第8話 「……受付嬢って大変なんだな」
俺は、リクスに関する報告を行うためにギルドを訪れた。
報告は裏にある応接室で特定の受付嬢またはギルドマスターに対して行う。それがギルドとの取り決めであり、報告相手が決まっているのは守秘義務や余計な不安要素を排除するためである。
今回もカーミヤの時と同様に報告が終わればすぐに帰れる。または別件の冒険者すぐにでも紹介される。
そう思っていたのだが……
「……以上が冒険者リクスに関する報告になります」
「…………」
本日の報告相手である受付嬢アイネ。
俺に現在行っているクエストを持ってきた人物。多忙なギルドマスターの代理で重要な案件を任されることも多いエリート受付嬢であるため、特務性の高いクエストへの理解も深い。
今回はカーミヤの時のように同情されるような展開はなかった。
なのでココアのような優しい気遣いはなくて当然。お疲れ様でしたの一言で終わり。そう思っていたし、そうであって欲しかった。
しかし、現実は……
「………………」
極めて純度の高い作り笑顔でただただこちらを威圧してくるだけ。
作り笑顔に混ぜられている感情の方向性で最も近しいのは怒り。
アイネはいったい何に対して怒っているのだろう。
もしかして想定していたペースよりも俺の報告する頻度が遅れているのだろうか。
それともマッチング制度を利用する分には問題ないと報告したカーミヤが、リクスに関わっているわずかな時間で問題を起こしてしまったのか。
はたまた、前向きになってくれていたリクスが実際はそうではなくて俺の勘違い。ギルドが提示していた問題は解決していない。
そういうことなのか?
「……クロウさん」
「はい」
「別にクロウさんのことを疑っているわけではありません。長年の実績や普段の態度からギルドはクロウさんに信頼を置いています。が、しかし……」
作り笑顔という仮面は消え去り、冷たくて黒い視線が真っ直ぐこちらを射抜く。
アイネはただの受付嬢。冒険者のような戦闘力はない。そのはずだ。
だが……
今のアイネさんの顔、すごく怖いんですけど!
凶暴なモンスターと戦闘経験のある高ランクの冒険者でも大多数は恐怖を感じる。低ランクの冒険者だったら泣きそうになるか、よほどメンタルが弱い奴なら失禁してしまうのではないか。
そう思えるくらいには殺気に近い何かを感じらされる形相をしていらっしゃる。
前振りからして俺が何かやらかしたようだが。
いったい俺が何をしたっていうんだ?
カーミヤに関する報告した後なんてリクスと出会って、彼女の買い物に付き合ったりしかしてないぞ。
「もしもの可能性があるのでこの場で確認させていただきます。クロウさん」
「な、何でしょう?」
「あなたは……ギルドから極秘なクエストを受けていることを利用し、女性冒険者に不埒な真似をされたりしてませんよね?」
女性冒険者に不埒な真似?
どうしてそんなことを聞かれるのだろう。俺にはまったく覚えがない……あ
「もしや……先日のことを仰ってます?」
「はい。ギルド側は相談相手になって欲しいとお願いしたと思うのですが、どうしてあのようなことになっていたのでしょう?」
「いや、あれは」
「ええ、聞きましたよ。トラブルの解消、その可能性を下げるためにも彼女を女性らしくするために買い物などを行ったと。今しがたクロウさんから聞きました」
ならそれが全てです。
それで納得してください。俺は仕事としてリクスの買い物に付き合っただけです。
「でも……でもですよ」
な、何ですか。
「何で手を繋ぐ必要があったんですか?」
あぁ……うん、まあそこはツッコまれても仕方ないか。
以前から知り合いだったとかならともかく、出会って数日の男女が手を繋ぐというのはおかしいだろうし。
でも……だからってそんなに怖い目で睨まなくてもいいのでは。
もしかしてこの人、あれだけ男から言い寄られて男選び放題の立場なのに他人の幸せには嫉妬しちゃうタイプなの?
