#160 1年前へのプロローグ! 栗林真樹奈、未踏の地を行く冒険者(チャレンジャー)

 私のVチューバープロジェクトが始まり早1月が経過した。


 だが進捗はあまりになにも無かった。

 良かった事といえばドライバーの岩瀬さんが無事にギックリ腰から復帰したくらいである。

 そして私は社長に進捗確認の為に呼び出されたのだった。


「どうかな木下さん? 調子は?」


「とりあえずこの1月、ずっとニコチューブを見続けてめぼしい素人配信者をピックアップしてみましたが⋯⋯」


 そう言って私は100人ほどのニコチューバ―の名簿を社長に渡した。


「多いな。 今から絞り込むところ?」


「実はその事で悩んでまして。 どういう基準で絞り込めばいいのか? その方針が決まらないのでどうにも⋯⋯」


「ふむ⋯⋯なるほどな」


 これには社長も即答とはいかなかったようだ。

 おそらく社長にも明確なビジョンが無いまま勢いだけで始めたVチューバープロジェクトなのだから。


「ポラリスでは『各分野のスペシャリストを起用する』という方針だしな。 それは真似したくない」


「⋯⋯どこからそんな情報を?」

「先週誠司と飲みに行ったときに」


 この社長同士は仕事ではライバルだが学生時代からの付き合いらしく、プライベートではそれなりに仲が良かったりする。

 ⋯⋯振り回される私たち社員にはいい迷惑だが。


「⋯⋯そうなると、ますます絞り込みが難しいですね」


 各分野のエキスパートの選出ならそう難しくはない作業だ。

 なにせ各ジャンル別の再生数トップから打診していけばいいだけの話なのだから。


 つまりそのあたりのニコチューバ―にはすでに、ポラリスのスカウトが接触している可能性が高いのか?


「まあポラリスでは来年の春にデビューで、ウチはその後の⋯⋯夏休み前くらいが予定日かな?」

「つまり猶予は約1年ですね⋯⋯」


 余裕はある日程だった。


 しかしスカウトした人材に訓練をほどこしたりする準備期間とかも必要だろうし、スケジュールを抑えるためにも年内には人材確保は終わらせる⋯⋯それがボーダーラインだと私は想定した。


「とりあえず後2か月は悩んでみよう。 その間にどんな方針にするか考えて欲しい」

「わかりました」


 こうして無茶振りではあるが猶予はくれた社長だった。




 そんな私は忙しいと言えば忙しいが、ヒマといえばヒマという仕事の日々だった。


「ねえ木下さん? 今度のイベントなんだけど人手が足りなくて⋯⋯手伝ってもらえないかな?」

「ええ、いいですよ」


 同僚の頼みに安請け合いで応える私だった。


 私の仕事が手持ち無沙汰というのもあったが今回のVチューバープロジェクトの為に社長はいろいろ根回ししてくれている。

 私がVチューバープロジェクトの為に頼めばどこの部署でも協力してくれる手はずは出来ているのだ。

 その時に気持ちよく仕事ができるように先に私の方からも協力はしておくべきだろう。


 ⋯⋯そう思っていた過去の自分を私は恨むことになる。

 その駆り出されたイベントとは『夏コミ』だったのだ。




 夏のコミュニティ・マーケット、毎年夏休みに行われる同人誌即売会である。

 このイベントでは企業のブースも多数参加しており我がヴィアラッテアでも出店していたのだった。


 売り子や列整理や宣伝用のコスプレイヤーなど。

 必要な人材が今年も不足していたのだった。


 なぜ毎年人員が不足がちなのか? その理由はすぐにわかった⋯⋯。


「あ⋯⋯暑い⋯⋯」


 げっそりするほどの夏の暑さである⋯⋯。

 ヨーロッパ暮らしの長い私にはこの日本の夏は厳しすぎた。


 いや、私でなくともこの夏を経験した社員はなんだかんだ理由をつけて次回からは参加しないのだ。

 要するに何も知らなかった私がその貧乏くじを今年は引いたわけだ⋯⋯。


 そんな私は裏方での物販の整理や運搬が仕事だった。

 こっちはまだマシな方かもしれない、ちょくちょく水分補給できるし炎天下で列整理しているコスプレイヤーの皆さんには本当に頭が下がる思いだった。


「えー! こちらはヴィアラッテアの列の最後尾です! さあみんな並んで並んで! そこっ!列からはみ出ない! トイレで離脱したい人が居たらスタッフに声かけて! みんな! スタッフに協力してね!」


