第7話 道教と桃娘

1.お品書き:未読歓迎

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。予定通り桃娘の話をするのです。

 本話は『ユフの果樹園』関連エッセイです。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330649611432591

 ユフの果樹園はディストピアSF。そういえばカクヨムにはあんまり持ってきてないけど、というかR18G入るからあまりもってこれないのだが、僕はエブリスタではカニバ作家だと思われているフシがある。おかしいな?

 このエッセイは本編を書くのにあたって、色々調べたところをブッパするお気楽エッセイです。にわかなので間違いがあればお気軽にご指摘くださいませ。


2.桃娘の都市伝説

 桃娘は中国の都市伝説で、タオニャンまたはトウニャンと読みます。

 実在するおいしい桃の品種との関連性は【全く】ありませんのであしからず。


 桃娘の話の概要はこんな感じ。

『昔の中国で桃だけたべさせて子供を育てたらあら不思議、子供から桃の匂いがするようになってその筋の人に重宝される』

 その筋の人の目的は食用だったり、その他いろいろバリエーションがありますね。

 ただまあ、この噂自体は随分昔の皇帝がやっていたとか色々言われてるけど、文献もなにも残っていません。だから、最近できた都市伝説だと思います。中国は北窓炙輠ほくそうしゃかとか雲林石譜うんりんせきふとか珍品奇物についての本も結構ある。だから古い話であれば収録されているはずなので。

 いきなり夢を壊すアレ。


3.桃だけで暮らせるのか?

 そもそもの都市伝説は桃娘は糖尿になるから桃の匂いがする、だから短命、という内容の帰結が多いですね。

 けれどもそれ以前の問題として、桃ってタンパク質……ないよね。タンパク質が欠乏すると筋肉が衰えるし、コラーゲンが欠けるから皮膚や髪はボロボロになるはず。

それってその筋の人に人気がでなくない? それはまた別の好みのよっぽどの人じゃない限り。

 桃娘はきれいでかわいいイメージが流布されるけど、少なくともそれはちょっと科学的にナイと思う。

 世の中にはフルータリアンというフルーツしか食べない人たち(ヴィーガンの一種)もいるけど、そういう人たちもナッツ類できちんとたんぱく質はとっていたはずだ。特に成長著しい赤ん坊が桃だけで成長できるわけがない。


 それからあんまり指摘してる人はいないけど、桃の旬は夏。

 そうすると桃がなる夏以外の季節はジャムやドライピーチで乗り切っていたのかというのも疑問が残る。ドライフルーツ自体は6000年くらい前のメソポタミアで作られていて、デーツとかプラムとかは昔からあったのだが、通常の桃はかなり水分が高い。この桃娘の桃が蟠桃としても少し無理がないだろうか?


3.伝説の桃、蟠桃ばんとう

 そんな中で桃娘は栄養学的には不可能と僕の中では結論づいているのですが、桃の可能性を考えてみよう。

 中国には蟠桃という古くからある品種がある。

 蟠桃は普段日本で食べるような白桃ではなくて、柿みたいな形をしてる。柿よりは全然みずみずしいけれど、白桃のイメージとは結構違う。スモモに近いイメージかもしれない。なので白桃よりドライフルーツには向くとは思う。


 そもそも桃娘が何故桃なのかというと、桃というのは特別な果物だったからだ。古代中国では桃は神仙に至る食べ物と考えていた。

 この1個前の道教の話から続くけど、道教の神様には最高女神的な西王母せいおうぼという有名なキャラがいます。その西王母は桃を育てていました。

 西王母の桃は有名で、西遊記にも出てきます。孫悟空が石山に閉じ込められ理由は、❘蟠桃会ばんとうえという祭りにハブられた孫悟空が、腹いせに蟠桃会で暴れて桃を食べたから。

 それで西王母の蟠桃は仙果で、3000年物を食べると仙人になれて、6000年物は不老長寿、9000年物は世界が続く限り生き延びられるという代物。ショートカットなのか何かよくわからないな。