それとも俺が知らないだけで仕事が恋人とか同僚に陰口を叩かれていたり、ご両親から早く孫の顔が見たいとか言われて精神を擦り減らしているのかな。
もしそうなのだとしたら……
ストレス発散のための休日に誤解を招くような光景を見せてしまって、本当に申し訳なかったと思う。
冷静に考えると……
アイネにも誰かと付き合いたいとか、結婚したいという気持ちはあるんだよな。
収入や就業年数が不安定である『冒険者』の男とだけはありえないというだけで。
その考え自体は俺も理解できるよ。死と隣り合わせの仕事している人よりも平和な場所で働いている人と付き合う方が絶対に長続きするもん。
「それは女性服の専門店に男が入りやすいようにするためというか、店の中に男が居ても周囲に不信感を与えないためのやむを得ない偽装です」
「クロウさんから提案したんですか?」
「するはずないでしょう。俺は外で待ちたいと提案しました。しかし、依頼人であるリクスが男性目線の意見が欲しいと言って仕方なく。手だって彼女から繋いできたんです」
俺からはやましいこととかしてません。
というか、そんなことをするつもりもありません。
あるならカーミヤの時に服を脱ごうとする彼女を止めたりせず、酔い潰した後に美味しくいただく。そういうことをしていると思います。
なのでギルド側が不安がるようなことは一切起きていません。
「……ではリクスさんに対して恋愛感情やそれに連なるもの、性的な意味で襲いたいといった不埒な考えが微塵も持ち合わせていない。そう思っていいんですね?」
「もちろん」
「本当ですね? もしもここで嘘を吐いていて、あとでそれが嘘だと発覚した場合……ギルドは問答無用であなたを処罰しますよ」
「本当です。嘘ではありません」
だからもう許して。
そんなに疑わないで。
俺のギルドからの信頼度ってこんなに疑われるくらい低かったの?
こういう時に「クロウさんのこと信じていますので」くらいで軽く終わるレベルには信頼されていると思っていたんですが。それくらいギルドからの依頼には応えてきたつもりだったんですが。
というかさ、根本的な話をしてしまうと……
「そもそも、出会ったばかりのリクスは見る人によっては単なるイケメン。男に間違われるくらい女性らしさのなかった人物です。ギルドの資料で女性と分かっていたからといって性的な目で見ると思いますか?」
「それは……クロウさんの好みがそうだったのなら見るんじゃないですか」
それはそうだけど。
「そんなに女性に飢えているのなら。策を弄してまで何かしようとするなら。リクスではなく、まずあなたをターゲットにすると思いますが」
「……え」
「リクスとアイネさん、どちらを性的な目で見れるか? そう聞かれたら俺は迷わずあなただって答えます」
リクスも美人ではあるが、彼女に抱く印象はおっぱいの付いたイケメン。またはボーイッシュな女性という程度。
女性にしか見ることが出来ず、誰もが美人だと認め、男なら一度は抱きたいと妄想する。そう思えるレベルのアイネでは勝負にすらならない。
「もしも俺にギルドが心配するような手癖の悪さがあるのなら。今日までの間に俺は絶対にあなたにちょっかいを出してますよ」
でも現実は一切何もしていない。
アイネのことは美人だと思うし、魅力的だと思う部分はある。花に恋はしなくても、美しいものを美しいと思える感性は俺にだってあるのだ。
が、俺は受付嬢であるアイネしか知らない。
プライベートのアイネは仕事中とは打って変わって感情豊かなのかもしれない。
逆に一切感情を表に出すことなく、必要最低限の対応しかしない無愛想という可能性だってある。
もしもそういう一面を垣間見る機会があるのだとすれば。
冒険者だけはありえない、と過去に言っていた彼女に対して他の冒険者のようにアピールをする日が。冒険者と受付嬢という仕事を通じての関係以上のものを求める日が来るのかもしれない。
そこまで考えて、ふと我に返る。
もしかして今の発言は捉え方によってはセクハラと思われるのでは?
リクスへの懸念を晴らすために言ったことが逆に自分の首を絞めることになってしまうのでは!?