 ⋯⋯よく声の通ったコスプレイヤーがやけに目立っていた。

 口はあまり良くはないが、この状況でも動じないリーダーシップを発揮していた。


 ⋯⋯それになかなかのナイスバディでもある。

 そんな元気な彼女はコスプレイヤーの中でもひときわ目立った存在で注目を集めていたのだった。


「みんな! 喉乾いてたら言ってね! ヴィアラッテアではペットボトルの差し入れが無料です! まーただの水だけど、無料タダだけに!」


 列から笑い声まで聞こえてくるのだった。


 それに私は少し驚いた。

 お隣のポラリスの大行列の方は死者の行進のような沈黙なのに、我がヴィアラッテアの列に並ぶお客様には笑う余裕があったからだ。


「⋯⋯あの子、やるわね」


 その名も知らぬコスプレしたウチのコンパニオンの女性を、私はなんとなく記憶するのだった。




 そんな過酷な3日間のイベントがようやく終わった⋯⋯。


 片付けが終了するとその夜は大きなホールを貸し切っての大宴会となった。

 とうぜん私も参加した。

 このタダ酒が飲める機会を逃しては、この過酷な3日間が報われない⋯⋯。


 参加スタッフはマネージメント科やコンパニオン科の人達まで集まる、ちょっとしたお祭りになった。

 そこに珍しく社長も顔をだしたのだ。


「社長、お疲れ様です」

「ああ、お疲れ。 木下も今年は初めてで大変だっただろう?」

「はい」

「まあゆっくり休んで」


 そう言って社長はいろんな人達の様子を見て回るようだった。

 忙しいハズなのにマメな人である。

 私は意識を切り替えて宴会を満喫するのだった。




 2時間くらい経っただろうか?

 私はちょっと席を外そうと移動したら、そこにお酒を飲んでご機嫌な社長が居たのだった。


「⋯⋯まだ居たんだ」


 とっくに帰ったと思い込んでいた私だった。


 なんかその一角だけ高級キャバクラみたいな状態になっていた。

 その社長にお酌をしている女性に見覚えがあった、あの元気なコスプレイヤーの女性である。


「あの時の子だ?」


 そんな私の目の前の社長はとても奥様や映子ちゃんにはお見せできない、だらしない顔だった。

 ⋯⋯社長があんなに酔っぱらって珍しい。


「へー、アンタ奥さんと娘さんが居るの?」

「うん。 娘はキミと同じくらいの年齢だけどね」


「そっかー、それじゃあさぞや美人でしょ、その子!」

「そうそう! ず~とこのまま家に置いときたいけど、いつかお嫁に行っちゃうんだろうな⋯⋯」


「アンタの娘なら変な男に騙されたりなんかしないわよ。 信じなさいアンタの娘を!」

「映子~! 信じてるぞパパは!」


 ⋯⋯ナニコレ?


 このコンパニオンの女が社長一家のいったい何を知っているというのだろうか?

