第9話 「……人を殴るのが好きなのか?」

 冒険者の名前はエルドナ。性別は女性、種族は人間ではなくエルフだ。

 正確には人間とエルフの間に生まれたハーフエルフという分類になるのだが、この世界のエルフは数百年以上前から他種族と交流しており、現代のエルフは基本的に人間との間に生まれている。

 そのため寿命は基本的に人間の2、3倍程度。

 千年以上の時を生きれるのは純血種やそれに近い血の濃さを持つ者だけらしい。

 ただこれはエルフにとって王族にも等しい存在。それだけにエルフの国や隠れ里でしかお目に掛かれない。

 こういった経緯もあり世間で言うところエルフは、基本的にハーフエルフのことを意味する。

 エルドナという冒険者に話を戻す。

 魔力量に優れ、魔法への適性も人間より恵まれているエルフが冒険者として生活している。これ自体は珍しいことではない。人間と比べれば数は少ないが、俺も何度か冒険者のエルフを見かけたことはある。


 ならどうしてギルドは、俺にエルドナを担当させるのか?


 それは彼女が《先祖返り》したエルフというのが根本的な理由だ。

 先祖返りというのは、本来であれば純血種が持つような強い力を生まれながらにして宿してしまっていた。そういう認識で構わない。

 これによってエルドナは、非常に高い魔法適性と人並み外れた魔力を有している。

 ただそれによって問題が生じてしまった。

 エルドナの高過ぎる魔力は、魔法の詠唱のような《言霊》として機能する言語以外にも影響を与えてしまう。

 簡単に言ってしまえば、エルドナが発する言葉は何であっても《言霊》として機能してしまう。言い換えれば、魔力や魔法に対する抵抗が弱い者に対して彼女の言葉は《命令》として機能してしまうのだ。

 資料によれば過去にこれが原因で、エルドナは仲間が負傷する原因を作ってしまったらしい。普段は文字魔法を用いて会話しているらしいが、激しい戦闘ともなれば文字魔法で意思を伝える暇なんてない。


『お願い、助けて!』


 そんな感情が昂った際に不意に出てしまう言葉がパーティーを壊滅させてしまう事故の原因となってしまう。

 その事故が起きてから10年ほどエルドナは冒険者を休業。復帰したのは数年ほど前であり、そこから固定のパーティーは組まずに活動しているようだ。

 ギルドからすればパーティーを安全面を考慮してパーティーを組んで欲しいと思っているようだが、エルドナの現在のランクはA。戦闘能力だけで見ればSランクにも匹敵するらしい。

 また冒険者として実力があってもパーティー活動においてコミュニケーションは重要だ。エルドナの事情に理解がある者でなければ。魔力抵抗の高い者でなければ彼女と一緒に行動することは難しい。

 その証拠にギルドの資料によれば臨時で組んだパーティーやそれ以外を含め、彼女が関わっているトラブルが複数確認されている。

 基本的にはエルドナの正当防衛……ということで処理されているが、中には過剰防衛と言えるほど相手をボコボコにしたケースもあるらしい。

 

「……憂鬱だ」


 気難しい性格なのか、それとも気性が荒いのか。

 ギルドの入り口で待ち合わせをしている身としてはこの1分、1秒という時間が非常に不安を煽ってくる。

 今回ギルドから頼まれているのはエルドナの街の案内。

 これだけならそれほど身構える必要はない。が、トラブルメイカーという存在はどこも自分の下には置いておきたくない。

 それだけに俺には、エルドナが自分からトラブルを起こす存在か否か。それを確かめる追加依頼が課せられている。

 だからもうマジで不安。

 魔力抵抗とかは平均以上にあるから言霊とかは心配してないけど。単純にケンカ沙汰とかなったらもうアウト。Aランクの俺がSランクに匹敵する化け物に適うはずもない。

 というか、絶対にエルドナがSランクに上がってないのってこれまでのトラブルとか問題だろ。クエストをこなす回数が少ないって話もあるが、最大の理由は絶対に度々トラブルに関わる人物として報告されているからに違いない。


