プリティ・ウーマンにしてあげたくて

春風秋雄

亡き妻の従姉妹

 妻の実家へ行くのは何年ぶりだろう。妻の奈々美が他界して8年になるので、もう7年くらいは行っていない。子供もいなかったので、妻の実家とは疎遠になってしまった。せいぜい奈々美の法事の時に義両親が上京してくれる程度だ。それでも義父の葬儀となれば顔を出さないわけにはいかない。

 妻と一緒に行っていた時はいつも車だったが、今回は新幹線で行くことにした。東京から妻の実家がある姫路までは3時間程度だ。ひとりなら新幹線の方が時間も速いし楽だ。


 俺は山崎義之、43歳。奈々美がいなくなったあと、独身を通している。

大手経営コンサルタント会社を経て、今は独立し、新橋で社員8名程度の経営コンサルタントの会社を経営している。経営は順調で、経済的にも余裕がある。

 独身でいるのは奈々美に義理立てしているわけではなく、独身でいることが楽しいからだ。


 姫路駅に着くと予約していた駅前にある航空会社系のホテルにチェックインをし、喪服に着替えた。通夜にはまだ時間があるので、タクシーでとりあえず奈々美の実家に向かった。奈々美の実家は何も変わってなかった。それでも庭の梅の木は少し大きくなったような気がする。

 出迎えてくれたのは義父の弟、哲治さんの奥さん敏子さんだった。

「義之さん、久しぶりだね。よく来てくれたね」

義母と義兄の栄治さんはすでに通夜の会場へ行っているらしい。

敏子さんに案内されて居間へ入ると、集まっている親戚の中に敏子さんの娘、つまり奈々美の従姉妹の美咲さんと玲奈さんがいた。玲奈さんの隣にいる男性は初めて見るが、恐らく玲奈さんの旦那さんだろう。妹の玲奈さんは相変わらず綺麗だ。昔から華やかな雰囲気を醸し出し、男性が寄ってくるタイプだった。一方、姉の美咲さんは、昔から地味な女性だったが、今も赤いセルロイド縁の大きなメガネをかけ、髪型も地味に整え、大人しいというより暗いイメージを与える。姉妹でこうも違うのかと思う。美咲さんは奈々美より4つ年下だったので、34歳だと思うが、まだ独身なのだろうか。


 そろそろ通夜の会場へ向かうことになり、何台かの車に分乗して向かうことになった。俺は会ったこともない親戚のおばさん達の車に乗せてもらうことにした。俺は助手席に座り、後部座席の女性陣に奈々美の夫だと自己紹介をすると、奈々美について「良い娘だったのに、残念だったね」「もう8年になるの?早いねえ」といった会話が儀礼的に交されたが、彼女達の興味は美咲、玲奈姉妹にあるようで、すぐに姉妹の話になった。

「玲奈ちゃんの旦那さん、一級建築士の資格をとったらしいわよ」

「じゃあ、いよいよ哲治さんの後継者というわけね」

「来月くらいには旦那さん今の会社を辞めて、再来月の4月には子供の新学期に合わせて玲奈ちゃん家族が家に入ってくるみたいよ」

「哲治さんも年だし、これで安心じゃないの」

「でも、そうすると美咲ちゃんはどうするのだろうね」

「今までは美咲ちゃんが敏子さんを手伝って、家のことをあれこれやっていたけど、玲奈ちゃんが帰ってきたら今度は玲奈ちゃんがするだろうし、美咲ちゃんの居場所がなくなっちゃうわね」

「美咲ちゃんって働いていた?」

「スーパーで経理のパートをしていているとは聞いていたけど、まだやっているのかしら」

「早く結婚しておけば良かったけど、玲奈ちゃんと違って器量がねえ。もう年も年だし、結婚は難しいかもね。何で姉妹で、ああも違うんだろうね」

「母さん、そんな話はもうやめろよ」

後部座席のひとりは運転をしていた男性の母親らしく、息子に窘められて、みんな大人しくなった。

 哲治さんは、この界隈では名の知れた建設会社を経営している。子供が姉妹だけなので後継者に悩んでいるとは奈々美からも聞いていたが、どうやら後継者ができたようだ。


 読経が終わり、通夜振る舞いの輪にいるとき、美咲さんが俺に話しかけてきた。

「今日はホテルを取っているんですか?」

「駅前のホテルを予約していて、チャックインしてから来ました」

「適当な時間にホテルへ帰られますよね?」

「そうですね。もうそろそろ行こうかなと思っていたところです」

「駅前まで一緒についていってもいいですか?ちょっと相談したいことがあるんです」

俺は車の中で聞いた話を思い出し、もし嫁にもらってくれと言われたらどうしようと警戒した。妹の玲奈ちゃんなら別だが、美咲さんには、そういう感情はまったく持てないので勘弁してほしい。