 私にはテキトーに口を開いて脳死状態でしゃべっているようにしか見えない女だった。


 しかし不思議と普段はお堅い社長の心を開かせる話術というか空気感を持った女だと思った。


「⋯⋯岩瀬さんに電話しておくか。 今日の社長は自力で家に帰れそうもないし」


 こうしてその1時間後に社長は運転手の岩瀬さんに連れられて帰宅したのだった。


 その後もあの女は楽しそうに飲み続けていた。

 ⋯⋯信楽焼の狸に向かってずっと喋りながら。


「ところでアンタは何人くらいの女を泣かしてきたのよ?」


 ⋯⋯返事をしない狸に向かってずっと話し続ける女、きっとお喋りが大好きなんだろう⋯⋯きっと。




 翌日。


「⋯⋯おはようございます、社長」

「うむ⋯⋯おはよう木下⋯⋯」


 お互い二日酔いで気分が悪かった。

 しかし社長の目にはなにか輝きのようなモノが感じられた。


「木下、いいアイデアが浮かんだ!」

「アイデアですか?」


「Vチューバーのテーマなんだがウチは⋯⋯『親しみのある人材』で行こうと思う」

「親しみのある人材⋯⋯」


 それはどういう意味なのか回らない頭で考えるよりも先に社長が話し始めた。


「昨日の宴会で隣の子がすごくよくってね! なんか楽しかったんだ」

「⋯⋯そうですか」


 そりゃあれだけ飲んだんだし、そうだろうとしか⋯⋯。


「Vチューバーというものはホストの一種だと思う、たしかに一流の芸を持った専門家もいいだろう。 しかしやっぱり人を引き付けるのは人柄だと思った」


「なるほど⋯⋯人柄ですか?」


 それを昨日の飲み会で実感したという事なのか?


「木下。 Vチューバー選びは優れた技能も必要だが、ファンとのコミュニケーションを大事にするタレントを選ぶんだ。 Vチューバーだけを見るんじゃなくてコメント欄なんかに注目して、ファンの満足度を参考にしろ」


 それは未だに方針の見えなかった私に示された指標だった。

 私は理解する、社長の目指すVチューバービジネスを。


「わかりました社長。 その基準で選考を始めてみます!」


 そう言って私は社長室を出ようと思ったのだが⋯⋯。


「そうそう木下」

「何でしょうか?」


「昨日俺と飲んでたコンパニオンの子なんだけど、彼女もスカウトしてみて」

「⋯⋯え? 素人ですよね、あの人?」


「最初は誰だって素人さ。 俺の勘なんだけど⋯⋯彼女はきっといいVチューバーになれる予感がしたんだ」


 ワンマン社長の戯言だが従わないわけにはいかなかった。


「⋯⋯わかりました」




 幸いと言っては何だが、その女はウチのコンパニオン科のアルバイトだったため容易に連絡先を知ることが出来た。


「えっと名前は⋯⋯栗林 真樹奈くりばやし まきなか⋯⋯」


 数回の電話のコールの後繋がった。


『はいはい、もしもし、栗林です』


 昨夜あれだけ飲んでいたわりにしっかりした返事だった。

 これが若さか?


「栗林真樹奈さんですね。 私はヴィアラッテアのマネージャーの木下とお申します。 今日はお話があって──」


 これが第一歩目だった。

 私のVチューバープロジェクトの。


 その進むべき道を指し示したのは、ただの素人の地図も持たない冒険者だった。

 そんな彼女に私がVチューバーについて説明をしたら⋯⋯。


『なにそれ、面白そ~! やるやる、私やるわ木下さん!』


 社長の予感は当たった。

 この栗林真樹奈こそが後の大人気Vチューバー・マロンになるのだから⋯⋯。


 ── ※ ── ※ ──


 マロンのデビューから半年後くらいの配信にて。

 リスナーからの質問に答える、マロンの切り抜き。


「マロンのデビューまでの経緯ですか? ⋯⋯それよく覚えてないんですよね。 なんかくっそ暑いイベントの後で「Vチューバーやらない?」って木下さんから電話もらって⋯⋯あっ! 木下っていうのはマロン達のマネージャーでめっちゃ美人の女です。 だからなんでマロンがデビューするのか理由がわかんなくてさ⋯⋯。 まあ今が楽しいからもうどうでもいいけど」


 これ以降、マネージャーの木下さんの事をリスナーに質問されて、答えまくるマロンであった。

 その結果、マネージャーの木下の存在はファンの間では有名な話になっていくのである。

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