「はぁ……」


 俺、本当にギルドから厄介事を押し付けられているな。

 カーミヤやリクスの場合も厄介だったが、今回はそれよりも遥かに厄介だ。

 何故なら相手は自分よりも実力者。それでいて怪我人を出している過去がある。地雷でも踏み抜く迂闊な発言でもしようものなら命を落とす可能性が存在するわけだ。

 そんな人物の街案内とか……鎌を持った死神の隣を歩くようなものじゃん。

 人知れず気落ちして妄想にふけっていると、誰かに袖を引っ張られた。

 まぶたを開けて確認すると、目の前にはフードを被った小柄な人影。

 この人物がエルドナなのか? と確認するよりも前に俺の視界に文字が浮かび上がり始める。


『お前がクロウか?』


 初対面の相手にお前はいかがなものか。

 そう思いもするが口が悪い冒険者なんて世の中には腐るほど居る。

 それに俺は直接「お前」と言われたわけではない。「あなた」より「お前」と解釈しがちな文字だったからそのように認識しただけだ。


「ああ」


 俺が肯定すると目の前の人物はフードに手を掛ける。

 表に出てきた顔立ちは幼さを残すものの非常に端正であり、耳は種族の特徴を示すように尖っている。基本的にエルフの髪色は金色だが、先祖返りの影響からか彼女の髪は輝かしい色合いの銀色だ。

 これは確かに非常に目立つ。エルドナがフードで顔を隠して現れたのも納得だ。


『はじめまして、である。我はエルドナ。今日は我がために貴様の時間を割いてくれたこと礼を述べてやろう。感謝、感謝』

「こっちも仕事だから気にしなくていい。ただ……」

『どうしたのだ?』

「君は意図的にそういう言葉選びをしているのか?」


 丁寧な文字の中に俗語やラフな言葉が混じっているせいか、俺の知る文法通りに解釈すると偉そうだったり、ちぐはぐな感じになってしまう。

 人間とエルフでは解釈に違いがあるのかもしれないが、冒険者の多くのは人間。意図的だろうとそうでなかろうと、これは直した方が良い気がする。そうでないと余計なトラブルへ発展する可能性が高い。


『言葉選択? 我の書いているものは摩訶不思議なのか?』

「地域差なのか種族の違いによるものなのかは分からないが……おそらく一般人には悪い印象を持たれる」


 そうなのか。どうしよう?

 と言いたげな空気ではあるが、表情はというとまったく動いていない。無愛想というより無表情。

 会話を文字魔法に頼らなければならない弊害なのか。

 この子、感情がすごく顔に出てこない。過去のトラブルってこれと文字魔法の言葉選びが原因で起こってしまったのでは?


『え……あ……その……我としては、いや、しかし』

「さっきまでの感じで良い。君がわざと悪い言葉を使おうとしてないのは分かった。こっちで勝手に良い方向に解釈する」

『それはすまなんだ』

「……時間があれば言葉選びとかも指導しよう」


 出来ればこいつを呼び寄せたギルドにして欲しいけど。

 でも関わってしまった手前、俺にも責任が発生してしまっている気がする。


『感謝、感謝、まことに感謝である』


 直接的な解釈するとこんなこと言っている奴を放ってはおけない。文字魔法に並行して頭を下げているあたり悪い奴ではないんだから。


「気を取り直して本題に入るんだが……エルドナさんはどこから案内して欲しい?」『我のことはエルドナと呼ぶが良い。案内場所は近くからで構わぬ。住居や生活用品などは少々の時間であるが、ギルドが優遇してくれる故』


 敬語とかは要らない。

 しばらくはギルドが生活面を補助してくれるから案内は近場からで良い。

 そういうことね。


「分かった。なら食事できる場所や服屋、鍛冶屋といった必要そうな場所を適当に案内する」

『うむ。感謝するぞ』


 そんなわけで銀髪エルフの案内が始まった。

 人目を惹く容姿をしているだけにフードを被り直してもらおうかとも思ったが、この街で活動していくなら遅かれ早かれエルドナは認知される。

 バカな手合いが絡んできた時はそのとき対処すればいい。

 そのように判断した俺は、冒険者がよく利用している店。リクスに付き合ったことで判明した女性に人気のある店を効率重視で紹介していく。


『貴様は我に婦人服……あのような可愛らしい服が必要であると思うのであるか?』

「必要かどうかは君次第だ。が、冒険者にだって休みはある。休みの日くらい私服で過ごしたりするものじゃないか?」

『そうではあるが。我、孤独なれば。休みの日に共に語らえる友もおらず。なれば私服を持つ必要性が存在しない』


 都合の良いように解釈と深読みすれば。

 エルドナ自身は人との繋がりを拒絶しているわけではない。ただコミュニケーションに難があるため、トラブルを避けるために必要最低限でしか他人と関わろうとしないだけだ。

 とはいえ、世の中には声を発せないために文字魔法で会話している者はそれなりに存在している。その中にはトラブルを起こす者もいるには違いないが、多くの場合は普通の人とそう変わらない繋がりの中で生活しているはず。