「あの、今のは」
「わ、分かってますよ! 例えですよね例え。別にクロウさんが本気で私のことを襲いたいとか狙っているとかそういう意味じゃないですよね。えぇ分かってます!」
それなら良いけど。何で急にそっぽ向いてんだろう。
冷静沈着なアイネさんらしくない反応ではあるんだよな。
でも新人の頃に失敗したり、トラブルに見舞われた時とかは似たような反応をしていたような気もする。
それを考慮するとそこまで気にするようなことではないのかもしれない。
「それに‥…わ、私の方がリクスさんよりも魅力的に見えているのであれば、先ほどのお話も嘘偽りはないのでしょう。今後はギルドの不信を買うような行動は気を付けてください」
何やら元の話まで終わりを迎えてしまったぞ。
俺にとっては好都合だが……例え話に自分が出されるのは恥ずかしくて堪えられなかったのだろうか。綺麗だの美人だの言われ慣れているはずなのに。
まあでもそのへんの冒険者から言われるのと、新人時代から知っている冒険者に言われるのとじゃ違いはあるか。
俺はアイネの良いところだけじゃなく、仕事での失敗といった悪いところも知っているわけだし。
「それと女性に手を出す発言とかもダメですからね。私は付き合いが長いので誤解したりしませんが、普通の方はそうはいきませんので」
常識的に考えたら知り合いでもない女性にそういう発言はしません。
知り合いであったとしても話の流れで冗談を言ってもいい空気だとか、飲みの席で思考が鈍くなってたりしない限りは言わないと思います。
なのでご心配なく。あなたにも今後言ったりはしないと思います。
「もう帰っても良いですか? 小腹も空いてきたので」
「食事はおひとりで取られるのですか?」
「そうですよ」
固定のパーティーを組んだりしていませんし、気軽に誘える相手がいませんので。
まあリナあたりの休憩時間が被ったら「旦那、おごってくれよ」とか言ってきそうではあるけど。
受付嬢の給与形態がどんなのか知らないが。
絶対にあいつ、飯に困るような生活はしていないだろ。それなのにおごってもらおうとするとか……面倒見は良いから後輩におごったりして意外と金欠とか?
もしそうなら飯くらいおごってやってもいいとは思えてしまう。
「そうですか。ですがもう少々お時間をください。次回の冒険者に関しての資料に目を通していただきたいので」
「急ですね。もしかして午後から顔を合わせもあったり?」
「いえ、それはありません。予定では明日、遅くとも明後日にこの街に到着されるそうなので」
言い方からしてこの街を拠点に活動している冒険者じゃないのか。
それでいてギルドがその冒険者について情報を持っている。
となると、よほどの問題児か二つ名でも付いていそうな有名人。
もしくはこの街の冒険者が拠点を移してしまってクエストの処理が遅延気味。それを解消するために他所のギルドに頼んで、ここを拠点に活動してもいい冒険者を呼び寄せたが故に情報を知っているか。
「これまでと違って事前に資料を渡すあたり……その冒険者、かなり厄介な問題を抱えたりします?」
「それにつきましては、こちらの資料をご覧ください」
さっきまでむっちゃ怒ってたのに準備がよろしいこと。
この人、私情で内心がごちゃついてもやるべきことはやる人なんだろうな。
根っからの仕事人間。さすがはエリート。こんな受付嬢が増えたらギルドという組織は安泰ですね。
「……あの」
「はい」
「これまでのものと比べて量が多くないですか?」
「すみません。普段は私が必要な部分だけ抜粋する形で作り直しているんですが、今回はその時間がなかったもので」
え、あの見やすくて分かりやすい資料ってアイネさんが作ってたの?
いやまあ、意外とは言わないけど。能力的には十分できる人だし。
ただ……毎回この量の資料に目を通して俺用に作り直していたと思うと、すごく申し訳ない気持ちが芽生えてくる。
この人、平気で残業とかしてないよな?
