第2話 ミイラ、屍蝋、即身仏

1.お品書き:未読歓迎

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 このエッセイは本編を書くのにあたって、色々調べたところをブッパするお気楽エッセイです。にわかなので間違いがあればお気軽にご指摘くださいませ。

 なお、本話は『君と歩いた、ぼくらの怪談 ~新谷坂町の怪異譚~二章』、

 https://kakuyomu.jp/works/16817330649666532797

 それから『明治幻想奇譚』の『狂骨紅籠』、この記事を書いた時にはまだ投稿してませんが『月の足る宮』の話に関連します。https://kakuyomu.jp/users/Tempp/collections/16817330649554910714


2.永久死体

 では早速。

 ミイラ、屍蝋、即身仏は「ミイラ、即身仏」と「屍蝋」に分類されます。最初はその違いから。

 法医学で「永久死体」という概念があります。

 これは死体自体というよりは、死体の現象を指す言葉ですが、特殊な状況下で死体の腐敗が止まり長期に現況をとどめる現象を指します。特殊死体現象とも呼ばれます。「ミイラ、即身仏」と「屍蝋」は何故そのような現象が起きたかという原因が異なります。


 なお、上記2分類の他に、「第三永久死体」と「浸軟」があります。

 浸軟は晩期死体現象という、死後時間が経ってから起こる現象に分類されるときもあります。分類は色々揺れ動いている感はある。

 そもそもの話、腐敗は細菌がいないと発生しません。無菌状態の子宮内で胎児が死亡し、自家融解等で柔らかくなった状態が浸軟です。正直この状態で留め置かれるわけがないし、「長期的」という要件を満たすのかよくわかりません。

 医学は詳しくないもので。


 第三永久死体はつまるところ、その他の原因で生じる永久死体です。

 水銀中毒で死ぬと死体が腐りにくい。ヒ素やホルマリンといった強力に菌を殺す方法で腐敗を止めた状態や、エンバーミングとかプラスティネーションといった人工的に固定された状態もここに入る、と理解しています。

 簡単に言えばエンバーミングは死後に体内の血液、体液、未消化物等を防腐剤に置き換えるもので、プラスティネーションは死体の水分と脂肪分を合成樹脂に置き換えるものです。

 以前に「人体の不思議展」でプラスティネーションの遺体が展示されていましたが、筋肉のつき方を学ぶには勉強とても勉強になりました。展示されてるのは筋肉ばかりでしたが。内蔵を知るにはアプリですが、ヒューマン・アナトミー・アトラスのシリーズはよく100円セールしてるのでおすすめです。


3.屍蝋の作り方

 さて、ミイラ・即身仏と屍蝋の違いですが、どうやって腐敗を止めたか、に違いがあります。

 ミイラは乾燥。高温で乾燥して風通しが良いところで水分を50%以下にすると腐敗は止まります。……干し肉の作り方に似ている。

 屍蝋は逆で、酸性度やアルカリ性度が高かったり通気性が悪かったりで、菌がいない水中とか泥の中に埋まっています。腐敗の原因となる細菌を遮断する。そうしてるうちに、細菌が分解するはずの脂肪が周囲の水分で加水分解されて脂肪酸に代わり、体表面がチーズ様になる。そのうち筋肉も脂肪酸塩となった結果、いわゆる鹸化、蝋やワックスのようなものに変質して腐らなくなる。脂肪の変質によるため、ふくよかな人のほうが死蝋になりやすいです。


 ヨーロッパでは泥炭地が多く、結構見つかっています。デンマークとかアイルランドとか、少し寒い沼地で植物が分解しきらないまま堆積すると泥炭層ができます。泥炭は石炭の一種で、近年でも燃料に使われています。ウィスキーのビート香のビートは泥炭のこと。麦芽を止めるための乾燥に泥炭を使います。

 そういうところに埋まってるのは「泥炭遺体」とも呼ばれます。泥炭遺体を第三永久死体に分類してるところもあるけれど、仕組み的には屍蝋と思う。


 ただし、屍蝋は自然発生だから完全なものばかりではありませんし、置かれた状況に左右されます。泥炭等の自然環境下では、酸性度が高いと骨が溶けるしアルカリ度が高いとタンパク質や脂肪が溶けて骨しか残らなくなる。

 だから完全に残ってるものが少ない。浅いところに埋まってたりすると地表の環境変化で劣化するし、空気に触れると崩壊しやすい。泥炭地は酸性度が高いことが多いから骨がもろいようです。

