な声で、日本刀を見つめてそう呟いた。

「は……?」

「これから食物連鎖の頂点が入れ替わるんだよ。大量絶滅が起こって、この星の生態系がひっくり返る」

 頭上を見上げると、建物の屋上からこちらを見下ろす人影が、一人……いや、二人、三人、四人五人六人七人八人九人十人……。

 そして、その全員が、僕と全く同じ顔をしていた。

 つまり、僕と同じタイプのアンドロイド。

 僕と全く同じ見た目をした無数のアンドロイドが、建物の屋上から僕を見下ろしていた。

 そして、そのアンドロイドたちが一斉に、僕たちに向かって日本刀を一直線に振り落としてくる。

 アンドロイドの頭脳をもってしても、その状況は理解不能だった。

「……わけが、わからなっ! ぐ、ぎゆう、ぐぅッ!」

 一瞬、視界が砂嵐に覆われる。思考の中がジャミングを受けたように荒れて、意識が強制的にシャットアウトされそうになる。頭を抑えながらなんとか耐えていると、頭上から刀の雨が降ってきた。

「もう時間がない。早く行くよ」

 シギに手を引かれ、刀の雨の中を走っていく。刀を降らせているのは僕と同じ見た目をしたあのアンドロイドたちだ。なぜアンドロイドが僕たちを殺そうとするのか。

 背後の繁華街のほうから、祭り太鼓を叩くような重音がひっきりなしに聞こえる。人の悲鳴と慌ただしい足音が鬱陶しいほど耳に入り込んできて、振り返らなくても繁華街が大混乱に陥っていることは容易に把握できた。

 僕の意識の中のノイズはまだ鳴りやまない。なんらかのウイルスが、僕の意識を乗っ取ろうとしているようだった。

 シギは裏路地の鉄扉から屋内へと入り、薄暗い階段を黙々と上っていく。

 シギは右腕に一筋の裂傷を抱えていた。

 階段を上り切って、シギはそこにあった黒い扉に手をかけた。きぃっと古ぼけた音とともに開いた扉の先には、何らかの実験室があった。

 部屋の中央のデスクに置いてある大仰なコンピューターからは無数にコードが伸びていて、両脇の壁際には深緑色の頑丈そうな作業机がずらりと並んでいた。

「柊くん、今から言うわたしの話をよく聞いてね」

 いつの間にか白衣を着たシギが、僕の首元に赤いコードを挿しながら言った。建物の外で轟音が鳴って、部屋が縦に揺れた。

「今度柊くんが目を覚ましたときには、世界はすっかり姿を変えてしまっている。アンドロイドは全て活動を停止して、人類は滅亡して、地球は原始の姿を取り戻している。でも、柊くんだけはそこで目を覚ますの」

 僕の首元に青いプラグが差し込まれる。だんだん意識が遠のいていく。

 気づかぬうちに、僕の意識の中のノイズは鳴りやんでいた。

「柊くんはそこで何をしても自由だけど、どうしても本当の救いが欲しくなったら、世界中のアンドロイドの中身を解剖してみて。その中のどれかに救いへの道しるべがあるはずだから」

「シギが何を言っているのか、僕にはわからないよ」

「今はわからなくていいよ。どうせ柊くんが得た情報は自動的に全部保存されていくんだから」

 部屋が縦に横にと激しく揺れる。倒壊してしまいそうな勢いだった。

「柊くんはこの先、本当の人間の心を手に入れることになる。わたしはね、心を成長させる方法として学校で人と触れ合うことは適切ではないと考えてる。本当に心を成長させるのは、自分ではどうしようもないほどの孤独なんだよ。だから柊くんはこれからアンドロイドではなくなるんだ。でも決して諦めてはならない。挫けてはならない。挫けるより前に、本当の救いを見つけてほしい」

 その次の瞬間。

 それまで口を動かしていたシギの顔面が、縦に真っ二つに割れて。そのまま身体も縦に裂けて。

 シギの身体がまるでアジの開きのようになって、横たわる。床の上に臓器が散乱して。

 目の前に、赤い鮮血が付着した日本刀を持つ僕の姿があった。

 そこで、僕の意識はぷつりと途切れている。

 どうやら、またスイッチを切られたらしい。

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