#097 姫殿下のガーディアン

 僕の目の前でお互いに宣戦布告をしながら握手する姉とリネット姫だった。


「あの⋯⋯ところで、ここにアリスも住んでいるんですか?」


「「⋯⋯」」


 僕と姉はちょっと沈黙する。


 僕がVチューバーになってからいろんなボイストレーニングを受けた結果、なんとかギリギリ男の子っぽい声を維持することが可能になった。


 まあ地声は元のままなんだが⋯⋯。


 どうしよう? いま言うのか?


「⋯⋯私に勝ったら会わせてあげる」

「ほんとですか!」


 ⋯⋯どうやら姉はこの面白い状況を引っ張るつもりらしい。


 動画だと面白そうなキャラのブルーベルだが、素のリネット姫はわりと純粋というか⋯⋯姉のおもちゃタイプだと思った。

 これはうかつに邪魔すると姉の恨みを買いそうなので、僕もテキトーに合わせることにする。


「じゃあ配信の準備するから私の部屋に来て」

「はい」


 既に姉の部屋の機材にいつも僕が使っているファミステがセッティングされている。

 そしてリネット姫が姉の部屋に入ろうとした時だった。


「お待ちください殿下!」

「なんですか、セバスチャン?」


 セバスチャンさんはリネット姫を制止して先に姉の部屋に入る。


「ちょっとアンタ、なんなの?」


 うわー姉の怒りゲージがみるみる上昇する。


「盗聴器などが無いかチェックさせてもらうぞ」


「「盗聴器⋯⋯」」


 僕と姉は黙ってしまった。


 確かに王族のリネット姫の護衛ならその気配りも必要かもしれない。

 ⋯⋯だが。


「映子のやつ⋯⋯仕掛けてないでしょうね?」

「だよねー」


 ありえる話だった。


 セバスチャンさんのチェックは1分程度で終わった。


「問題ないようです、殿下」

「ごくろうセバスチャン」


 こういう時悪びれないなリネット姫は、つまり彼女は王族としてそれが身に染みているんだろう。


「映子⋯⋯ワタシハ、シンジテタ」

「ボクモダヨー、映子さん」


 そうだ! 僕らの信じる映子さんがそんな事をするはずないのだ!

 ⋯⋯疑ってごめん映子さん。


 そして姉とリネット姫は部屋に入る。


「それでは殿下の勝利を信じております」

「ごくろうでした、セバスチャン」


 こうしてこのリビングは僕とセバスチャンさんと坂上さんの、男だけになった。


「⋯⋯では、私はこの辺で失礼させてもらいます」

「坂上さん、帰るんですか?」


「ああ、ここへは殿下を案内するのが仕事だったからな」

「そうだ、リネット殿下は私が無事にホテルまで護衛する。 ご苦労だった、ミスター坂上」


「⋯⋯ええ、よろしくお願いします。 ミスターセバスチャン」


 ⋯⋯なんだろう?

 この2人、なんだか険悪だな⋯⋯。


 僕はこの前の坂上さんの話を思い出す。

 坂上さんに無断でブルーベルの胸を増量した人ってこのセバスチャンさんなのかな?