 ちなみに西王母は仙界だけじゃなく人の前に顕現した話も残っている(勿論、本当かは別として)。西王母は漢の武帝に桃を与えた。武帝は仙人の修行してた人として有名だから、多分3000年物じゃないかなと推測する。そういえば僕が書いている『恒久の月』という話の主役の一人が武帝で結構調べたんだけどさ、後半は神仙狂いが酷かったのだ。

 ちな、恒久の月short Ver.

 https://kakuyomu.jp/works/16817330664881779487

 武帝はこの時西王母から与えられた桃の種を保管していたということになっていて、明の時代の官僚が倉庫でその種を見つけたという記録が王世貞おうせいていの「宛委餘編えんいじょへん」という書物に残っています。

 長さ15cm、幅12cmもあったそうだ。

 カカオじゃねえのと思う。何故ならシルクロードが開通させたのは武帝だからだ。武帝の時代にはたくさんの文物や人が流れ込んできていた。


 武帝というのはすごい人なんだ。

 前漢で最も領土を広げて匈奴を打倒した。でも、領土を広げるれば反発がある。だから武帝は泰山で封禅をして、始皇帝と同じく天下の太平を高らかに宣言したし、西王母から桃を得て仙人となったという権威付けをしたんじゃないかな、と少し思ってる。いや、でもガチで道教シンパな気がするのも否めない。でもそれは老境でボケたからだという説は否定できない。

 それで武帝は張騫ちょうさいという人間を使って西域に外交したんだけどさ、その人は匈奴に捕まったり色々で面白いから、その話は本編にいれられてないからそのうち書きたい! 中途半端だ!


4.西王母の桃

 西王母自体も神仙の女神になる前と後では、結構扱いが違っていました。

 西王母とはもともとは土地を指す。『爾雅じが』という中国で一番古いと言われている辞典では、西王母は西の方にある土地又は国を指していました。

 西ってつくし。『爾雅』は周公が作った、または春秋戦国以前に作成されたものを前漢に整理された書物といわれています。


 そして西王母が神になるのは『山海経せんがいきょう』。あやかしの筋の人には有名な本だな。

 これは春秋戦国を終わらせた秦から前漢くらいに成立したと言われる最古の地理書。夏王朝創始者の帝の巡業記という体裁をとっています。

 その中で西王母が名指しで出てくるのは大荒西経の崑崙こんろんの丘か。なお、この大荒西経は特にガリバー旅行記ライクで、巨人の国や小人の国なんかもあるんだよね。


 西海の南の流砂のほとり西海之南流沙之濱

 赤水の後ろの黒水の手前に大きな山がある赤水之後 水之前有大山

 名は崑崙の丘という名曰崑崙之丘

 神がいる有神

 人の顔で虎の体で模様と尾があり真っ白だ人面虎身有文有尾皆白

 ここに住んでいる處之

 山の麓に弱水の淵があり其下有弱水

 山の周囲を巡っている之淵環之

 その外には火炎の山があり其外有炎火之山

 物を投げ込むと燃える投物輒然

 人がいる有人

 頭に勝を乗せて虎の牙と豹の尾を持つ戴勝虎齒有豹尾

 洞窟に住んでいる穴處

 名は西王母という名曰西王母

 この山には万物がある此山萬物盡有


 それとちょっと原典がすぐ見つからなかったんだが、同じ山海経の西山経では、『西王母はその状、人のようで豹の尾、虎の歯でよく嘯き、おどろの髪に玉の勝をのせ、天の厲(わざわい)と五残を司る』とある。

 おどろの髪っていうのはようはボサボサの蓬髪。

 五残っていうのは『墨、 鼻切り、足切り、宮刑、太辟(死刑)』の5つ。『災いを司る』っていうことからも、どちらかというと陰側の妖怪だった。


 それを道教は女神にしてしまうのだから、道教は謎い。

 それで、1個前でも書いた通り、道教が基礎と主張しているのが老荘思想。

 荘子の『荘子』という書物では『西王母はこれを得て少広に座す。その始めを知る無く、その終わりを知るなし』とある。ようは「いつ生まれていつ死ぬかわからない」、つまり不老不死、に見える。この辺が多分、道教が西王母を取り入れた理由なんだろうと推測する。荘子がこれを良いものとして考えているとはあまり思えないのだけれどな。

