第10話 「そこまで考えてなかった」

 エルドナと出会ってから1週間が経過しようとしている。

 言葉選びの悪さ、暴力を振るうことへの快感。彼女の持つ要素に強く不安を感じた俺は、毎日のように彼女の下へ足を運んだ。

 まず改善に取り組んだのは性癖ではなく言葉。

 およそ50年前にこの大陸にもギルドと冒険者というものは本格的に根付き始める。それに伴ってどの国でも円滑に物事が進むよう言語の統一と見直しが行われた。

 ただエルドナが読み書きを習ったのは今から70年ほど前。

 そこから先祖返りの件やらで同族と揉めていた時期。冒険者になってからも単独で修行して時期や趣味である一人旅を行っていたこともあり、文法や言葉のニュアンスにズレが生じたらしい。

 たださすがはエルフ。知能に優れる種族というべきか。

 エルドナは3日もしない内に自身のズレを完全に修正してみせた。おかげで格段に意思疎通が図りやすくなり、彼女の事情を知らない相手との会話でもトラブルは起きにくくなったと言える。


「――おっと」


 顔面に向かって飛んできた鋭い正拳突きをギリギリでかわす。

 どうしてそんなことが起きたのか。

 その問いへの答えは、現在進行形でエルドナと模擬戦をしているからと言うほかにない。

 Aランクであるエルドナにはクエストを行ってもらった方がギルドとしては収益的に助かる。が、将来を見据えるならしっかりとトラブルの種となるものは消し去っておいた方が良い。

 そのため言語修正が完了してからは俺以外との会話。

 ギルドの関係者から始め、気さくな冒険者や街の人々といった感じに対話の練習に時間を費やしていた。

 それが本日を以って終了しても良いだろうということになり、冒険者稼業復帰に向けて戦闘の勘を取り戻そうとしているわけだ。


『むぅ……今のも当たらない』


 模擬戦を始めて数分経過しているが、お互いにクリーンヒットはなし。

 俺としては有効打がないことに不満はないのだが、エルドナとしては無表情が崩れるくらいには腹が立っているようだ。


「まあ手加減してもらってるからな」


 エルドナの本来のスタイルは膨大な魔力で自身にバフを掛け、物理耐性があるようなら高威力の魔法で叩き潰すゴリゴリのパワーファイターだ。

 だが今回の勝負は、魔法使用禁止の体術勝負。

 肉体改造は行っているだろうがそれは俺も同じこと。

 そこに種族差や男女の筋力差も相まって身体能力はこちらに分がある。

 分かりやすいようにランクで表すなら俺がBでエルドナはCだ。

 もしも身体強化が有りなら俺がAでエルドナはSになる。

 いかに俺がハンデをもらっているか分かるだろう。

 にも関わらず、先ほども言ったが俺はエルドナに有効打を与えられていない。

 その原因はただひとつ。

 身体能力で勝っていても技術に関しては向こうが上。

 魔法剣士である俺では、魔法拳士であるエルドナには体術の練度で劣っている。


『だとしてもクロウは剣士。徒手格闘はこちらの領分。それなのにこの現状はわたしが未熟である証』


 十分にあなたの体術は達人級のレベルなんですが。

 身のこなしとか技のキレとか俺が見てきたどの冒険者よりも凄いんだけど。

 それなのに未熟とか……このエルフ、いったいどこを目指しているのだろう。


『それに……心のどこかでわたしはクロウのことを侮っていた。剣士相手に徒手格闘で自分が負けるはずがない。懐に入れば終わらせられる、と。でもここからは本気で倒しに行く!』


 勝手にギアを上げるのやめてもらっていいですか!