「東京のことについて、ちょっと教えてもらいたいことがあるんです」

俺は少し安心して、だったら駅前の店で待ち合わせましょうかと言って、美咲さんから指定された店で待つことにして先に会場を出た。


 指定されたバーで待っていると、ほどなく美咲さんが現れた。席につき、オーダーをすると、すぐに話をきり出した。

「私、家を出て東京へ行こうと思っているんです」

昼間おばさん連中が話していたので、なぜ家を出ようとしているのかは想像がついた。

「それで、住むならどこが良いのか、家賃はいくらくらいなのか、そういうことを教えてほしくて」

「まず、東京に知り合いとか、頼れる人はいないの?」

「いないです。友人も親戚も関西方面ばかりで、東京にはいないのです」

「なぜ東京なの?関西でも良いのでは?」

「ずっと憧れていたんです。奈々美ねえさんが東京の大学へ行って、こっちに帰省するたびに綺麗になって、働きだしてからも生き生きしていて、そして義之さんみたいな素敵な旦那さんに出会って、東京っていいなって思っていたの」

「東京を美化しすぎだね。東京で生活するのは大変だよ」

「それでも行ってみたいの」

美咲さんは東京に夢を持ち過ぎていると感じたので、半年も暮らせば姫路に帰ると言い出すだろうと思い、自分でマンションを借りる必要はないなと考えた。だから、とりあえず住むところは俺が仕事が遅くなったときに泊まるように借りているマンションが赤坂にあるので、当面そこを使えば良いと提案した。

生活するには仕事を探さなければならない。東京へ来て少し東京に慣れたら働くところを探せば良いと安易にアドバイスした。何ができるのかと尋ねると、経理関係は得意だという。それなら最悪、俺のコンサルタント先にでも紹介できるかと思った。

とりあえず、本当に東京へ来る気になったら連絡してきなさいと、連絡先を交換した。


 姫路から帰って、1週間もしないうちに美咲さんから連絡があった。パート先のスーパーはもう退職して、引越し準備をしているが、赤坂のマンションの住所を教えて欲しいという連絡だった。この娘は本気なのだと改めて思った。仕方なく、俺は大慌てで赤坂のマンションを片づけた。


 美咲さんは引っ越して3日目には就職先を探したいと言ってきた。もう少し東京に慣れてからでも良いのではと言ったが、本人は真剣だった。この3日間、一緒に食事をしたり、買い物に付き合ったりして、美咲さんの人柄がわかってきて、俺としてはかなり印象がよかった。見た目と違い、明るい性格をしていて、人を思いやる優しい心の持ち主だった。取引先を紹介する場合、簡単に辞められては俺の立場がないと躊躇していたが、これだけ真剣なら大丈夫かと思い、何社かに連絡をしてみた。どこも俺に顔を立てて面接してくれると言っている。それから美咲さんの就職活動が始まった。

 ところが、3社面接して、3社とも不採用の通知がきた。俺は3社目の会社の社長に電話をしてみた。

「社長、この度は無理を言って面接してもらい申し訳なかったですね」

「山崎さん、せっかく紹介してもらったのにごめんね」

「いやいや、御社に必要のない人材を無理やり押し付けるつもりはありませんから、それは気にしなくて良いですよ。やっぱり能力的に御社には無理ですか?」

「うーん、そうだねぇ」

社長は微妙な反応を示した。

「今後の参考にさせてもらいますので、忌憚のない評価を教えてもらえますか?」

「そうか、じゃあ言うけど、気分を害さないでくれよ」

「もちろんです。正直なところを教えて下さい」

「私は仕事の能力だけで判断する方なんだけど、面接した担当部署の課長が言うには、見た目が好ましくないと言うのだ。いや、決してうちは美人しか採用しないという意味ではないよ。彼女の場合、非常に暗いイメージがあるので、部署の雰囲気が悪くなる気がすると言うんだよ。特に人員が不足しているわけではないので、敢えて採用する理由がないということなんだ」

