#027 あの日産まれた天使の声 ~ マネージャー木下宇佐子の業務日誌

 私は木下⋯⋯名前はどうでもいいでしょ。

 はあ⋯⋯なんで両親はこんな可愛い名前にしたのか?

 まあキラキラしたやつよりはマシだったけど⋯⋯。


 私が雇ってもらっているこのVチューバー事務所は、相川グループが経営する総合芸能事業『ヴィアラッテア』のほんの一部である。

 かつて私もピアニストとして所属していたが引退して、その後もこうして裏方として雇ってもらえる⋯⋯まあいい会社だ。


 そのヴィアラッテアが去年新しくVチューバー事業部を立ち上げて、まだキャリアの浅い私をマネージャーとして抜擢したのだった。

 正直荷が重いと感じる⋯⋯。


 というのもこのVチューバー事業部『ホロガーデン』に所属するVチューバーたちは、いわゆる普通の芸能人は少ないからだ。

 素人っぽい親しみやすさを重視した結果だそうだが、元コンパニオンや声優志望の高校生、果ては社長のニート娘まで居る。

 なんともカオスな人材だった。


 そんなタレントたちをうまくコントロールし、そして新たな企画を立てることが私の職務だった。

 正直大変な仕事である。

 そして会社も期待しているのか、していないのか?

 何とも言えない力の入れようだった、放任主義というのが近いかも?


 ライバル芸能会社に対抗してとりあえず立ち上げたVチューバー事業部、というのが本質だったのだろう。

 ある程度失敗前提のプロジェクトと言っていい。

 どおりで私のようなキャリアの浅い人材が責任者に抜擢されたわけだ。

 ちくしょう⋯⋯。


 そして今夜も私は残業である。

 と言っても午前中はほとんど仕事がないから、朝は遅いのだけが救いだが⋯⋯。

 今日も午前0時を回ってしまった。


 私の仕事が夜型なのは基本Vチューバーの配信が夜だからだ。

 平日の昼間に見に来る人は少ないからね。


 今の時間はうちの有望株エースの『マロン』の配信中だった。

 その配信をラジオ代わりにして私は書類仕事を片付けていた。


『それでは実家からの配信は今日までで、引っ越し後の来週も絶対見てね! バイバイ!』


 それを聞いて私はひとまずホッとする。

 まだ慣れないな⋯⋯うちのタレントが無事に配信を終えるこの瞬間が。


 この1年間本当にトラブル続きで、その事後処理に追われてきた生活だった。

 でも今日のマロンはチャランポランな性格なのにトラブルは意外と少ない。

 それでも無事に終わって安心した⋯⋯そう思っていた時だった。


「あれ?」


 まだ配信が終わらない⋯⋯。


 しかもなんだか衣擦れの音が配信されている!?

 私は知っていた、マロンの中の人栗林真樹奈は配信後に高確率でお風呂に入るという事を。

 つまり今、公開ストリップショーという訳だった。


【あれ⋯⋯?】

【切り忘れか?】

【あーマロンもついにやったか⋯⋯】

【何の音だこれ?】


 とりあえず服を脱いでいるとは気づかれてはいないようだったのが救いだった。

 私はすぐにスマホで切り忘れを伝えようとしたのだが⋯⋯連絡がつかない。

 配信にも私の着信音が鳴らないところをみるとマナーモード中なのだろう。

 そういうところはしっかりしているのが真樹奈だった。


 すると何も音が聞こえなくなり⋯⋯どうやら退室したらしいとわかった。


「とりあえずラインは送っとくか⋯⋯」


 家電にかけるのはさすがに躊躇われる時間だったからだ。

 さて⋯⋯これからどうするかと思い悩んでいると⋯⋯。


 ガチャッ!


 ドアが開く音が聞こえた。

 真樹奈の風呂上がりだとしては早すぎる?


『ねえさん⋯⋯まだ起きているの?』


 私は心臓が止まるかと思った!?


『あーあ、こんなに部屋散らかして⋯⋯』


 何とも可愛らしい少女の声だった。

 明らかにマロンではない。


『服脱いでそのままか⋯⋯お風呂かな?』


 たしかマロンは配信で何度か妹が居ると言っていた。

 そして今は実家からの配信だった。


【誰?】

【マロンじゃないだと?】

【妹じゃね?】

【そういや妹が居るって言ってたな】

【てかマロン風呂かよw】

【さっきのはマロンのストリップショーだったのかwww】


 どうしよう⋯⋯。

 いろいろやらかしすぎて頭が痛い⋯⋯。

 今夜は泊りになるのだろうか?