 なんて言う暇もなく、地面を蹴り抜いたエルドナは一瞬で距離を潰してくる。

 そこから勢いを殺さずに回し蹴り。

 上体を低くして回避したと思ったら空中で回転して裏拳が飛んでくる。

 それは後ろに引く形で避けることに成功。しかし、続いて踏み込みながらの掌底が襲い掛かってきました。

 これに関してはもう受け止めるしかない。


「ッ……!」


 俺に受け止められることも視野に入れていたのか。

 エルドナはすかさず前宙しながらのかかと落としでこちらのブロックを破壊。

 体重を巧みに移しながら全身をしっかりと連動させた左の正拳突きで追撃を仕掛けてくる。

 その場に止まることが出来ないと判断した俺は、自分から後ろに飛んでバク転しながら距離を取った。


『これでもダメ』

「いやいや、ギリギリだから。一瞬でも遅れてたら悶絶して倒れてる」


 だからもう少し手加減して。

 模擬戦で怪我とかシャレにならないから。打撲くらいで済んでくれないと訓練場を貸してくれてるギルドにも悪いから。


『その仮定に意味はない。クロウ、本当に剣士?』

「剣士だよ。体術なんて多少かじってる程度だ」


 何で多少は出来るんだって?

 そんなの剣が壊れたら戦えませんなんて状況にならないためだよ。

 剣がなくても魔法と併用すれば人間の身体だってモンスターに有効な武器になる。

 だから駆け出しの時とか、今よりも自由に動き回れた時期にあれこれ技術だけは習得しているんです。どれもこれも良くて二流って呼べる程度だけど。


「出来ればこのへんで終わりにして欲しいんだが?」

『ダメ。やっと身体が温まってきたとこ。もう少しだけ付き合ってもらう』


 俺はあなたの専属トレーナーでもスパーリング相手でもないんですが!

 心の奥底からの叫びは、迫り来るエルフの躍動で無下にされる。

 マジで防戦一方。反撃の隙がない。

 おかげで回避できる回数は減っていくのに防御する回数は増加するばかり。

 受け止めた衝撃は、足技でもない限りは骨に響いたり痺れを感じるものじゃない。

 ただそれでもダメージは蓄積されるわけで……このままだと両腕が使い物にならなくなる。何か表面が腫れてきてる気がするし、どうにかしないと近い内に鋭い一撃をもらいかねない。


「はあぁあッ!」


 このエルフ、真剣になる過ぎるあまり言葉発しちゃってるんですが!

 しかし、勝負を焦ったのか。ガードを崩すためなのか。

 これまでよりもわずかばかりに大振り。重心の移動も甘くなっている。

 正直通じるかどうかは分からんが、このチャンスを逃したら痛い目に遭う。訓練で吐いたりするのはごめんだ。

 覚悟の決まった俺は、過去の記憶をなぞりながら行動を開始。

 高速の正拳突きを受け止めたり、弾いたりはせず。その勢いを殺さないように左手を添えるようにしてエルドナの手首を掴み、身体を彼女の方へ潜りこませる。

 自身の身体を使ってエルドナを浮かせ、それと同時に投げ捨てる。

 攻撃の流れを変えることで自身を守る護身術。この世界でも柔術とか呼ばれている技の出来損ないだ。

 それ故に有効打にはならず、投げ捨てられたエルドナは空中に居る間に体勢を立て直して着地。何事もなかったように俺の方へ振り返る。


『今のは東方で用いられている《ヤワラ》?』

「そのパチモンだ。本物には到底及ばない」

『だとしてもその一部を習得出来ているのは尊敬に値する。その黒髪といいクロウは東方の出身?』


 東方=黒髪。

 何でこの世界でもと思いもするが、俺が今居る大陸の東には島国が存在している。そちらに近づくほど金髪を始めとしたカラフルな色合いは少なくなり、黒髪や茶髪が増えるのも事実。

 なので黒髪の人物を東方の出身と考えるのはおかしいことではない。


「さあな。俺は孤児だったから生まれに関しては分からん」


 この世界で気が付いた時には、田舎の孤児院に世話になっていたし。

 もしかすると東方の出身なのかもしれないが、転生するに当たっての神様の気まぐれというだけかもしれない。

 まあ正直な話、俺からすれば髪色だなんてどうだっていい。

 仮に黒髪でなかったとしても毎日見ていれば人は慣れる。それが当たり前になる。


『ごめんなさい。軽率な発言だった』

「別に謝らなくていい」


 言っては何だが災害やモンスターによって孤児になる奴なんていくらでも居る。

 そうならないように冒険者や兵士、騎士といった仕事が世の中には存在しているわけだが。

 全ての人間を救おうとどれだけ努力したところで全ては救えない。

 届かない命が必ずある。もしも全てを救える奴がいるとすれば、それはもう神と呼べる存在だけだ。


「というか、お前さっき声出てたぞ」

「……!?」


 やってしまった!