俺は他の2社にも電話をしてみた。正直に話してほしいと頼むと同じような理由だった。

 確かに、現在欠員が出ていて、どうしても早急に人材を補充したいという会社であれば別だが、そうでない会社であれば、本当に欲しい人材でない限り採用するべきではないことは経営コンサルタントの俺が一番良く理解している。これは女性だけではなく男性にも言えることだが、見た目や本人が醸し出す雰囲気は部署内の士気にも関わるので、採用基準にする企業は多い。だから美咲さんのこの結果は仕方ないと言えば仕方ない。企業としては当然の判断だ。しかし、何故だかわからないが、俺の中にふつふつと、怒りにも似た、やりきれない気持ちが湧いてきた。


 その日、俺は赤坂のマンションを訪ね、お酒を飲みながら美咲さんと話し合った。不採用の理由はやんわりと伝えた。もう姫路に帰った方が良いのではないかと言ったら

「姫路に帰っても私の居場所はありません。経理でなくてもスーパーのレジ打ちでも工場の工員でもかまいません。どこか就職先を探します。それまで、ここに居させてください。お願いします」

と言って、頑として姫路へ帰ることは拒否した。

 美咲さんはお酒には強い方らしいが、その日は酔いつぶれて寝てしまった。俺は美咲さんをベッドまで運び、布団をかけてやった。寝るのに眼鏡は外した方が良いだろうと、眼鏡をそっと外してベッドの棚に置いた。ふと、その寝顔を見たとき、俺はドキッとした。奈々美に似ている。俺はベッドに腰掛け、じっとその顔を見た。従姉妹なのだから当然なのだが、目元から鼻筋にかけて奈々美によく似ている。俺は美咲さんのおでこに手をやり、前髪をかきあげてみた。やっぱり姉妹だ。玲奈ちゃんにもよく似ており、同じように綺麗な顔立ちをしている。今まで髪型と眼鏡でわからなかったけど、ひょっとすると、この娘は・・・。


 翌日、俺は仕事終わりに美咲さんと新橋で待ち合わせ、食事をしてから新橋の線路高架下をくぐった。ここは不思議な街だ。新橋はサラリーマンが少ない小遣いで飲み食いできる街だ。しかし、線路を潜って少し歩くと、そこは銀座で、数時間で数万円を使う別世界になる。

 美咲さんは銀座の夜の街に圧倒されたように俺にくっついて歩いている。俺は行きつけのクラブに入った。席に座ると、ほどなく順子ママが来た。

「ヨッシー!ご無沙汰じゃないの」

正確な年齢はわからないが、俺より少し年上と思われる順子ママは俺のことをヨッシーと呼ぶ。

「最近色々と忙しくてね」

「めずらしいわね、今日は女性連れなんですね」

女性を連れてくることはよくあるが、連れの女性の前でママはそんなことは絶対に匂わせない。

「妻の従姉妹の美咲さんなんだ。それで、ママに頼みがあるんだけど」

「あら、何かしら?」

「この娘をプリティ・ウーマンにしてほしい」

順子ママは驚いたように俺と美咲さんを交互に見て

「ヨッシー、リチャード・ギアになるつもり?」

と言った。さすがは銀座のクラブのママだ。有名どころの映画は一通り見ている。

「まあ、そんなとこだ」

それから俺は面接のことを含め、今までの経緯をママに説明した。

それを聞いてママは美咲さんに眼鏡を外してみてと言った。美咲さんが眼鏡を外してママを見ると、

「わかった。面白そうね。やってあげるわ」

とママは言った。

「それで、お金はいくらくらい渡しておけばいいかな?」

と聞くと、ママは指を1本立てた。

「10万円で足りる?」と言いながら俺は財布を出すと、ママが

「ヨッシー。一桁違うよ」と言った。

「100万円!そんなにいるの?」

「それくらい出さないとリチャード・ギアにはなれないわよ」

仕方なく、おれはスマホを取り出し、ママの銀行口座を聞いて振り込み手配をした。振込み完了の画面をママに見せると、ママはにっこり笑ってボーイを呼び、高いワインを注文した。俺が「え?」と思っていると、ママは営業スマイルで

