第3話 擬洋風建築はロマン砲

1.お品書き:未読歓迎

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 本話は『君と歩いた、ぼくらの怪談 ~新谷坂町の怪異譚~三章』関連エッセイです。そういや怪談を投げ入れるのを怠っていることに気がついた。

https://kakuyomu.jp/works/16817330649666532797

 明治幻想奇譚の時代にもあたりますので狐狼狸ころりの話が出てくる鎮華春分の宣伝をおいておこう。

https://kakuyomu.jp/works/16817330650851134123

 このエッセイは本編を書くのにあたって、色々調べたところをブッパするお気楽エッセイです。にわかなので間違いがあればお気軽にご指摘くださいませ。


 江戸時代までは日本は木造建築が大半でした。火事のときに簡単に立て壊せる(沈火したあと、その日のうちに立て直せる)こと、湿度の高い日本では通気性に優れ湿気を吸収することから、日本では木が建材として主流でした。 地震が起これば石造りだと倒壊の危険性がありますし、通気性が悪いのですぐカビが発生します。


2.擬洋風建築について

 古い建物を残すためには、並外れた努力が必要です。技術者がいないという問題もさることながら、一番の敵が法律です。 建物を立てるための基準を定めた法律に、建築基準法があります。この法律は国民の安全のための最低限の法律として1950年に制定されましたが、大震災が発生する度に耐震基準が上乗せされ、最も大きい改正は宮城県沖地震を契機に追加された1981年の新耐震基準で、その次の大改正は阪神・淡路大震災を契機に耐震性能についての規定が改正され、同時にできた品確法という法律で耐震等級の定めが規定されました。具体的な内容は構造耐力とかせん断力とかねじれ応力とか物理的な話になるので割愛します。 簡単に言うと過去地震で倒壊しない建物でなければ建築・大規模修繕できません(ただし木造小規模建物は特例がありましたが、民家の擬洋風建築は基本ない)。


 では改正される度に対応しないといけないのかというとそういうわけでもありません。ボロボロで倒壊しそうな家も極稀にありますね。これは既存不適格という状態で、現在は基準を満たしていないけれど、建てた時は満たしていればよいのです(仮に過去に遡及するなら、家は都度修繕できる資金力のある金持ちしか建てられない)。 ボロボロでも人が住んでなければ空き家対策法で取り壊される可能性はありますが、誰か住んでいる限りは基本的に他人が口出しはできません。ただし地震で崩れる家だと知って人を招いたり人に貸したりして損害が発生した場合は損害賠償責任を問われることはあります。 閑話休題。


 それで擬洋風建築です。 擬洋風建築は建築基準法施工以前に建てられて、当然ながら現在の耐震基準に合致していません。けれどもそのまま使う限りでは問題はありません。 そのまま使う限りは、というところが問題で、築100年を超えると何はなくても建物は劣化してそのまま使えなくなります。雨漏りなんかも当然発生します。たいていは木造なので耐久力自体が限界です。 建築基準法では建て直しまたは大規模修繕をする場合は最新の建築基準法に合わせる義務があります。大規模修繕とは主要構造部(柱や屋根、外壁などの建物に必須の部分)に手を付ける修繕です。大体の建物で、既に必須な改良工事。


 基準に合わせればいいじゃないかと思っても、昔の図面は耐震性なんて考えていないので当時からみると過剰すぎる強度が確保されている可能性は殆ど無い。昔の建物は柱は妙なところに立ってるし屋根は重いしで根本的に改善が難しく、可能だとしても補強に建物中に筋交いを入れたりしないといけない。求められる耐震性能は現代基準なのでとても高いのだ。 建築基準法以外でもよく問題になるのは消防法で、一定以上の出入りのある建物では避難経路を策定し、一定以上の廊下の幅を確保しないといけません。廊下は狭いけれども既存の客室との関係があるから広げることもできないし、そしてそもそもそこを直してしまえば、伝統的な建築の良さというものが全く残らない。いりくねった迷路のような大正ロマン的木造建築なんて、今は法律的に建てられない。だからそもそも現在の形状のまま直すのは難しい。 もとと同じ建物を建てられればよいのだが、その場合は新築になって耐震基準を満たさない建物は建てられない。


 その結果、建物自体の維持がもう残すのが無理で、やむなく解体という話は結構あります。古い建物をだましだまし使うのは、すごくお金がかかります。 建物を残す方法の一つとしては、主要構造部に手を加えずに補強する方法があります。リノベーションなどで行われていますが、躯体部分の劣化が激しい場合は建物維持の目的としては難しいでしょう。また、内外を新しくパネルなどで補強するスタイルも多いですが、それではもともとの建築様式を残すという趣旨にあまり合致しません。


 建築基準法3条1項3号では、地方でその状況に応じた条例を制定すれば建築基準法が適用除外となる規定もあるのですが、どのような建物を対象とするかの判定は、自治体にとっても独自の条例の策定は結構難しい。 神戸や京都、横浜は景観条例という景観を守る条例に混ぜたり新しくつくったり、古い建物が保護されやすくする条例が作られているので古い建物が残りやすいですが、広がってほしいなと思っています。なお、この知識は現在時点から大分前の知識なので、今は増えているかもしれません。 だいぶん話がずれたので、「擬洋風建築」の「擬」のところに話を戻します。


