#101 リネット姫の素敵な夏休み

 あのあと、我が家のリビングは凄まじい緊張感に包まれていた⋯⋯。


「おい貴様! もしも殿下に指一本でも触れたら許さんからな!」


 ⋯⋯映子さんが何しでかすかわからない危険な状態だった。


 そんな時に呑気そうに収録を終えて部屋から出てきた姉と姫様だった。


「真樹奈──! なんでそんな女を妹なんかに!」


 必死で映子さんを押さえつけるセバスチャンだった。

 どうも危険を感じたらしいリネット姫は、姉から距離を取る⋯⋯。


「どしたの映子。 ああこの子? めっちゃ可愛いし、妹にしちゃった!」


 てへっ♪

 という感じに気楽に答える姉だった。


「有介君も⋯⋯。 留美ちゃんも⋯⋯。 その女も⋯⋯。 すぐに妹にしちゃうのに、何で私は妹にしてくれないのよ!」


 映子さんの心からの叫びだった。


 留美さんが「私も妹なの?」とか言ってるが、そんな場合ではない!

 この次の姉の返答次第では血の雨が降る、確実に!

 どうする姉さん! どう答えるんだ、姉さん!


「映子って私の妹になりたいの? 違うでしょ?」


 ⋯⋯なに言ってるんだ姉?


 しかしパアーと表情を輝かせる映子さんだった。


「まきな~!」

「えいこ~!」


 そうしっかりと抱き合う姉と映子さんだった。


「真樹奈、だ〜いすき!」

「ふふ。 可愛いやつめ! 可愛いやつめ!」


 ⋯⋯なんだ、この茶番は?


「どうやら映子さんは『真樹奈さんの妹じゃないから』という事で納得したようね」

「あっそう⋯⋯」


 どうやら妹扱いではない『姉の特別枠』だと映子さんは納得したんだろう。


「よく気づいたね、留美さん」

「最近バスケ部に、そういう事教えてくれた子が居てね⋯⋯」


 ⋯⋯どうやらバスケ部には留美さんに腐った知識を布教する不届き者がいるらしい。

 許せんな、純粋な留美さんになんて知識を!


 こうして映子さんの暴走は姉の愛の力で止まったのだった。

 そのまま抑え込んどけよ姉。

 そうじゃないと今度こそ新聞沙汰になりかねないからな!


 そんな事を考えている僕と隣の留美さんをじ~と見つめる人が居た。

 そう⋯⋯リネット姫である。


「あなたがアリスですか?」


 とてもやさしい涼やかな声でそう聞いてくる。


「あ⋯⋯私じゃないです、お姫様」


 そうあっさりと留美さんは訂正した。


「え⋯⋯違うの? でも確かにその声はアリスと違うわね?」


 そんなリネット姫に答えを教えたのはセバスチャンだった。


「殿下。 こちらが『アリス様』です」

「⋯⋯⋯⋯あなたがアリ⋯⋯す???」


 まあこの至近距離で見たら僕が男だとハッキリわかるだろう。


「あの~申し遅れました。 ボクがアリスです、ブルーベルお姉さま」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 ああ⋯⋯なんかリネット姫がフリーズしている。


 どうもセバスチャンは、リネット姫の事を『Vチューバー・ブルーベル』として扱う分には多少の無礼は見ないことにする姿勢らしいと思ったから『ブルーベルお姉さま』と呼んだんだけど⋯⋯マズかったか?