 故にエルドナも文字選びを最適化すれば、他人が彼女へ向ける感情はより良いものへと変わるはずだ。


「おそらく文字選びを直せば、君が考えるようなことは少なくなるはずだ。友達だって出来るかもしれない。その友達と一緒に出掛けることもあるかもしれない。だから覚えておいて損はないと思うぞ」


 喜び感情でも弾けたのかエルドナの視線が俊敏にこちらへと向けられる。

 直後、俺の視界に文字が形成され始めるが……それは生まれては消え、生まれては消えて。結局は読める文章にはならなかった。

 ほんのり頬が赤くなっているあたり、感謝を伝えるのが恥ずかしいのか。

 それとも自分の気持ちをちゃんとした文章に出来ず、正確に伝えられないことを恥じたのか。

 何にせよ、出会う前に抱いていた恐れのような感情はすっかり消えてしまった。

 過去の問題は誤解が誤解を生んでのもの。エルドナは無知な子供のようなものだ。正しく導けば今後に過去と同じ問題は発生しない。

 そんなことを考えている矢先。

 前方から泥棒の出現を知らせる悲鳴が聞こえてきた。


「退け退け退け退けどけえぇぇぇえぇぇッ!」


 肉体労働を主にしているのか。

 泥棒の男は、一般的な男性よりも筋肉に覆われた身体をしている。

 片腕には盗んだと思われるバッグ。もう片方の腕にはナイフらしき刀剣が持ち、それを振り回して道に居る人間を退かしている。

 どうしてこういうタイミングに出くわしてしまうのか。

 ギルドからの信頼を損なうような真似はするな。先日そう注意されただけに泥棒を見逃すわけにもいかない。

 かといって加減を間違えると、良いことをしてもギルドからお叱りを受ける可能性がある。

 それだけにどう対処するか考えているそのときだった。隣に居たはずの銀髪エルフが泥棒へ駆け始めたのは。


「な、何だ、てめ……」

「ッ……!」


 エルドナは全身のバネを利用し、泥棒のあごを蹴り上げる。

 本来エルフという種族は、魔法関連が優れている代わりに肉体能力は人間にさえ劣ると言われている。

 しかし、今のエルドナが身体強化を行ったようには見えない。

 単純な身体能力、練度が感じられる体術。それだけを用いて蹴りを放った。

 その威力は十分、いや小柄なエルフが放つには分相応なもので泥棒の身体はわずかばかりだが宙に浮いている。


「シ……!」


 そこにエルドナは完全にダウンを取るための正拳突き。

 追撃の必要性に関しては審議したいところだが、大の男がくの字に折り曲がる様はある意味新鮮だった。

 その後、泥棒は騒ぎを聞きつけた衛兵によって連行。

 バッグを取り戻した女性からはお礼を言われ、街の案内の続きを行うことになったわけだが……


「…………」


 何やらエルドナの様子がおかしい。

 具体的には何度も手を開いたり閉じたり、拳の形を作ってもう片方の手で擦ったりしている。


「もしかして痛めたのか?」

『そんなことは生じていない。ただ……』

「こっちに来て早々トラブルを起こしたと思って不安になってるのか?」


 多少過剰とも言える行動はあった。

 が、行動不能にするという点で見れば許される範囲。泥棒の逮捕に協力したのに罰するなんてことをギルドがするとは思えない。


『もしやトラブルに思われてしまうのであるか!?』

「いや、それはないだろう。そういうことじゃないならさっきから君は何を確かめているんだ?」

『それは……それはだな』


 泥棒とはいえ人を痛めつけるのは抵抗がある。

 そんなことを考えているのだろうか?


『やはり肉体を痛めつけるのは快感である!』


 ……ん?


『肉体に己が拳がめり込む感触。今回は加減したが、本来なら骨すら砕きたい所存。敵の肉体を破壊する際の感触。それは、とても堪らなく気持ちが良い!』


 ……うーん。

 これは俺の解釈の仕方が間違っているのだろうか?

 直接的な意味合いを都合の良いように解釈しても人をぶん殴って気持ちよくなっている狂人のようにしか思えないのだが。


「……なあエルドナ」

『どうしたのだ?』

「君は……人を殴るのが好きなのか?」

『好きではない』


 あ、そうなんだ。

 なら俺の勘違い……


『大好きだ。愛している!』


 こちらを真っ直ぐに見つめる瞳。

 ほんのわずかだが喜びによって上がった口角と頬。

 それらが今の言葉が嘘ではないことを意味している。

 つまり……ですよ。

 こいつ、マジでヤバい奴かもしれん。



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