4 誰がそれを「擬」と呼ぶのか。

 「擬」という言葉は、当然ですが、建築当初にあった言葉じゃありませんでした。 昭和に明治を振り返ったとき、あのころの建築はたんに西洋をまねただけの「擬」物だといわれたところから生まれた言葉といわれています。 本編では「擬洋風建築の大家」という表現が出てきますが、実はものすごい嫌味くさい表現である自覚はあるのですな。けれどもそのように偽物と呼ばれていたのは未だ西洋建築が華やかにもてはやされていた大正昭和初期の話です。 戦後になってからその独創的なデザインが評価し直されてきました。


 「擬洋風建築」は大工さんたちが見様見真似で作っていたものなので、バリエーション豊かです。後期のほうには傾向がまとまってきはしましたが、まさに和洋折衷を地で行く浪漫建物が多くあります。 本編で出てくる紅林邸は、外観は漆喰白壁で中は木造(内部の木材は経年劣化で黒光ってる)です。内部設定では明治20年に建築されたもので、時代としては「擬洋風建築」が作られた時代の最後の時期にあたります。 当時は普通の洋風建築の知識も広まってきたころだから、正直、建築した治一郎が東京にいつづけても活躍できなかったんじゃないか。


 「擬洋風建築」もそうですが、明治・大正期は今から見返すと様々な価値観が混在する時代です。明治大正とはどんな時代で、なぜロマンを感じるのか。それはおそらく、明治大正というのはナーロッパ同様、現代から見ると異世界だからでありましょう。 江戸川乱歩は明治生まれですが、乱歩の書く探偵も怪人もマントを羽織ってたり独特な恰好をしています。アトラス好きなら葛葉ラ〇ドウとかもそうで、ああいうイメージは、すでに現代とは認識されない断絶した昔の都市伝説感をまとっている。そういえば都市伝説はいつまで存続しうるのかという話は本編に関連して『口裂け女は現代日本で生きていけるか』というテーマで書いているので、そのうち持ってくる予定です。


 明治幻想奇譚のシリーズのテーマでもあるのですが、この明治の時代は科学と非科学、そして様々な価値観や文物が混じり合った時代でした。本地垂迹のあたりでも述べましたが、日本の奇妙なところは、価値を拒絶するのではなく混ぜて混同しようというところにあります。 未だ世界は混沌に包まれ、世界は不確かさにあふれていた時代。明治は幕末から大正、昭和に至る過渡期で、江戸の価値観が全て覆されかけ、西洋文明といいう新しい価値観、まあつまり新しい化け物が襲い掛かってきた時代です。使い古された言い方だとパラダイムシフトというやつ。隣ではずっと大国だった中国が薬を盛られて半ば植民地になっていた。日本は自ら新しい価値観を構築し、その上に立脚する必要があったわけです。この辺は詳しく描くと政治含みなのでとりあえずスルーする。


 その価値混同はあたかもカンブリアの大爆発のように様々な場面で現れます。 例えば白井光太郎という東大で世界初の植物病理学教室を作った学者がいますが、そのような西洋科学の大家とされる極理系に見える人でも、大正年間に「植物妖異考」という植物の妖怪の本を真面目に書く時代でした(なお国会図書館のデジタルアーカイブで読めます)。伝承を集めたものに考察を加えた本です。 幕末・明治は妖怪も色々バリエーションがある。江戸から明治にかけて狐狼狸という妖怪が人々を十万人単位で何人も食い殺しました。ぶっちゃけていうと西洋から入ってきたコレラのことなのですが、様々な文物を妖怪という形で日本の文化の中に包含しようという姿はなかなか興味深い。一方で江戸時代後期の草双紙や錦絵などで描かれてる豆富小僧は、街角で立ってて豆腐たべさせようとする妖怪です。このようなわけのわからないものも生まれました。 この時代は未だ妖怪や幽霊が実在しうると考えられていた、ということこそ現代から考えればまさに異世界でしょう。フェンリルやドラゴンがいるのと大入道や一反もめんがいる世界は、自分にとってそう代わりはないように思えます。 そしてこのような世界の不確かさが許されたのは、やはり大正あたりまでなんでしょう。大正までは西洋の科学者も真面目にエクトプラズムとかやってましたから。つまりそれ以前は現代の価値観を前提とすれば、異世界ファンタジーに等しい。


5.おわり

 来年2025年4月に建築基準法4号特例が廃止されます。これまでは木造2階以下で一定以下の規模と延床面積の建物については建築申請が不要になっていましたが、必要になります。 ですから来年以降に話を書く時は、小規模の建物でもその修繕について多少考慮したほうがよいかもしれません。きっと50年もすれば推理小説に使える建物はきっと少なくなっている。もっといえば今推理小説に使えそうな建築が今本当に建てられるか……とかは気にしたら書けない気がしたぞ。

 ではまた。

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