#159 1年前へのプロローグ! 木下宇佐子、魔法使いの指揮者(コンダクター)

 私、木下 宇佐子きのした うさこはピアニスト⋯⋯だった。




 私の実家は裕福だった、しかし幼い頃の私にはそんな事はまったく気にしたこともない。

 ただ周りのお友達と違うのは、家にピアノがあるという事くらいの認識だった。


 祖母の形見の品という事でたんなるアンティークとして飾られていたそのグランドピアノに私が興味を持つと、両親はそれを弾けるようにしてくれたのだった。

 ゲームにも漫画にも興味の無かった私だけど、そのピアノにはのめり込んだのだった。


「誰かピアノが弾ける人いませんか?」

「はい」


 この小学校の先生からの質問に答えたのは私だけだった。

 私はこの時までピアノなんてどこの家庭にもあるのもだと思い込んでいたのだった。


 ピアノが弾ける私は一躍クラスの人気者になり友達が増えた。

 ピアノが私の世界を広げてくれたのだ。


「ねえ宇佐子ちゃん! ドラファンの曲弾いてよ!」

「えっと、私そのゲーム知らないの」

「じゃあ家に来なさい! そのゲームの曲を聞かせてあげるから!」


 こうして私はいろんなお家に御呼ばれするようになり、自分が裕福な人間だと自覚していったのだった。

 まあ子供の頃はとくに問題にもならなかったけど。


 でも中学に入った頃から私は友達に避けられるようになった。

 どうも「お金持ちのお嬢様と遊んじゃいけない」と親に言われだしたらしい⋯⋯。

 そう察した私は友人たちと距離を置くようになっていったのだった。




 そしてとくに何もない中学時代が終わると私は⋯⋯ヨーロッパの音楽学校へと留学することにしたのだった。

 とくに日本に未練も無かったし⋯⋯。


 そこでようやく私は対等に話せる人達と出会った。

 裕福な家庭だったり音楽に打ち込んでいたりする友人達と。


 そんな友人たちと一緒に何度かコンクールにも出た。

 その時に出会ったのが私がお世話になっている今の会社の社長だ。


 相川英一郎、芸能プロダクション・ヴィアラッテアの社長である。


 芸能プロダクションと言えばスターやアイドルのイメージだけど、この会社では普通の楽器演奏者もスカウトしていたのだ。


 その相川社長がその時に連れてきていた可愛い女の子が後に、長い付き合いとなる娘の映子ちゃんだった。


「すっごーい! うさこちゃんの指、魔法使いみたい! ピアノが聞いたことない音出してたの!」

「⋯⋯はは、ありがとうね映子ちゃん」


 内心イラっとした。


 この『宇佐子うさこ』という名前は小学生の頃は好きだったが⋯⋯中学くらいから恥ずかしく感じるようになったからだ。


 海外だと「ウサ~コ!」みたいな発音で呼ばれるのでかなりマシになったが⋯⋯。

 久々に「うさこ、うさこ」と連呼されるのは精神的にキツかった。


 それからというもの音楽学校を卒業するまでよくこの相川親子がコンクールに来るようになって、私が海外だと珍しい日本人という事もあって親交を深めることになる。


 やがて⋯⋯。


「木下宇佐子さん。 卒業後ウチでプロ契約しませんか?」


 そう社長が言ってくれたので私はその誘いに乗るのだった。


 この時までは私のピアノは学生までのお遊びで卒業だと思っていたからだ。

 内心では卒業後もピアノに関わって生きていけることに喜びと楽しみを感じていた。




 ヨーロッパの音大を卒業後、私は日本に帰国した。

 そしてただの口約束だった相川社長の誘いを真に受けて就職届を提出したのだった。


 結果は採用。

 しかし⋯⋯私が配属された部署はマネージメント科だった。


「⋯⋯あれ~?」


 私が想像していたのはスポットライトを浴びるようなピアニストだったり、裏方で何かの音源を作成するピアニストだと思っていたのだが⋯⋯。

 しかしマネージャー業である。


「⋯⋯これは、新人はいろいろ経験を積めという事かしら?」


 世間知らずだった私はそのまま先輩方の指導を素直に受けて、そのマネージメント科で働き始めたのだった。




 1月ほど経った日だった。


「困ったな⋯⋯」

「どうしたんですか先輩?」

「ああ、明後日の収録用の楽器演奏者が急に来れなくなってね⋯⋯困ったなあ」


 ⋯⋯もしもピアノだったら私が弾ける、そう思い。


「どの楽器ですか?」

「フルートだ」

「⋯⋯そうですか」


 私の弾ける楽器はピアノだけだった。

 しかしこの時ふと閃いた。


「そういえば今、メアリが日本に来ていたはず⋯⋯」


 そう思ってダメもとで、そのメアリに電話してみた。


「⋯⋯ハロー、メアリ。 いま日本に居る?」

『居るけど何、ウサーコ?』


「いま私はヴィアラッテアという会社で働いているんだけど、そこでフルート奏者が必要で⋯⋯来れる?」