 そう思った時だった。


『──ラブソング求めてさ迷っている、あなたが今~♪』


 ファッ!?

 突然その歌声は唐突に始まった。

 アカペラでだからこそ、その純粋な歌声が配信に流れ始めた!?


【なにこれwww】

【ドラファン2の歌じゃんw】

【いい声じゃないかw】

【ノリノリすぎる】

【これは深夜のテンション上がるわwww】


 ⋯⋯思考が止まった私はその歌声をただボーっと聞き続けていた。

 これでも私は元プロの音楽家だ、その私が聞いてもこの歌声は素人レベルじゃなかった。


【普通に上手くて草】

【素人じゃねえw】

【この妹ヤバいw】


 リスナーの反応が良かったのがまだ救いだった。


『──Fall in Love~♪』


 その貫禄すら感じる余韻はまさにやり切った感があって、感動すら感じたのだった。




『あんた何やってんの?』

『あー、何となく片づけを?』


 その感動を終わらせたのはマロンの帰還だった。

 私はすぐに黙らせるためにスマホで連絡する。


『はい⋯⋯え!? 切り忘れてる!』


 幸いすぐにマロンは反応して、その後速やかに配信は遮断された。

 そして残されたリスナーのコメントは⋯⋯。


【www】

【配信事故w】

【これはやってしまいましたなw】

【マロンドンマイw】

【妹さんに乾杯!】


 ⋯⋯と、お祭り状態だった。

 中でも⋯⋯。


【もうこの妹最高だからデビューさせようぜ!】


 そのコメントがやけに私の印象に残ったのだった。

 結局この日は家に帰れなかった⋯⋯ちくしょう。




 私は明け方近くまで様々なVチューバー関連のブログを巡回して、今夜の配信事故についての反応を探った。

 しかしそこは思いのほか好意的な感想で埋め尽くされていたのだった。


 元々マロンというキャラクターが愛されていた事、そして妹が居てそれを溺愛している節があるという事が、ファンには周知だったのが大きかった。

 一晩中エゴサーチしていたが火消しをする必要はなさそうだった。

 そして朝4時くらいになってようやく私は仮眠したのだった。


 目が覚めた私は出社してきた社長にこの件を報告した。

 この事件はすでに社長もネットニュースで見て知ったようだ。


 だから話は早かった。


 そしてこの時点ですでに『妹さん』の歌声部分だけの切り抜き動画がファンによって上げられていて、その再生回数を伸ばしていたのだった。

 かなりエグイ再生回数だった。

 その動画の時間が2分程度というのもあるだろうが⋯⋯。


「この子を呼び出してくれ」

「社長⋯⋯それはこの子をスカウトするという事ですか?」

「もちろんだ、逸材だよこの子は」


 社長のこういう嗅覚は確かなのだ。

 何しろ現場での打ち上げ宴会で、真樹奈コンパニオンが隣に座っていたというだけで⋯⋯。


「あの子、面白かったからVチューバーにしてみよう」


 ⋯⋯とか言い出すワンマン社長だ。

 そして実際にその真樹奈はマロンとして確かな実績を積み、我がVチューバー事業部のエースになった。


 こうして私は真樹奈に妹を連れてくるように頼んだのだった。

 だが連れてきたのは、まさかの『弟』だったのだ。


 私は実際に出会った真樹奈の弟にスター性を感じた。

 それはファンからほとんどこの声に非難が無かったからだろう。

 聞いたみんなが楽しさや安らぎを感じた声の持ち主だったからだ。


 でも当人にはそんな自覚はまるでなく、自己肯定感が無いようだった。

 まあそんな声で男が一般生活は厳しいかもしれない⋯⋯。


 結局その後たいしてもめる事もなく、有介君⋯⋯いや『アリス』のデビューが決まった。


 デビュー前にうちの会社のスタッフに有介君のことを見てもらったが、その評価は非常に高い。

 何というか有介君が非常に前向きだったのが意外だった。

 プロの指導員が淡々と要求する演技をこなすのがなんだか楽しそうだった、彼は。


 この時、私は確信した。

 有介君の中で自分の声に自信を持った瞬間なんだって⋯⋯。


 あとはその勢いを消さないように話を進めるだけだった。

 幸いご両親にも上手く話を進めることができた。

 ご両親も有介君のことは悩みだったようだ。


「有介の事を守ってやってくれ、よろしく頼む木下さん」


 そう私に頭を下げるくらい真剣だったのだ、ご両親は。

 こうしてアリスケ君は真樹奈の新しいマンションでの新生活を始めることになった。




 春の大連休に『アリス』はデビューした。