 と言いたげに両手で口を押さえるエルフさん。

 小柄な容姿も相まって実に可愛らしい光景である。

 まあ場合によってはそんな言葉で済ませられることではないんだが。


『ごめんなさいごめんなさい! クロウとの勝負が楽し過ぎてつい感情が表に。今後はないように気を付けるから許して!』

「いや許すも何も……」


 いつ話そうかと思っていたが。

 ちょうどこの場には俺とエルドナしかいない。なら今言ってしまえばいいか。


「エルドナの言霊って魔力や魔法に耐性がある奴には効かないんだろ?」

『そうだけど。ランクで言えばB以上が必要。ただ言霊の強さはわたしの感情の強さに比例する傾向にある』


 それはまあそうだろう。

 そして、エルドナはよほどのことがなければ言葉を発しない。平時であれば文字魔法で流暢に会話が繋がるくらい声を出さないように生きてきた。

 それでも声が漏れるということは、理性では抑えられないほど感情が爆発している時。先ほどのような気合の掛け声なら問題はないだろう。

 が、もしも掛け声が「死ねぇぇッ!」とかだったら怖すぎる。

 気性の荒い冒険者なら割と言いそうな掛け声ではあるが、このエルフさんに関しては絶対に言って欲しくはない。


『場合によってはBでも影響を受ける可能性はある。だから』

「BでもってことはAなら平気なのか?」

『わたしの知る限りは平気。だいぶ前の記憶にはなるけど、同族とか普通に会話してた』

「なら俺相手なら声で会話しても大丈夫だと思うぞ」


 決して人知を超えたレベルであるSランクの能力は私にはありません。

 が、大体の能力は最低でもBランクくらいには届いて大半はAランク。魔力とか魔法の耐性に関しては俺の記憶が正しければAランクだったはず。

 なのでエルドナの言霊が、本当にBランク未満かつBランクには確率でしか通じないものなら俺には効果を発揮しない。


「俺はギルドから大半の能力はAランク評価されてるから」

『……ほんと?』

「ああ」

『ほんとに声で会話していい? 会話できる?』

「それは実際に声を出して確認してみればいい。ここには俺とお前しかいない」


 危険性のある言葉が論外だが、それ以外であれば仮に言霊が効いてしまっても俺以外に迷惑を掛けることはない。

 ただすぐには覚悟が決まらないのか、エルドナは口を開いては閉じてモジモジしている。それでもやはり文字魔法よりも自分の声で会話したい想いはあるのか、ゆっくり俺の方へ近づいてきた。


『ほんとに……良い?』

「良くないならそもそも声で会話しろとか言わないさ。ただもしもに備えて変なことだけはやめろよ」


 もし仮にギルドの職員が呼びに来たりして、その現場をがっつり見られたら俺の冒険者生命に関わるから。

 なんてことを考えている間にエルドナの覚悟も決まったのか、俯いていた顔を上げて俺に真っ直ぐ視線を向けてきた。

 そして……


「クロウ、わたしのおっぱい揉んで」


 鈴の音のように心地の良い声でとんでもないことを言い放った。

 こいつ、やっぱ根本的な部分がイカレているのではなかろうか。


「何言ってんのお前……」

「ほんとだ……ほんとにわたしの言霊効いてない」


 うん、そうだね。効いてないね。

 その確認が出来て良かったね。

 それが君にとってどれだけ喜ばしいことなのかは、その泣きそうになっている顔を見るだけで大いに伝わってくるよ。

 でも……


「どうしてああいう発言が出てくるんだ?」

「それは……イエスかノーで答えられる質問だと、クロウ自身の意思なのか言霊によるものなのか区別がつかない。特に抵抗もなく出来る行動でも同じ。だからおっぱい揉んでと言った」


 理に叶ったこと言ってるくせに常識からは外れてるんだよな。

 もしかして人間とエルフの価値観の違いだったりする?

