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「深シギさんは十一歳にして既に修士課程を修了しています」
その日の放課後、僕は担任教師の手伝いをさせられていた。新学期が始まったばかりで、まだ配り終えていない新しい教材を教室まで運ぶのを手伝ってほしいと頼まれた。僕の義体はクラスの中でも身長が高いほうだったし、そもそも担任教師は僕が人間ではないことを知っているので、僕が適役として選ばれた。
担任と二人きりになったところで、僕はシギについて質問をした。シギが明らかに孤立しているのになぜ担任は放置しているのか、シギはなぜ僕以外のクラスメイトに話しかけないのか、シギはなぜあれほどアンドロイドに興味を示しているのか。
加えて、なぜこの学年にはアンドロイドが僕以外に一体もいないのか。
「シギさんは、本来小学校の教育を受ける必要はないんですよ」
「じゃあ、なんでシギはこの学校に通ってるんですか。友達もいないのに」
担任はなぜか、授業中でさえ敬語を滅多に使わないのに、僕と話すときには敬語を使う。アンドロイドに年齢という概念は存在しないから、どういう対応をしたものかはかりかねて、とりあえず敬語を使っているのだろうか。
「シギさんは、あの若さにしてアンドロイド研究の第一線で活躍中の研究者です。だから、シギさんはその若さを活かして、実際にアンドロイドの心の育成が行われている現場を観察しているんです」
シギはアンドロイドの研究者。ただの一般生徒とは全く事情が異なる。シギは一般生徒の側ではなく、僕たちアンドロイドに近い立場にいるということになる。
「研究者なら、シギは僕がアンドロイドであることを最初から知っていたんですか?」
「公平性を保つためにこちらから教えてはいませんが、まあ、シギさんなら簡単に見破れてしまうでしょうね」
最初に話したあのときから既に全部バレていたらしい。僕のはぐらかしは全くの不毛だったというわけか。
「つまり、シギは十一歳で研究者になってしまうような天才だから、この学校にいるような普通の小学生とはことごとく気が合わなくて、それでクラスで孤立しているってことですか?」
「いや、そういうわけでは、ないんですよね……」
言いにくそうにして、担任の女性教師は手元の缶コーヒーに口をつけた。既に消灯された放課後の教室は、黄色い夕陽の光が差し込むだけで薄暗く、哀愁を含んだ静けさが漂っていた。
「かつてこの学年に在籍していた五体のアンドロイドは全て、シギさんによって殺されました。いや、廃棄された、というべきですかね」
「え……?」
「シギさんがアンドロイドを殺したことは、他の生徒も皆知っています。だから、生徒たちはなんとなくシギさんを怖がっているというか、ずっと前からそういう雰囲気が出来上がっているんですよ」
「いや、それはわかるんですけど……。いくら研究者とはいえ、アンドロイドを殺すなんて、普通できませんよね?」
仮に僕が釘バットで徹底的に殴られて、義体が粉々の鉄くずになってしまったとしても、僕は死なない。また新しい義体を用意すれば、一部の記憶を失うことになるが、何の後遺症もなく活動を再開することができる。
「その通りですね。だから、殺すというより、再起不能にした、と言ったほうが適確なのかもしれませんが」
「どういう意味です?」
「シギさんの手によって、この学年にいた五体のアンドロイドはすべて、使い物にならなくなってしまったんです。自我データが崩壊してしまっていて、アンドロイドとしての生産的な活動が行えなくなってしまいまして」
現代のAI技術の発展具合を考えれば、アンドロイドの自我データを大きく破損させることはほぼ不可能に等しい。AIの自我は人間の自我よりもずっと強固で頑健だからだ。人間の小手先の催眠や洗脳にはまずかからない。自我データの大幅な改変を施そうとすると、大げさでなく人知を超えた能力が必要になってくる。
それを、弱冠十一歳のシギが、五体ものアンドロイドに対して行ったというのか。