 正直ここまで上手くデビューできるとは思わなかった。

 意外と度胸が据わっているというか? 開き直るタイプの性格のようだ。

 顔出ししないネットだからというのも大きかったのだろう。


 このVチューバーという仕事は興味があって初めても、その適性が合わずに辞めてしまう人は多い。

 真樹奈と同期の第1期生も今や残り半分までに減っていた、厳しい仕事げんじつなのだ。


 純粋に話すことが好きな人や承認欲求が高い人、後は⋯⋯トラブルを起こさない常識ある人だけが生き残れる。

 まだ楽観はできないけどアリスケ君はどうやらやっていけそうだなと、私は予感したのだった。


 そんな栗林姉弟と同僚のVチューバー『ルーミア』こと芹沢留美さん、そして社長の娘の相川映子ちゃんが一緒に暮らすことになったのは予想外のことだった。

 しかしこの4人は公私ともに仲良くなって問題なく仕事を続けている。

 最近は頻繁にコラボすることも増えた。


 アリスケ君の場合はゲーム関連以外のフリートークは苦手だったのだが、こうしてゲストが来ると自然と会話出来てますますファンが着く結果になった。

 デビューからわずか1月で登録者数が20万人突破した。

 わがホロガーデン期待の新人となりつつある。




 私が仕事をしていると──。


「木下、今いいか?」

「なんでしょう社長?」


 私は社長とは長い付き合いである。

 私がまだ現役のピアニストだったころからの付き合いで、お世話になった。


 とりわけまだ少女だったちっちゃかった映子ちゃんに懐かれていたのが大きかったからだ。

 ⋯⋯その映子ちゃんが大人になってもまだ私に懐いたままで、仕事仲間になるとは思わなかったけどね。


「最近映子ちゃんとよくコラボする3姉妹たちが居るだろ?」

「はい、それが何か?」


 姉妹じゃないんだけどな⋯⋯。


「思ったんだがこの4人を組ませて何かできないか?」

「つまりユニットにする⋯⋯という事ですね?」


「コラボするVチューバーは珍しくないが、リアルで同居しているVチューバーは他社ポラリスにも居ない⋯⋯これは強みになるんじゃないかな?」


 ようするに社長は娘が上手くニートを卒業出来て嬉しいのだろう。

 そして公私ともに娘を支援してやりたいと考える、ワンマン親バカ社長という訳だ。


「いい案ですね」


 動機がどうであれ確かに面白そうな企画だと私も感じた。

 この社長はこういったところが侮れない⋯⋯。


「頼んだよ木下。 いやー、映子をVチューバーにして本当によかったよ」


 そのしわ寄せは全部こっちに来るんですけどねっ、社長!


 その社長は出て行って私は一人考える。

 あの4人をどう扱っていくか⋯⋯。


「これから楽しみね」


 そう思いながら私は本社のサーバーからダウンロードしたデータを、1つのUSBメモリスティックに移した。


 この中に今夜から使うアリスケ君の新しいアバター⋯⋯。

 アリスの3Dアバターのデータが入っているのだった。

 それを手に取り私は会社を出た。


 真っ赤なイタリア製の愛車に乗り込む。

 このエンジンをかける瞬間がいつもたまらない⋯⋯。

 ふだんロクに家に帰れない分、こうして車だけが私の趣味になったからだ。

 なかなか値の張る高級車だがそれを買えるくらいの給料は貰っている、だからちゃんと働かないとね。


 エンジンをかけた愛車のカーステレオからあの日の歌声が流れる。

 私があの切り抜き動画から音だけ取り出したものである。

 この初声うぶごえと共にあの『機械仕掛けの天使アリス』は産まれたのだ。


 そして今夜アリスは新しい体を得て、さらに羽ばたくのだろう。


「さてこれからもお仕事頑張ってもらうわね『アリス』」


 こうして私はアリスケ君の住むマンションへと向かうのだった。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆


今夜も『電遊アリスチャンネル』へようこそ部員諸君!

きょうもボクの遊ぶゲームを楽しんでくだしね!

部長のアリスでした。


いつものようにチャンネルフォローと☆☆☆への高評価をお願いします。

あと! ルーミアのチャンネルもよろしくお願いします! (圧)


https://kakuyomu.jp/works/16817330649840178082/reviews

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