 だからきれいで完全なものは、自然環境下ではなく密閉された湿った墓とかのほうが残存確立は高いのかもしれません。(ネタバレ注意)なので狂骨紅籠では湖畔の特殊条件下にあった遺体が屍蝋化し、けれどもそこから移動する過程で崩壊したというそんな流れですね。


 それで泥炭遺体がなんで湿地に埋まってるかというと、その理由は色々です。

 生贄っぽい形跡があったのもあり、殺されたっぽいのもあり。一番最近のものは第二次世界大戦のときのロシア兵士の泥炭遺体が発見されています。古いものでは紀元前2000年ごろ。

 泥炭遺体で一番有名なのはトーロンマンと名付けられた紀元前4世紀の遺体ですが、地元民がストーブ用にピートを切り出したときに埋まっているのを見つけて、最近発生した殺人事件だと思って警察に通報したようです。

 今も博物館に展示されていますが、指紋もはっきりしていて無精ひげまで残っていて、胃からはおかゆが検出されたとか。……おかゆも鹸化したのかな?


 他の違いはミイラ及び即身仏の多くが人為的になされるのに対して、屍蝋は自然発生することが多いのが特徴です。日本でも、福沢諭吉がお墓移すとき掘り出したら屍蝋化してたというのはわりと有名。


4.ミイラとエジプト神話

 本論のミイラに行く前に高地ミイラのお話。

 エジプトのミイラは乾いていますが、ミイラと言っても必ずしも乾いているわけではありません。

 エジプトのミイラは乾燥させる過程で水分が抜けます。

 一方でアンデスミイラ等の高地の乾燥を利用して作られたものは瑞々しい場合があります。氷河とか高山とかなら寒いところでも乾燥してミイラになることがあります。ちなみにヒマラヤとか高地の有名な登山ルートはミイラだらけと聞いたことがある。遺体を持ち帰るのは困難だから。

 ユーヤイヤコ山というところで見つかった500年前の女の子のミイラは、凍死したそのままの姿で保管されていて、心なしかふっくらしている。発見時に血液がまだ残っていたようです(ググれば写真出るけど死体注意)。


 さてそろそろエジプトミイラです。

 何故エジプトではミイラを作るのか。よく死後に復活するためといわれますが、そんな単純な話でもない。

 エジプト人の死生観を見てみましょう。

 エジプト人は死後にイアルの野という死がない永遠の楽園に至ると考えていました。でもイアルの野に至るためには、ミイラを作る必要があると考えられていました。何故ならイアルの野はものすごく遠くて、たどり着くのが大変だったからです。

 昔のエジプトの死後の世界の考え方って、当然ながら日本と共通するところもあるけど異なるところもあります。

 エジプト人は人を構成する要素が「バー」「カー」「イブ」「レン」「シュト」という5つあると考えていました。「バー」は幽霊に近い。個性とか人格とか独自性とか精神っぽいもの。人が生きるには呼吸が必要で、つまりその呼吸である「バー」は、死んで呼吸が停止すれば肉体から離れます。「カー」は説明が難しいけど、もっと本能的な魂、なのかな。永遠の肉体の表彰というか、生命力とかを司る。死んでも活動にはエネルギーを得る必要なのです。「イブ」は人の徳を表す心臓。死者の審判で必要です。「レン」は名前で「シュト」は影。いずれもその存在に必要なもの。

 日本ではもっと精神寄りで、この間の神道でも一霊四魂っていって人の魂を和魂とか荒魂とかに分けるけど、それは精神の働きによる分類だから、結構違いますね。エジプトの魂感は思っている以上に物理寄りな気がする。

 そもそも大昔、砂漠で自然ミイラがちょくちょく発見されたことから、死者は生者と同じく肉体をもって暮らしていると考えられたところが出発点だからだと思います。つまり気候が違う。

 最初は砂漠で野ざらしにしてミイラを作ってた時代もあって、寧ろ墳墓を作り祀るようになったからこそ湿度が保たれ腐敗し鳥獣害が生じるようになった。だからこそミイラづくりの技術が発展したという経緯がある。


 エジプト人の死生観自体はちょっと独特です。

 日本神話でもキリスト教でも、死後の世界は現世と明確にわかれています。けれど、エジプトでは現世の死と来世の生はつながっている。

 ちょっといいわけですが、エジプト文明ってすごく歴史が長い。

 その中で最初の方と最後のほうでは宗教観にも結構違いがあります。王朝も変わる。以下はあくまでも、死者の書という「冥界ヒッチハイクガイド」ができたと言われる紀元前2000~1000年前後を想定しています。なお、このガイドブックもVerとお値段によって中身が変わります。