 ⋯⋯あり得るな。

 坂上さんはその事を「政治的な判断」とか言ってたし⋯⋯。


 見た感じリネット姫の胸はそこまで小さくはない、『今の』ブルーベルと同じくらいのイメージだった。

 もしもそのブルーベルが今よりも貧乳でデビューしていたら⋯⋯確かに不敬かもしれない。

 こっそりとリネット姫に黙って『配慮』したセバスチャンさんを誰も責められはしないだろう。


 ⋯⋯迷惑をこうむった坂上さん以外は。


 でもマスクド・ブルーベルのデビューは1年以上前だし、その頃のリネット姫の胸が小さかった可能性もあるけど⋯⋯、

 やめとこ、考えても意味ないし。


「では坂上さん、お疲れさまでした」

「ありがとうアリス⋯⋯ケ君」


 そう言って坂上さんは帰っていった。

 後に残されたのは僕とセバスチャンさんだけである。


 そんな金髪さわやかイケメンのセバスチャンさんはリビングで直立不動だった。


「⋯⋯あのー、座りませんか?」

「結構だ、殿下がお仕事中なのに自分が休むわけにもいかない」


「今からの収録はたぶん何時間もかかりますよ?」

「⋯⋯それでもだ」


 この人⋯⋯プロだな。

 何となくこの人を立たせたままでソファーでくつろぐ気分にもなれず、かといって僕だけ自室にこもるのも悪い気がする。


「料理でもするか⋯⋯」


 僕はキッチンへ行き食事の支度を始める事にした。

 冷蔵庫の中身をチェックしながら⋯⋯、


「あの、リネット姫って和食食べられるんですか?」


 と質問する。


「⋯⋯君はまさか、今から殿下の食事を作る気なのか?」

「そうですが⋯⋯ダメですか?」


 すこし考えている。


「⋯⋯いや、それには及ばない。 我々がデリバリーする」


 おー、さすがセレブな対応だな。


「じゃあクッキーでも焼きますね」

「なぜそこでクッキーを焼く話になるんだ?」


「だって暇だし⋯⋯」

「⋯⋯暇か」


 この人もたぶん暇なんだろうな⋯⋯。


「よかったらセバスチャンさんも手伝ってくれませんか?」


「⋯⋯そうだな。 変なものを作られて殿下の身に何かあったら大変だからな」


 こうして僕とセバスチャンさんは一緒にお菓子を作ることになったのだ。




「⋯⋯ところで君」

「有介です」


「ミスター有介。 私のことは『セバスチャン』と呼び捨てで構わん」

「いいんですか? 年上の方なのに?」


「この『名前』はいわばコードネームなんだ、本名ではない」

「コードネーム!? まるでスパイみたいですね」


「あながち間違いではない。 私の『本名』から私の家族に危害がおよんで間接的に殿下の身を危険にしない為の措置なのだ」

「なるほど」


「それゆえこの殿下から頂いた『セバスチャン』という称号は私の誇りなのだ」

「なるほど」


 ⋯⋯たぶんそれリネット姫の趣味だと思う、あの人アニメオタクだし。


 こうして話をしてみると、威圧的に感じたセバスチャンも普通の人に思えてくる。

 予備のエプロンが様になっているのも理由だが。


「ふむ⋯⋯なかなかの手際だな『アリス』」

「そうですか⋯⋯って、知ってたんですかボクのこと?」


 まあ国家権力だしな、この人は。


「⋯⋯さっきまで半信半疑だった。 殿下はまだ気づいておらんだろうが⋯⋯。 我々の事前の調べで栗林真樹奈には妹は居ない、居るのは弟⋯⋯つまり君がアリスという事になる」


「ご名答です」


「⋯⋯これは個人的な独り言だ。 すまなかったな、殿下がご迷惑をかけて」

「迷惑とは思ってませんよ。 これから仲良くなりたいですし」


 ⋯⋯ヤバイ、不敬と思われただろうか?


「⋯⋯殿下はこの国が大好きなんだ」

「知ってます」


「おそらく国に戻ればもう自由な時間はあまりないだろう。 悔いのない学生生活を楽しんで欲しい」

「そうですね」


 やっぱりリネット姫は僕らとは住む世界の違う人なんだな⋯⋯


「その⋯⋯2学期からは君のクラスメートになるだろう。 よろしく頼む」

「はい⋯⋯って!?」


 リネット姫がクラスメートになる!?


「たんなる偶然だが、君の学校がこれから殿下の通われる高校だ」

「そうだったんですか⋯⋯」


 住む世界が違うとは何だったんだろう?


「このマンションは学校と近いしセキュリティーもしっかりしている。 防音対策も完璧だと言ことがわかった。 空いてる部屋はあるのだろうか?」


「あるんじゃないですか? あとで管理人さんに聞けば?」

「そうだな聞いてみるか⋯⋯」


 こうしてセバスチャンはスマホで電話を始める。


「こちらセバスチャン。 このマンションはなかなかいい物件だ、手配してくれ」


 それだけ言ってスマホを切った。

 ⋯⋯カッコいい、まるでスパイか執事のようだった。


 そして10分ほどで折り返しの電話が来た。


「⋯⋯よしわかった、ご苦労」


 それだけで電話を切るセバスチャンはエリートっぽい。


「部屋は確保した。 これからよろしく頼む、ミスターアリス」


「空き部屋あったんですね」

「ちょうど最上階のペントハウスが空いていたそうでな」


「それは、よかったですね」


 すごい! これが国家権力というものか⋯⋯、

 姉さん、リネット姫を怒らせないといいけど⋯⋯。


 そんな事を考えながら僕は作ったクッキーの生地を冷蔵庫で寝かせる。


「あのーセバスチャン?」

「なんだ?」


「ここで一緒に姉と姫様の配信見ませんか?」


 一応このリビングのテレビでも配信を見ることはできるからな。


「⋯⋯そうだな」


「ではお茶の準備をしましょう、セバスチャンはコーヒーと紅茶どっちがいいですか?」


「紅茶がいい」

「わかりました」


 そして出された紅茶を飲むために、ようやくセバスチャンはソファーに腰を下ろしたのだった。


 僕はテレビをつけて姉の配信画面を映す。

 どうなっているんだろう?


「⋯⋯なかなかうまい紅茶だ、安物だが」

「安物では不満ですか?」


「いや? 私はどっちかというとこの味が好きだ、高級品ではくつろげない」

「なるほど⋯⋯」


 こうして僕とセバスチャンは少し打ち解けて、一緒にテレビで配信を見るのだった。

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