空いた時間で作ってくれていたのなら良いけど。もし残業して作っていたのだとしたら感謝の言葉だけじゃ足りないぞ。これは確認しておいた方が良い気がする。
「あのアイネさん、確認しておきたいことがあるんですけど。俺に渡すための資料を作るために残業とかしてます?」
「……してませんよ」
なら何で目を逸らすんですか。
何で返事をするまでにわずかばかりですが間があったんですか。
「基本的には業務の合間に作ってますから。細かいところとか……自己満足のために多少残ったりすることもありますけど。大丈夫です、心配されるほど時間は使っていませんので」
今年からギルドが依頼主のクエストを行っていたならここで引き下がっただろう。
しかし、実際のところアイネ本人とは10年来の付き合いがある。
特命のクエストを受けるようになってからでも5年近く。今日に至るまでの間に今回のようなことがあったとしたら。
いや、おそらくあった。
基本的に特命のクエストの説明は、ギルドマスターでない場合はアイネが担当することが多かった。その際に丁寧にまとめられた資料を見せられたのは一度や二度ではない。
この人、なまし能力が高いせいで無自覚にやっているのかもしれないが……率直に言って頑張り過ぎなんだよな。
お偉いさん相手だったら資料を見やすいように作り直すのも分かるんだけど。
「次回からは今回みたいにこういうので良いですよ」
「え……分かりにくかったりしましたか? それとも単純に余計な気遣いだったり」
「あぁいや、あの資料に関しては感謝の気持ちしかないです。ただ忙しいのに俺のためだけに資料を作ってもらうのも悪いというか……」
「そういうことなら気にしないでください。私が勝手にやっていることですし、こちらはお仕事をお願いする立場なので」
「それで言ったらこちらは仕事をもらう立場なんですけど」
……譲らないって顔してる。
なら引き下がるしかないのかな。別に体調を壊したりするような無茶なことをしているわけでもないし。本人がやりたいと言っているのを理由もなくやめろと言うのもおかしい話なわけで。
けど、だからといってこのままなのも個人的に申し訳なさが残るというか……
「……分かりました。今後もお時間があればよろしくお願いします」
「はい、お願いされました」
「ただ、無茶だけはしないでくださいね。それと今回も含め色々とお世話になってますので、今度何かしらさせてください」
「ぇ……そ、それって」
「別に無理とは言いません。お互いに今後の予定とかはっきりしないでしょうし、嫌なら嫌と断ってくれても結構ですので」
「いえ、そんなことは! ただ……私は自分の仕事をしているだけなので。それでお礼をしてもらうというのは申し訳なく」
これは平行線かもしれない。
そう思った矢先だった。
「おいアイネ、お前いつまで掛かってんだ!」
憤慨した様子のリナが部屋に突入。
その勢いのままアイネを拘束して連れ去ろうとする。
「ちょっリナ!? まだ話が終わって」
「うるせぇ! 旦那の手に資料があるってことは報告はすでに終わって、明日以降の話も最低限は済んでるんだろ?」
「それはまあ」
「だったら別に良いだろうが。お前が居る時間は受付が混むんだからさっさと手伝いやがれ」
今日もアイネ目当ての冒険者で受付は溢れているらしい。
アイネがいないことも文句も言う者もいるだろうし、俺としてもそんな奴から恨みは買いたくない。
話は途中だったが今すぐどうこうの話ではない。
助けを求めるような視線が向けられているが、今回はこのままリナに連れて行ってもらおう。
「それと旦那」
「ん」
「アイネにお礼するみたいな話。こっちの方で色々と練っとくから忘れんなよ」
それはどうも。
平行線になった挙句、やっぱりいいですとかなる方がこちらとしても申し訳なさを払拭できずに辛いので助かります。俺にできることであれば。馬鹿げたことでないのなら善処させていただきます。
「ちょっリナ、あなたいつから聞いて……!?」
「その話は休み時間にな。今は仕事、仕事」
「あぁもう! クロウさん、その資料はあげれないものなので読み終わったら適当に置いといてください。あとで片付けておきますから!」
あ、はい分かりました。
熟読してから帰りたいと思います。そちらもお仕事頑張ってください。
「……受付嬢って大変なんだな」
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