 死者はイアルの野では現世と同じような生活を続けます。

 だから副葬品に死後の世界で使う家具、化粧道具や楽器とかを入れておく(ただ、初期はイアルの野に至れるのは王だけで、貴族は地上で暮らすみたいな考え方だったから、時代による)。


 それで、死後にどのように魂が動くかという話。

 まず人が死ねば、「バー」はイアルの野を目指して旅に出る。でも夜になったら体に帰ってくる。死んでもご飯を食べたり寝ないとしないといけない。「バー」が旅をしている間、「カー」はお供え物を受け取って、食べて体の栄養補給をする。で、死後もご飯がおいしく食べられるように体を保全しないといけない。そのために儀式を行ってミイラを作りました。体がないと、ご飯が食べられないもの。

 ミイラが作られる際に腐敗の防止のために内臓は抜かれますが、オシリスの審判で心臓を使うので、心臓、つまり「イブ」だけはミイラの中に残されます。他の臓器はカノープスの壺に保存されます。FFとかによく出るアレ。鷹の頭を持つホルス神の4人の息子が肝臓、肺、胃、腸のそれぞれの臓器を担当しています。

 それで、ミイラの口を開ける儀式という、ミイラが死後に食事をとるために五感の機能を復活させる儀式を行います。目、耳、口、鼻にちょうなという手持ちサイズの鋤みたいな道具を当てて、死後使えるようにする。これがミイラづくりにおいて最重要なんですが、尻は開けなくていいのだろうかと少し思ったのだけど、食べるのは食べ物の「カー」だった記憶だから開けなくてもいいのかな……?


 そういう点で、ミイラづくりっていうのはイアルの野に至るために必要な宗教儀式でした。だからエジプトのミイラ技術はかなり体系化されています。

 お葬式と一緒で全然ホラーはありません。後期のほうにはお値段によって施術が変わるという商業色が強くなる。他にも貢物が多い(葬儀屋に大金を支払う)と、イアルの野に至るまでの苦難をショートカットできたり抜け道が記載された死者の書が一緒に納棺されます。葬式商法感。


 さて、「バー」はイアルの野を目指して様々な旅をします。「死者の書」には困った時のお祈り文句、呪文や秘密のルートなんかも書いてあって、最終的には死者の審判に行きつきます。日本でいうと閻魔大王みたいなもの。

 43の禁忌を犯してないか質問され、最後に犬頭のアヌビス神が天秤に心臓、つまり「イブ」をのせてダチョウの羽より軽いかどうかを判断し、軽ければオシリスの待つイアルの野に行けるし、重ければアメミットっていう頭がワニで体が獅子の化け物に食われてしまいます。

 それでイアルの野にたどり着けば「バー」と「カー」が統合されて「アク」という存在になり、イアルの野で生き続ける。でもここで終わりじゃなくて、エジプト後期の方では、ミイラが管理されなくて適切に祀られなくなると、「アク」は死霊になる、という話が出てきた。

 でもそもそも何千年もミイラを守るなんて無理なんだと思うよ……。

 なんていうか、天国に至るにはハードルが高すぎるんじゃないかなと思うわけですよ。エジプト人はこの宗教にどうやって救いを見出したのか……。


 さて、そんなエジプト神話ですが、そもそもエジプト神話はミイラだらけです。

 太陽神ラーの涙から最初の人間が生まれたのが「ファラオ」。人間の息子という意味です。先程出てきたオシリスも神なんですが、死んで最初のミイラになって死者の神になりました。ホルスの4人の息子もミイラのはずで、全体的にミイラで溢れている。生者と死者の区別がゆるい。

 エジプトの神様は姿も面白いし、多神教ライクにキャラ立っています。太陽神ラー自身も頭がフンコロガシで体が人という謎形態があります。ろくでもないのも多いし全体的にバイオレンス。