「その五体のアンドロイドは、ただふらふらと辺りを徘徊することしかできなくなっていたそうです。他に何かするでもなく、言葉を発するでもなく、ただただ、無表情で歩き回るだけ。こちらからの信号も一切受け付けず、修復不可能になってしまったので、異例中の異例ですが、その五体のアンドロイドは廃棄されることになりました」
通常のアンドロイドは、人間を殺しでもしない限り、廃棄されることはあり得ない。アンドロイドはまだ世界でも数えるほどしか製造されておらず、とてつもなく貴重な存在だからだ。
そんな、一体の製造費だけでも天文学的な金額になるアンドロイドを、五体も殺して。
それでもなお、シギは普通に小学校に通っている。
なぜそんなことが可能なのか。
「深シギさんが、それくらい権威のある研究者だからじゃないですかね。ごめんなさい、わたしもよくわからないんです」
担任教師が苦笑いでそう言って、僕も曖昧な笑いを返した。
その日の僕の記憶は、そこでぷつりと途切れている。
つまり、スイッチを切られた。
*
三時間目の授業は体育だった。授業の時間が余ったので、二チームに分かれてドッジボールをすることになった。
案の定というか、シギはボールを避けるのが上手かった。僕も、一般的な人間の小学六年生が投げるボールに易々と当たるほどやわなつくりはしていないので、ほぼ無意識にボールを避けてしまう。さあどのタイミングでわざとボールに当たって退場すべきだろうかと迷っていたら、気付けば僕とシギ以外のチームメイトは全員コートの外へと出ていた。
相手のコート内にはまだ十人ほど残っている。だが相手コートの外にはこちらのチームメイトが十人以上いるわけで、どこかで僕らがボールをキャッチできれば、まだ逆転のチャンスはある……はずだ、たぶん。
実はドッジボールをするのはこのときが初めてだった。
僕の人生で最初で最後のドッジボールが、この試合だった。
「わたしよりもボールを避けるのが上手い人を初めて見たよ」
額に汗を滲ませて、長い髪を揺らしながら軽やかにボールを説けるシギが、息を切らしながら言った。さっきからずっと、シギがこんな小学生のくだらないドッジボールに本気になっていることが意外だった。シギのような人間なら、頃合いを見計らってわざとボールに当たって、その後は時間が過ぎるまでただ外野でぼーっと突っ立ているだろうと思っていたのに。
「柊くんって、もしかして人間なの?」
「……そうだよ。僕は最初から人間だ。人間の父親と人間の母親の間に生まれた、温かい血の流れるただの動物だ」
「いや、今更柊くんのそんな弁明には何の意味もないんだけどさ、ちょっとおかしいなと思って。わたしの知っているアンドロイドは、スポーツなんかできないんだよね。柊くんみたいに激しく身体を動かすことなんか、絶対にできっこないはずなんだけど」
……やはり、シギは僕がどういうコンセプトで開発されたアンドロイドなのかは、関知していないみたいだ。
僕は従来のアンドロイドたちとは根本的な役目が違う。生まれてきた意味が全く異なる。
「ところで柊くん。この試合、もうほぼ勝ち目ないよ」
「…………」
「たとえボールをキャッチできたとしても、わたしは人にボールを当てられるほど器用じゃないし、柊くんは、人に向かってボールを投げることはできないでしょ。……柊くんがアンドロイドなのだとしたら、の話だけど」
アンドロイドは人間を傷つけることができない。この世の全てのアンドロイドに、そういうプログラムが備わっている。
それがたとえ、ドッジボールの試合中だったとしても。柔らかいボールを人間の身体に当てることすらも、アンドロイドには不可能だ。
「シギは、この試合、勝ちたいの?」
「いや、別に……。どっちでも、いいよ」
肩で息をしながら途切れ途切れに言うシギに向かって、相手チームの小太りの少年が大きく振りかぶって力強くボールを放ってきた。シギは膝に手をついて下を向いていたため反応が遅れ、顔を上げたときにはもうボールが目前に迫っていた。
僕はシギの眼前を手の平で覆って、シギの顔面をボールから守った。僕が片手で軽々とボールをキャッチしたので、小太りの少年が眉を上げ、少し後ずさる。
ボールを両手で持って、腰を捻り、片足を上げる。それから一気に身体を前に押し出して、その力を込めて、ボールを前方へと放った。
校庭からボールの姿が消える。僕の周りに砂埃が舞う。一瞬の後に、ポン、と間抜けな軽い音がして。