 道教の繋がりとしては『淮南子えなんじ』で不死の薬を持っているとされたことも関係がある気はするんだ。『淮南子』は前述の武帝の時代に編纂されたものなので、武帝の神仙志向と権威付けのために作られたのかもしれない。ガチ勢の可能性も否めないけれど。武帝の最終盤は認知症っぽかったから別として。


5.桃の園と聖なる桃

 そんなわけで桃は神聖な食べ物なのですが、そうすると桃がいっぱい咲いているハッピーな場所があるわけです。桃源郷という奴。

 桃源郷の初出は、陶淵明とうえんめいという紀元後400年前後の中国の人の『桃花源記とうかげんき』。


 晋の太元の時の武陵の漁師さんの話晋太元中武陵人捕魚為業

 船で谷を行くうちに縁溪行

 どのくらい来たのかわからなくなった忘路之遠近

 男は突然桃林に行き当たる忽逢桃花林

 桃林は両岸から数百歩続いていて夾岸数百歩中

 桃以外の木はない無雜樹

 香りのよい草は鮮やかで美しく芳草鮮美

 花びらが散り乱れる落英繽紛

 漁師は不思議に思って先に進み漁人甚異之復前行

 行けるところまでいこうとした欲窮其林


 桃源郷の桃の様子はこんな感じなんだけど、この話の続きはこんな感じ。

 漁師が進むと水源があり、山があって狭い洞窟がある。そこを抜けると村があり、漁師は歓待を受ける。聞けばこの村人は始皇帝の時代にやってきて出たことがなく、魏晋の時代を知らない。それで村人はここのことを言うなと漁師にいうんだけど、漁師は太守に言った。それでもう一度戻っても迷って行けなかった。

 そんな話。


 それでこの桃源郷の話も仙人を求める道教と交じっていって、桃源郷には西王母が育てた桃があるとか食べたら仙人になるとかいう話に繋がり、そして道教では桃源郷は仙人がいる場所になった。

 けれども陶淵明自体は神仙を否定してる。陶淵明としてはこの桃源郷は最終的に自分の胸の内にある的な考えのようです。道教の最高神の老子の考えが道教にあわないっという話は1つ前でしたのだけど、道教は本当に適当すぎる感じが強い。


 そして日本でも桃というのは古くからあった。

 弥生時代の遺跡にはすでに野生の桃の種が発見されているし、当時は食用ではなく観賞用だったようだけど、桃を育てる話も日本書紀にものってる。

 今は桃=聖なるものっという印象は薄れてきているけど、昔はそうじゃない。


 古事記で伊邪那岐命いざなぎのみことが黄泉路から逃げるときに色々ポイポイなげるんだけど、そのうちの一つが桃。

 古事記の上位神様って何をしても神様を生み出す。この桃も意富加牟豆美命おおかむづみのみことという神様になった。

 この桃の神様は特に人間形態でもないただの桃の姿っぽいんだけど、伊邪那岐命から「人が苦しんだら助けてやれ」とか結構むちゃぶりされたので、人を守るのだ。桃が……?

 そんなわけで、桃太郎が鬼を退治したり、桃の節句で悪鬼を払ったりするとか、神聖なものという印象は続き、桃は魔よけとされてはいた。


6.おわり

 それで何でこの話がSFの『ユフの果樹園』に繋がっているのかだけれど、まあお読み下さいというアレです。7000字弱の短編で賞もとったからきっと面白いと思う……。

 次回はどうしようかな。明治幻想奇譚の関係で遊郭の話でも書き下ろすか、あるいは夕方屋と透明な夕焼けで多次元宇宙論とか展開するか……。

 リクエストがあれば受け付けるかもしれません。

 ではまた。

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