「あの~リネット姫?」


 今度はお姫様として呼んでみる。


「⋯⋯男? アリスが男の子? え? でも? アリスだよね、私の妹の⋯⋯。 でも男の子だから男の娘?」


「そうなのよ、マロンの妹は私の弟なのよ」

「⋯⋯マロンおねえさま?」


 どうやら姉であるマロンの言葉なら困惑しているリネット姫に、現実を受け入れさせる力があったようだった。


「そいう事なんです、僕がアリスの正体の有介です」


「⋯⋯リネットです。 私がマスクド・ブルーベルです」


 そうお互いに自己紹介しながら、なんとなく握手する僕たちだった。


「そっか⋯⋯アリスちゃんは、アリスくんだったんだ⋯⋯」


「その⋯⋯がっかりさせてごめんなさい」


「え? いえそういう訳ではなくて⋯⋯ただ驚いて。 ⋯⋯現実に本物の男の娘って居たんだなーって。 ⋯⋯アニメだけだと思っていたから」


 まあアニメだけの存在だと思うよな僕みたいな声の男の子なんて。


 そんな微妙な空気は姉の『ぐう~』という腹の音で消し飛んだ。


「あー、お腹空いた」

「そう言えば⋯⋯私も」


 姉と姫は2人とも長時間の収録でクタクタのようだった。


「殿下。 こちらにお食事を用意しております」

「ありがとうセバスチャン」


「アリスケ~私も」

「姉さんの分もセバスチャンが用意してくれているよ」

「ほんと! ありがと!」


 こうして2人の夕飯というにはやや遅い夜食が始まったのだった。




 姉は貰った懐石弁当をガツガツと食べている。


 そんな姉とは違い上品に箸を使って食べるリネット姫が対照的だった。


 そんなリネット姫に僕は出来たばかりの出し巻き卵を差し出す。


「どうぞ。 なにか作って欲しいとのリクエストだったので」

「本当に作ってくれたのですか! 私のために!」


 そう喜んで姫は食べてくれた。


「⋯⋯美味しい。 フワッとしててジューシーで」


「アリスケ! 私も私も!」

「はいはい、姉さん」


 その後、姉の分も焼いてあげた。

 少し小腹が空いたという留美さんや映子さんのために乾燥麺を茹でて、残ったカツオの出汁で即席のうどんを作る。

 ちゃんとした具が無かったので焼き豚のスライスを添えた。


「ありがとうアリスケ君」

「おうどん美味しい」

「私も一口頂戴、映子」


「セバスチャンもどうですか?」

「⋯⋯そうだな。 頂こうか」


 セバスチャンも素直に食べてくれた。

 そんな様子をリネット姫がじ~と見る。


「あなたがそんな風に打ち解けるなんて珍しわね、セバスチャン?」

「これは、その⋯⋯」


「ふふ⋯⋯ここでは構わないわ。 ここでは⋯⋯ね。 あ、アリス! 私もおうどん下さい!」

「はい、かしこまりました姫様」


 そう言って追加のうどんを茹でる僕だった。


 そんな僕を見つめながらリネット姫は⋯⋯、


「男の子だったんだ⋯⋯」


 と呟く。


「そうです、黙っててごめんなさい」

「いえそんな事は。 ただ信じられなくて⋯⋯その声では」


「そりゃ仕方ないわよ、リネットが悪い訳じゃないわ」


 そんな姉の言葉に一同賛同する。


「こんな声のボクですが、これからも仲良くしてくださると嬉しいです、ブルーベルお姉さま」

「ええ、私の方こそよろしくね、アリス」


 こうしてすっかり仲良くなったリネット姫は僕の作ったうどんを美味しそうに食べたのだった。




 そして夜の23時くらいに姫は帰っていく。


「それではごきげんよう皆様。 アリス! 今度あなたともコラボしましょうね!」

「はい、ブルーベルお姉さま」


 こうして僕たちはリネット姫とセバスチャンを見送ったのだった。


 ── ※ ── ※ ──


 栗林家を出て車に乗って、仮住まいのホテルへと戻る。


「は~つかれた」

「お疲れさまでした、殿下」

「あなたもね、セバスチャン」


 でもこんなにも長時間の配信になるとは想定していなかったから本当に疲れた。


 でも⋯⋯出し巻き卵とおうどんが美味しかったからいいか。


「殿下」

「なに、セバスチャン?」


「先ほどのタワーマンションの最上階に空き部屋がありました。 そこを使おうかと思いますが⋯⋯よろしいですか?」


「それって引っ越し先ということ!」

「はい」


「⋯⋯いいわ、進めて」

「御意」


 私はホテルの窓から見下ろす夜景を見ながら思う。


「⋯⋯日本へきて良かった」


「ところで殿下。 先ほどのアリス様ですが⋯⋯殿下の通われる学校の生徒です」

「ホントに!」


「同じ学年ですよ」

「それでは一緒に通う⋯⋯なんてことも?」


 なんだろう! こんなにも楽しくていいのだろうか?

 今から夏休みの終わった後の学校生活が待ち遠しい。

 でもその前にこの夏休みも満喫しないと。


「あの人たちとコラボしたり、一緒にどこかに出かけたりしたいな⋯⋯」


 妹のアリスとの出会いが楽しみだった。

 でも予想外の姉まで出来てしまった。

 それに⋯⋯。


「弟⋯⋯か」


 クスっと笑いが出てしまう。

 今まで諦めていたものが全部手に入った気分だった。


「アリスとの配信が楽しみね。 ⋯⋯そうだわ! ブルーベルとアリスの、お揃いの服を発注しましょう!」


「かしこまりました、すぐに手配しましょう」


 そして私はセバスチャンを下がらせてから、これから始まる夏休みに思いを馳せるのだった。


「今年の夏は楽しくなりそう」

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