第2話 明日から、これから
目覚ましが鳴っている。
早智は頭までしっかりとかぶってしまっている布団から手だけを出して、目覚ましを置いたと思われる窓枠をバシバシ叩く。
なんでや・・・あらへん・・・
鳴り続ける耳障りな音。
まるで非常ベルみたいだ。
確かにこの時間にセットして眠ったが、ここまで眠たいことは想定していなかった。
イヤイヤながらもほんのちょろっと開けた目で見た部屋はまだ真っ暗。
朝陽はおろか空にはお月様が上っている時間帯である。
完全に夜明け前やし・・・つーか、間違うたんやん、時間。
枕元に放り出されたままの携帯を掴む。
それすらも冷たく感じてしまう。
ううう、絶対むり、起きたくない!!!
光る液晶画面には5時3分の表示。
ありえん・・・はい、寝よ。おやすみ。
携帯を再び放り出して、深く布団に潜り込む。
なんでこんな気持ちええんやろ・・・
目を閉じると夢の入り口が見える。
あー・・・なんか綺麗なお姉さんがめっちゃにこやかな顔で微笑んではるわ・・・
門番らしき人物がにこりと微笑んで夢の門を開いてくれる。
はいどーも、ご苦労さまです。
まっすぐ門を通り抜けようとしたら耳元で再び携帯が鳴った。
半分夢の門をくぐった早智は手探りで携帯を耳元へ押し付ける。
「なンしょんのよ」
せっかく人が夢の世界へ旅立とうとしているのに・・・
しかもこんな非常識極まりない時間に。
ようやく、バイトを始めたばかりの慣れない身体には睡眠時間は不可欠なのだ。
今日は休日で誰にも気兼ねせずに惰眠を貪れるはずなのに。
早智の言葉に一瞬沈黙した相手は次の瞬間それはそれは重たい溜息を吐いた。
ほんっまに失礼なヤツやなぁ・・・
「それはこっちのセリフや」
聞きなれたその声に、あれ、と違和感を覚える。
早起きすぎるやんどう考えても。
「なんー?まだ5時やで・・・」
早智は携帯を掴んだままさらに布団に潜りこみながら答えた。
電話の向こうの杉浦は完全に起きているようだ。
どれだけ健康志向なのかと呆れそうになる。
「釣り行くゆーたら、連れてけゆーたんおまえやろぉ?」
んん?なんですと?・・・・・はて・・?
膝を抱えて丸くなった早智は寝ぼけ眼を擦って何とか体を起こした。
ううううめっちゃ寒いー・・・
2週間前に、地元の居酒屋で飲んだとき、たまたま釣りの話になったのだ。
学生時代は父親に連れられて海釣りに出掛けたことがあったけれど、社会人になってからはすっかりご無沙汰で、竿にすら触れていないと言った早智に、暇なら来れば?と言ったのは彼だった。
地元企業の中途採用枠は全滅、一向に仕事が決まらない早智に、無理せず近場で身体ならし程度に働けばと提案したのも杉浦だった。
その直後に、地元の市場で唯一のパン屋が、時短バイトを募集していることを聞きつけて、面接に行ったその日に採用が決まった。
前任のパート勤務の女の子がおめでたで、急に退職が決まったらしく、店主が一人で腰痛を圧して店先に立っていたところに早智がやって来たので即決だったのだ。
翌日から始めたアルバイトは人生初の立ち仕事で、決して忙しくはないものの事務仕事ばかりしてきた早智には戸惑う事も多くて、何より数か月ぶりに家族や友人以外の人間と会話をする緊張やらストレスやらで、くたびれていた。
気分転換しようにも、誘える相手は限られている。
「釣りに連れてけー!」
あー言いましたね。はい。
ジョッキ片手に言った早智に、ほんなら次の休みにな、寝坊すんなよと杉浦が念を押してきた。
寝坊なんかするかいと豪語していたのに。
「寝とった」
素直に告げた早智に呆れた返事が返ってくる。
「知っとるし、まだ布団中やろ」
どこまでもお見通しのようだ。
「ほんでも一応起きたやん」
「後5分で着くで」
「さき海行っとってええでー」
言いながらエイヤっと気合を入れて布団を跳ね除けてベッドから降りる。
さっきより、少しだけ空が明るくなった。
もうすぐ朝陽が昇る。
「また2度寝すんのちゃうやろな」
「せーへんて」
「そやったらええけど・・・もー着いたわ」
その言葉にカーテンを開くと、我が家の塀に寄りかかって煙草を咥える杉浦が見えた。
潮風で錆びついている窓を、器用に開けると冷たい夜明けの風が吹き込んできた。
肩を竦めつつ顔を出す。
「おはよー」
「寝ぼすけ。こーなると予想しとったけどな」
「着替えてすぐ行くし」
「待っとったるわ。ただし、コレ吸い終わるまでな」
掲げられた煙草の長さは決して長くはない。
ここまで歩き煙草でやって来たのだろう。
すぐ来いってことやな。
「んー」
顔を引っ込めようとした早智を杉浦が呼び止めた。
「爆発しとる髪なんとかしぃや」
その言葉に自分の頭を触る。
昨日遅くまでテレビを見ていて、髪をちゃんと乾かさなかったのだ。
寝癖でエライことになってるわ・・・
「帽子被ってくわ」
そう言って今度こそ窓を閉めた。
海は潮風が強いので、ダウンジャケットを羽織ることにして、汚れてもいいように着古したデニムに厚手のパーカーを着る。
休みの日の定番お手軽スタイルだ。
ついでに間違いなく暇になるので携帯ラジオと、古くなったひざ掛けをカバンに放り込んで肩から斜めがけにする。
後は顔を洗えばすぐに出発準備は完了だ。
適当に梳いた髪は簡単におさまることもなく、予定通りお気に入りのニット帽を被る。
部屋を出て階段を駆け下りそうになって、慌てて忍び足に変更した。
まだ5時すぎだ。
泥棒よろしく足音を殺して玄関に向かう。
せっかくの休日にみんな起こすんは可哀相やしな・・・・
と思ったら、1階の和室から母親がパジャマ姿のままで出てきた。
今日土曜やで!?