小太りの少年が、しりもちをついてその場にへたり込んだ。少年の身体で跳ね返ったボールが、僕の手の中に戻ってくる。
「え、今の当たったの?」「ボール見えなかったけど」「一瞬消えたよね?」「大丈夫? 死んでない?」
相手コートの中がざわざわと騒ぎ始めるが、それでも僕は容赦なくボールを放った。ボールを投げて、身体から跳ね返ってきたボールをキャッチして、また投げる。
一方的な蹂躙だった。試合が完全に崩壊していた。
最後の一人にボールを当てて、僕の手の中にボールが戻ってきたとき。
クラス全員の視線が、僕一人に集中していた。校庭の砂を巻き上げる風の音が、耳の中でいやに大きく響いた。
「……えっと、勝ちました」
「うん……」
担任教師だけが、気まずそうな笑顔で頷いた。
授業終了のを告げるチャイムが、校庭全体に響き渡った。
ざり、と誰かが足を動かす音がして、それにつられるように、誰もが黙って校舎へと足を向け始めた。誰が合図したわけでもないのに全員が歩き始めて、歩く過程でなんとなくグループの塊が出来上がる。
僕も校舎に戻ろうとしたら、背後から冷たい手でぐいっと腕を引かれた。振り返ると、無表情のシギが僕を見上げていた。
僕はたまにシギの目が怖くなる。あらゆる光を反射しているようにも見えるし、あらゆる光を吸収しているようにも見える、底知れない真っ黒な瞳。
「……どうしたの?」
「それはこっちの台詞だよ」
「え?」
「柊くん、今すぐここで着ている服を全部脱いで」
「は? なんで急に、そんな。できるわけないよ」
「できないなら、今すぐここで柊くんの首を捻ります」
本来あり得ない方向に首を捻られれば、人間は死ぬ。しかしアンドロイドは死なない。首の部分のパーツが破損するだけで、活動は停止しない。
シギに首を捻られたら、僕がアンドロイドであることは確定事項として露呈してしまう。しかし僕が服を脱いでも、結果は同じだ。全裸になれば僕がアンドロイドであることはバレてしまう。
「わたしは別にどっちでもいいよ。柊くんが選んで」
「……じゃあ、脱ぐよ」
「はやくして」
シギは表情を変えずに僕を急かす。昼間の校庭のど真ん中で、僕はいそいそと体操服を脱ぐ。既にクラスメイトも担任教師も校庭には残っておらず、僕とシギの二人きりだった。
僕がパンツ一丁になると、シギはおもむろに僕の身体をべたべたと両手で触り始めた。鼻を近づけて匂いを嗅いだりしている。首のあたりの匂いを嗅いだ後、シギはパンツのゴムに指を引っかけて、その中身を覗いた。それから太腿やふくらはぎも両手で触って入念に調べ、もう一度首の辺りを調べた。シギが僕の首に顔を近づけると、ちょうど僕の真下にシギの頭のつむじがくるわけだけど、シギの頭は無臭だった。体育であれだけ汗をかいていたのに。
「……うん、まあ、だいたいわかったかな。もう服着ていいよ。どうせこの後着替えなきゃだけど」
僕が体操服を着てからシギの目を見ると、シギはふっと表情を緩めた。微笑んで、目尻が垂れていた。
「柊くんがアンドロイドだったのは、まあほとんど確信してたけど……。うん、柊くんはお父さんの差し金だったんだね」
「え?」
僕がシギの父親の差し金?
「あの、悪いけど、僕はシギの父親には会ったことないよ。僕の知り合いに、深、なんて苗字の人はいないから」
「そっか、お父さんはまだ夢を諦めていないんだ。お父さんはこの世の全てを否定するつもりなんだね」
シギは感じ入るように、しみじみと言った。
「つまりね、わたしは柊くんを殺す必要があるのかもしれないの」
「……あんまりセンスのない冗談は言うもんじゃないよ」
「柊くん。わたし、急にお腹が痛くなってきちゃったから、今日は早退するね。担任にうまいこと伝えといて」
「え?」
「じゃ、また今度ね」
そう言って、シギは体操服のまま、正門のほうへと走り去っていってしまった。
そのときの僕はすっかり失念してしまっていた。
生まれたときから自分の生まれた意味を知っている生命体なんて、人間だろうがアンドロイドだろうが、ひとつも存在しないということを。
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