『オー! ウサーコ就職したですか! イキマス! ウサーコの為なら1日くらいイイヨ! 後で一緒に食事でも行きましょう!』


「OK。 それじゃ詳しくはメールで送るわ」


 こうして大事な仕事に穴を空けずにすんで先輩は助かったのだった。


「ありがと~! 木下さん! ところで今の誰?」

「メアリー・ダルフレッド」


「⋯⋯え? あの天才フルート奏者の?」

「先輩なんです。 学生時代の」


 この事がきっかけで私の持つコネクションがかなり強力なのだと判明したのだ。

 高校から大学までヨーロッパの学校で過ごし多くの先輩や後輩、はては音楽教授にいたるまでその人脈はちょっとしたものになっていたのだった。


 やがて私はそれを理解し活用し始める。

 マネージメント科で新人だった私が一目置かれるようになるのにそれほど時間はかからなかった。




 すると当然、私の事に社長が気づいた。

 そして呼び出されて⋯⋯。


「すまない木下さん! 君をマネージャーなんかにしてしまって!」

「いえ、いいんです」


「今からでもプロピアニストとして配置換えを──」

「あ、いいです。 もうそれは」

「どうして?」


「もともと私はプロに成れても、ピアノだけで食べていけるほどじゃなかったので。 それに今の仕事にはやりがいを感じているんです」


「⋯⋯そうか。 たしかに君の持つ人脈の力はマネージメント科で大きな戦力になっていると報告されているが⋯⋯君がそう言うなら」


「はい、相川社長。 これからもよろしくお願いします」


 こうして私はピアノからはすっぱりと縁を切ってマネージャーとして生きる道を選んだのだった。




 しかし相川社長は私に気をつかったのか何度か私にピアノを弾く仕事を回してくれるようになったのだが⋯⋯。


 最近ではピアノの練習もしていない事もあり、また情熱も冷めてしまったのか昔のような音色を感じなくなっていた。


 その違和感は私自身が一番よく理解していたのだから⋯⋯。


 結局、その数枚のCDを出したくらいで私のプロピアニストとしてのキャリアは終わったのだった。




 そんなピアニストとしての栄光も過去のものとなった、数年後のある日の事だった。


「誰か左ハンドルの車、運転できる?」

「出来ますけど?」


 ヨーロッパでは車が運転できないとやってられない為、私は現地で運転免許証を取っていたのだった。

 とうぜん左ハンドルである。


「社長の運転手が腰やっちゃって、代わりに運転手お願い!」

「⋯⋯はい、わかりました」


 こうして私はしばらくの間、社長の運転手代わりになるのだった。




「あ⋯⋯もしもし岩瀬さん? 旦那さんどうですか? ⋯⋯ああ、まだ駄目? ⋯⋯いえ、十分に休むように言ってくださいね」


 そう後部座席に座る相川社長が電話していたのは本来のドライバー岩瀬さんの奥さんにだろう。


「ドライバーの人ですか? 大丈夫なんですか?」

「まあ大丈夫だろう、ただのギックリ腰だし」


 ギックリ腰か⋯⋯私には経験ないからわかんないけどヨーロッパでは『魔女の一撃』と呼ばれ、とくに重量ある楽器を持ち運ぶ生徒は恐れていたっけな⋯⋯。


 こうして私は粛々と代理運転手をこなしていたのだが。


「⋯⋯そうか、ポラリスではVチューバーのプロジェクトを始めたのか」


 そう書類を読みながら社長はひとりで呟いていた。


「Vチューバーってあのニコチューブのアレですか?」

「ああそうだけど、木下さん知ってるの?」


「Vチューバーに関してはそれほど。 でも私は何度かニコチューブに音楽の動画を上げたことならありますよ」


 これは私の居た学校の生徒なら結構みんなやっている事だった。


「そうか、木下さんは詳しいのか⋯⋯」


 いや詳しいとは言っていない、そう言いかける前に──。


「ねえ木下さん? 今度ウチでもVチューバーのプロジェクトを始めようと思うんだ。 木下さんやってみないか?」

「私がVチューバーのマネージャーを?」


「正直いままで誰もやったことのない分野でね、経験者も居ないし迷っててね」

「私Vチューバーに関しては素人ですよ?」


「ウチの会社には誰も経験者は居ないさ。 まあ失敗前提のプロジェクトだから気楽な気分でやってみないか木下さん」

「⋯⋯はい。 ではやってみます」


 はたしてこの流れで断れる社員が居ただろうか?


 まあ失敗前提なら気楽⋯⋯かな?

 だけど⋯⋯。


「誠司⋯⋯お前には負けんぞ」


 保志誠司とは、ライバル芸能会社であるポラリスの社長だ。

 この2人は何かと張り合うライバルだという事を私を含めた社員全員はよく知っている。


 ⋯⋯ああ、これ本気のプロジェクトなんですね、社長。

 そう私が腹をくくるまで、そう時間はかからなかった。

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