 みんな大好きメジェド様も死者の書に出てくるんですが、死者の書にチラっとしかかいてなくてよくわからない。目から光を放って口から火を吐いているらしい。謎めく。


5.即身仏

 さて最後の即身仏。即身仏も分類的にはミイラの一種です。

 但し、これは他の2種とは大きく違うところがあります。それは自分でミイラになったっていうところ。飢え死にしただけでは即身仏になれないのです。


 ミイラは前述の通り、乾燥させることによって腐敗を防いでいます。ところが日本は高温多湿。乾燥できないから、そのままじゃミイラになり難い。

 即身仏には「木食修行」と「土中入定」という過程があります。

 「木食修行」は山籠もりして穀物を食べずに、木の実や木の皮、草を食べて修行をする。これを3~15年くらい続ける。腐敗とは脂肪やタンパク質が細菌に食べられることで起こる。ところが草木じゃ栄養が得られないから、生体からまず脂肪がなくなる。その次に筋肉が糖化されて消費される。そうすると水分もなくなる。この時点で生きたままミイラ状態になっています。

 最終段階で「土中入定」といって空気穴だけあけた深い穴に入り、鈴を鳴らしながら読経します。音が聞こえなくなってから1000日たって掘り出すと、ミイラになっています。いや、もともとミイラなんですけどね。けれども「木食修行」に失敗して脂肪が残り、即身仏になれず腐敗していた僧侶もいたようです。かように即身仏になるのは厳しい。

 エジプトのミイラみたいに、わざわざ腐りやすい内臓を抜くとかの加工しなくてもミイラです、それは亡くなる前に既にミイラだったから。要するに、ミイラになってから死ぬ。

 日本で確認されている即身仏は18体(明治以降の方一体含む)で、試みた人は多いけど、最後まで成し遂げられた人はほとんどいないようです。

 

 即身仏になる理由はいくつか考えられます。

 真言密教に「即身成仏」という考えがあって、これは大日如来と一体化して人のまま仏になる、という考え。ただ「即身成仏」の本来の意味するところは、人のまま悟りを開いて仏になるってことで、即身仏になりなさいっていう話とは違う。けれども真言密教の僧侶が悟りを得る手段として即身仏になろうとしたんじゃないかなと思われます。

 他には弥勒菩薩が下生するまで体を残して待ちたいということで即身仏になった僧侶もいるようです。「劫」っていう単位があります。寿限無の「五劫の擦り切れ」の劫です。

 仏教では「1辺4000里の城に芥子粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に1粒ずつ芥子粒を取り出していって、城の中の芥子粒が完全になくなっても一劫に満たない」とか「天女が羽衣を40里四方の石を100年に一度払って、その石が摩滅して無くなってもなお一劫の時間は終わらない」とか言わています。物凄く気が長い。

 それで、弥勒菩薩がお釈迦様の救いきれなかった人間を救いに来るのは、お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後。なお、今は地球が誕生してからだいたい46億年目くらいです。人を救うってなんなんでしょうね。


 なお、今は即身仏は違法です。

 即身仏になろうとする人自体は特に罪に問われないけれど、手伝ったら自殺幇助罪になるし、埋まった後に掘り出すのも墳墓発掘罪となります。なので、最後の明治時代に見つかった即身仏の方が掘り出されたのは、昭和になってからのようです。


6.おわり

 最後にちょっと、「死体」全般の話。

 1800年代のヨーロッパ、もっと言えばヴィクトリア朝の銀盤カメラができた黎明期に「遺体記念写真」っていうのが流行りました。これは亡くなった方の写真を撮って、記念に残すもの。遺影とかではなく記念写真として作るもので、当時は最高の遺品として考えられていました。

 横たわっている姿や棺に入っている姿、遺体をスタンドで立てて家族で一緒に写真を撮ったりしています。写真の雰囲気はなんとなく穏やかで、ユーモラスなものも結構あります。

 今はこんなことしないよね、というか不謹慎っていわれると思う。不謹慎と思いながらこの前これで短編1本書いたんですけどね……。


 ちょっと前まで、日本でも戦争や飢饉、災害なんかで死体っていうのは生活の中で普通にあるものだったと思います。この間の仏教と神道の違いもそうだけど、時代の断裂があると大きく常識が変わることがあります。

 特に今は有史以来最も死や死体が縁遠い時代で、正直、現代人の死体感ってかなり特殊でケハレとか穢れの概念も大分変わってる。「死」にたいして「こうあれ」的な概念の移り変わりが知りたいなと思っているので、資料をあさっているところです。


6.おわり

 こんな感じで作中にでた色々を交えた解説をするエッセイになります。本編未読でもいいし、エッセイ未読で本編でも全然いいアレです。

 予告もなんですが、次も怪談のネタで『擬洋風建築はロマン砲』を予定しています。リクエストがあれば受け付けるかもしれません。

 ではまた。

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