「これは私への手数料よ」

と言った。

店を出てから美咲さんが

「“プリティ・ウーマン”て何ですか?」

と聞いてきた。

「昔の映画。リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが出ていた映画だけど、見たことない?」

「全然知らないです。その俳優さんも知らないです」

「こんど見てみるといいよ。面白いよ」

美咲さんは頭の中で「プリティ・ウーマン、プリティ・ウーマン」と復唱しているようだった。


「プリティ・ウーマン」は1990年に公開されたアメリカ映画だ。リチャード・ギア扮する実業家がひょんなことからジュリア・ロバーツ扮する貧相な娼婦と出会い、大事な取引先との会食に女性同伴が求められ、ジュリア・ロバーツを一流のレディに仕立て上げて同伴するという話だ。


 順子ママから、「出来栄えを驚かせたいから、プリティ・ウーマンが完成するまで美咲さんには会わないこと」と釘を刺されていたので、俺はママに任せきりにしていた。でも、俺は様子が気になってしかたなかった。何故だろう。美咲さんの眼鏡を外した顔を見てから、いや、ひょっとするとそれより前から美咲さんを意識している自分がいることに気づいた。

 1週間くらい経った頃に順子ママから連絡があった。プリティ・ウーマンが完成したらしい。夕方に銀座のカフェで待ち合わせた。

 俺がコーヒーを飲んでいると二人が現れた。順子ママの隣に立っている女性を見て、俺は思わずコーヒーカップを持ったまま立ち上がった。驚いた。まさかここまでとは。赤い縁の眼鏡はなく、髪型は軽くウェーブを効かせて流し、化粧は自然で嫌味はないが綺麗な鼻筋をうまく強調している。もともと美咲さんはスタイルが良かったので、順子ママの見立ての服は綺麗な体型のシルエットを映し、洗練された女性そのものだった。そして何よりも、自分の外見に自信をもったのだろう、美咲さんの笑顔は輝いていた。とても美しかった。奈々美よりも、そして玲奈ちゃんよりも、優雅で、綺麗だった。

「ヨッシー。なに突っ立てるのよ。座ったら」

ママに言われて、俺は取り乱した自分に気づき座った。

「どう?リチャード・ギアとしては満足?」

「うん、想像以上だった。ここまで変わるとは」

俺はそれ以上言葉が出なかった。

「順子ママ、お礼に同伴付き合うよ」

「あら、うれしい。でも今日は先約があるから遠慮しておくわ」

「じゃあ、後でお店に顔出すよ」

「今日はいいわよ。変身したジュリア・ロバーツを放っておいたらダメでしょう。今日は二人でゆっくり過ごしてくださいな」

順子ママはそう言って銀座のネオン街に消えていった。


 赤坂のレストランで夕食を食べながら、この1週間のことを聞いた。

「まず、コンタクトレンズにすることから始まったの。コンタクトレンズをしてない時用の眼鏡も順子さんに見立ててもらって買い替えたのよ」

そう言って新しい眼鏡を見せてくれた。細い金縁のおしゃれな眼鏡だ。これなら眼鏡でもよく似合う。

「あと、毎日エステにも通った。順子さんが行っているエステで、かなり安くしてくれたみたい」

エステまで行ったのか、そりゃあ、お金がかかるわけだ。

「あと、初日に化粧品売り場へ行って、これから買い続けなければならないので、それほど高くなくて、私に合っていそうな化粧品を選んでくれて、それから毎日お化粧の練習。毎日順子さんがついて練習してくれたの。それとブローの練習も」

「ブローの練習もしたの?」

「うん、美容院へ行って髪を切って、翌日からその髪型に合ったブローの仕方を教えてくれた」

順子ママは一時のことではなく、これから美咲さんが、この美しさを保つための方法を教えてくれたのだ。

「服も8着くらい買ったよ」

「8着?そんなに買ったの?」

「どんなのか見に来る?」

そう言われて、俺はマンションに一緒に付いて行った。


 服は特に高いブランド物ではないが、どれも洗練されたもので、カジュアル用やビジネス用など、用途で使い分けするように揃えていた。また、それに合わせてインナーはもちろん、バッグや靴、アクセサリーも揃えている。完璧なコーディネイトだった。