 エルフにとっておっぱいってのは気軽に触れられても許せる箇所なの?

 そんなわけないよね。どんな種族であれ、好意のない相手におっぱいを揉まれるのは嫌悪感を感じる行為のはずだよね。


「なるほど。だがもし仮にだが言霊が効いてしまって、俺がお前の胸を揉んだとしよう。そして、その瞬間を誰かに見られた場合……お前、どうやってその責任を取るつもりだった?」

「そこまで考えてなかった」


 てめぇ、知能高い割にマジで脳筋だな。

 天才だけどマジでバカ。

 後先のことも考えて行動しろ。そうじゃないとせっかく言葉選びとか矯正したのにまた問題起こすぞ。


「でも……もしそうなっていたら」

「なってたら?」

「責任を取ってクロウのお嫁さんになる。クロウのこと養う」


 そこまでの責任は求めてねぇよ。

 確かに恋人だとか結婚する予定がある仲だって言えば誤解は解消されるだろうさ。

 でもお互いの人生設計が狂うっていう元より大きな問題が発生するよね。


「気軽にお嫁さんになるとか言うな」

「気軽じゃない。声を出して会話できる相手は貴重。わたしは結婚相手とは普通に話したい。だからクロウはとても良いお婿さん候補」


 確かに事情が事情だ。

 声を出せる相手ってのはお前にとって価値のある存在なんだろう。

 だが……それだけ勝手に結婚相手として考えられるのはこっちとしては複雑だぞ。

 別にエルドナのことが嫌いだとか言わないが。

 単純な好みで言ったら俺は胸は大きい方が好きだし。深い関係になれば色々とするわけだからもう少し身長がある相手の方が望ましい。


「人を殴るのが好きで快感を覚える奴はちょっと……」

「あれは言葉の綾。意味もなく人を殴ったりしない。そのへんはモンスターで我慢する」


 意味があれば、理由があれば人だって殴るってことだよね?

 モンスターで我慢するってことは、殴ったりする行為に快感を覚えるのは間違いないってことだよね?

 よし、決めた。

 根本的に問題になりそうだったコミュニケーション能力は改善できたわけだし、今日を以ってエルドナの対応を終わりにしよう。

 だから今すぐにギルドに報告して、真っ直ぐ家に帰ろう。

 こんな可愛い顔した変態の相手をしてたらメンタルが崩壊するかもしれん。


「そうか。俺は急用を思い出したからここいらで失礼する」

「ダメ。もっと喋る。お話したい」


 腕に抱き着いてきたんだけど。

 このエルフ、マジで俺のことを狙い始めているのか。見かけによらず何て肉食系なんだ。

 しかし……

 感触からして思った以上に胸はあるんだな。

 さすがにリクスの時のようなビフォーアフターはないだろうが、着痩せするタイプで体格の割には良いものをお持ちなのかもしれない。

 まあだからといって。

 この訳アリ冒険者と仲良くなりたいかと言われたら答えは否、断じて否である。

 どうせ結婚するなら一緒に居て落ち着ける人が良い。美人じゃなくてもいいから心が休まる場所になってくれる人が良い。

 だから絶対に現状だと、このエルフと夫婦になるなんて現実は認められない!


「マジで用があるんだよ。お前のこと以外にも俺にはやらないといけないことがあるの、忙しいの。だから今すぐ離れろ」

「ならわたしも付いて行く。クロウの仕事が終わるまで待つ」

「また今度で良いだろうが」

「ダメ。わたしは今日話したい。この感情の高ぶりは抑えられない」


 知らんがな!

 そんなに喋りたいならそのへんの道端で同族でも捕まえて好きなだけ喋ってくれ。

 お前の欲望を満たすためだけの行為に俺を巻き込もうとするな。

 その想いで俺はエルドナに抵抗を続けた。

 この闘いは模擬戦よりも長く続くことになってしまったが、結果を言えば俺の勝ち。また今度話し相手になってやる、という口約束をする形でお開きとなった。

 その日から俺はこう祈り始める。

 どうか忙しい日々が続きますように。エルドナと会わない日々が続きますように。

 でもエルドナ以上に厄介な冒険者と会うことになるのは勘弁して。



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