仰天する早智を見つけてぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「あら、おはよー」
「おはよ。めっちゃ早いやん」
「お父さん接待ゴルフやもん。あんたこそどないしたん?」
問いかけつつ早智の恰好を上から下まで眺めて頷く。
ちょっと待って、なにを納得してはるの!?
「珍しく朝帰りか思たら・・・・・なんや、今から行くんやないの」
実につまらなさそうに言われて早智はがっくり肩を落とす。
どんな期待してるねん。
「親の目ぇ盗んで朝帰りしてくれるんはいつになることやら・・」
そう言って早智の前を通り過ぎてつっかけのまま玄関を開ける。
「あら、杉ちゃんおはよーさん。またウチの子が待たせてもてごめんねえ」
「おはよーございます。もー慣れてますから」
「もーちょっと女らしぃ育てるつもりやったのに・・・どこで間違ったんやろか、ほんまに」
「やかましいわ!」
新聞受けから朝刊を取った母親がジト目でこちらを見てくる。
あー視線が慣れていてもやっぱり視線が痛い。
「釣り行ってくるから」
「はいはい。健康的でよろしいね」
「行ってきます」
杉浦が愛想良く言った。
「こんな子やけどよろしくね」
・・・・・・・・
防波堤に並んで竿を垂らして腰を下ろす。
昨日の夜にばっちり用意しておいたラジオからは、懐かしい洋楽が流れている。
用意周到な杉浦が家に来る前に調達してくれた早智の好物のツナサンドを頬張る。
あーうんまい。
歩きながら吸った煙草のおかげでちょっと目は覚めたし。
朝焼けは綺麗に水平線を染めている。
オレンジと紫のグラデーション。
早智の一番好きな色だ。
どんな絵の具を使っても絶対出せない自然特有の微妙な色合い。
「早起きもええもんやろ」
缶コーヒーを飲みながら、目を細めて杉浦が言った。
「そやなぁ・・・あ、この歌」
ツナサンドのマヨネーズがついた指を舐めていた早智の耳に聴こえてきたのは懐かしいメロディだ。
早智たちが高校卒業時分に流行ったいわゆる卒業定番ソングだった。
「カラオケ行くたびに歌いよったなぁ」
「そうそう、みんなマイク取り合いで最後は全員で大合唱しとったわ」
鼻歌交じりで歌いだした早智を横目に杉浦が笑う。
「一番にマイク取りよったやん」
「・・そやっけ?」
「おまえの持ち歌や思とったわ」
「持ち歌でもええねんけどねーこないだ大学の時の子らとカラオケ行ったときも歌ったなぁ」
「機嫌いいときはすぐ歌う」
無意識の行動を指摘されて早智は初めてそのクセに気付いた。
「・・・よー知ってんな」
早智の言葉には答えずに、杉浦は本日2本目の煙草を取り出した。
「慣れちゃう・・・?なぁ・・・」
火をつけたそれを口元から離した彼が、綺麗な空を見上げた。
「うん?」
「付き合おかぁ」
意味を理解するまでに三秒、答えを口にするまでに三秒。
「・・・・・・・・いま言う?」
「どうせどのタイミング言うても、はあ?ってなるやんお前」
「・・・・・・・いや、そんなことは・・・ないけどさ」
「んで、返事は?」
明日の天気でも尋ねるように、柔らかく杉浦が投げて来た。
「んー・・・・・・・ええよ」
同じ調子で、答えた。
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