 新しいバッグが置いてある場所とは離れたところに、少し使用感のあるブランド物バッグがあった。

「あのバッグは美咲さんが持っていたもの?」

「ああ、あれは順子さんが、もう使わないからと言ってくれたの」

それは昨年、順子ママの誕生日に俺がプレゼントしたベルルッティのバッグだった。たしか30万円くらいした。美咲さんはベルルッティというブランドを知らないのだろう。


 美咲さんは次に面接した会社から合格通知をもらった。紹介した社長から「良い娘を紹介してくれた」とお礼の電話があった。就職のお祝いにどこか食べに行こうと言ったら、色々お世話になったので手料理をご馳走すると言うので、赤坂のマンションでお祝いをすることにした。料理はどれも美味しかった。

「私、プリティ・ウーマン観ましたよ」

「面白かっただろ?」

「面白かった。最後、ジュリア・ロバーツはリチャード・ギアと結ばれるんですね」

「うん、ハッピーエンドだったね」

「私は、リチャード・ギアとは結ばれないのかな?」

美咲さんはそう言って、じっと俺を見た。美咲さんが言うリチャード・ギアは俺のことだと、すぐにわかったが俺は返事をしなかった。

「私、奈々美ねえさんが初めて義之さんを連れて来た時から義之さんのことが好きだった。奈々美ねえさんが羨ましかった。伯父さんの通夜のとき、義之さんの顔を見て、咄嗟に東京へ行こうと決心したの。こんな私だから相手にされないことはわかっていたのに」

俺は何も言えずに、だまって聞いているしかなかった。

「銀座のクラブで順子さんが、100万円って言ったとき、私にそんな値打ちはないから、そんなお金出すのは止めてと言おうとしたけど、言えなかった・・・。

そのお金で本当に私が変わることが出来たら、義之さんが私のことを女として見てくれるんじゃないか、そう思ったら言えなかった。」

「俺、美咲さんが外見のことで不採用になったとき、悔しくて、悔しくて、こんな良い娘なのに、あいつら見る目がない。絶対あいつらを見返してやる、後悔させてやるって思ったんだ」

「そんなふうに思ってくれたんだ」

そう言いながら美咲さんの目が潤んできた。

「その時には、もう俺は美咲さんのことを女として見て、好きになっていたのかもしれない。でも、俺は美咲さんより9つも年上だ。そして、美咲さんは以前の美咲さんではない。俺なんかよりもっと良い男が見つかるよ」

美咲さんは悲しそうな目で俺を見ると、搾り出すような声で言った。

「義之さんはプリティ・ウーマンを観たあとに、『君ならリチャード・ギアよりもっと良い男が見つかるよ』ってジュリア・ロバーツに言います?」

美咲さんの目からは涙があふれ出ていた。

俺はもう何も反論できなかった。そして、もう気持ちを抑えることはできなかった。

「絶対に言わない」

俺はそう言って美咲さんを抱きしめ、キスをした。


 いままで男性と付き合ったことがない美咲さんは、34歳にしてキスすらしたことのない無垢な女だった。初めての経験は、どこを触っても敏感に反応した。34年間我慢した心と体は、痛いという感覚よりも、初めて男を受け入れた喜びがあふれ、その瞬間、美咲さんは、すべてが報われたという顔をして涙を流した。それがとてもいとおしく、俺はしばらく、そのまま動くことができず、じっと抱きしめた。


 奈々美の実家の梅の木は綺麗な花を咲かせていた。

 あれからもう1年かと思いながら居間に入ると、義父の一周忌の法要に集まった親戚達の目が俺たちに向いた。そして、その目が俺の隣に立っている美咲に向くと、一様に驚きの顔になった。

「美咲姉ちゃん?」

玲奈ちゃんが半信半疑で呼びかけた。

「美咲なのか?」

哲治さんは我が娘に腰を抜かさんばかりにつぶやいた。

「みなさんに報告があります」

美咲が輝いた笑顔で皆に言った。

「私、美咲と、義之さんは、結婚することになりました」

それを聞いて、皆、再び驚いた。

その中で口を開けて一番驚きの顔をしていたのは、1年前に車の後部座席で美咲のことをあれこれ言っていたおばさんたちだった。

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