本編

 札幌の条丁は方角の下の数字が大きくなるほど街の中心部から遠ざかってゆく。特に北は数字が大きくなるほど郊外のつまらない住宅地へと変貌してゆき、方角の漢字と条丁の数字が消えてなくなるその先の地域に至っては、実質隣町のような感覚だ。

 莉歌りかの住むマンションは北五条。

 戌春いぬはるの家は北三十七条。

 その間は三十二条分――地下鉄南北線の五駅の隙間があり、それが即ち莉歌と戌春の住む世界の違いだった。

 莉歌は普通の少女のように思えても、時折見せる所作でその三十二条分の違いの差を思い知らされる。

 例えば喫茶店で軽食のパンケーキを頼んだとき、戌春がフォークを突き刺してナイフでノコギリ切りしてるそれを器用かつ優雅に切り分けたり。カップでコーヒーを飲む佇まいだって、戌春のそれと全く違う。

 だから待ち合わせの大通駅の南北線改札前で、莉歌が三十二条先の戌春の家の周りに行きたいと言い出した時には、戌春は少しの困惑と妬心を抱いて莉歌に反発した。

「遊ぶ場所なら駅前や大通の方が多いだろ」

「大通ばっかじゃ飽きるし、駅前なんか家の前だもん」莉歌は戌春の言葉にむすっとした顔で返す。「それにさ、前ワンコが話してた大きいリサイクルショップとレンタルビデオ屋。あそこ行ってみたいんだ」

「普通の店だって。行ったって特になんもない普通の店」

「なんもないわけないじゃん。具体的に何がなんもないの」

「莉歌ちゃんの興味ありそうな物はないってこと。家電とか、食器とか、古着とか、玩具とか、そういうどうしようもないもんしか並んでないし、レンタルDVDだって全部サブスク使えば見れるようなモンしか並んでないから」

「興味ある。古着とかぜんぜん興味ある。DVDも一緒に見たいし」

 ずいっと莉歌の顔が上から迫ってくる。

 腕を捕み、戌春にもう有無を言わせないと言った様子で追いつめてくる莉歌。

 反則だろ、と戌春は心中毒づきながらも、口では反発の言葉を継げなかった。

「じゃあ決まり、行こ」

 莉歌は戌春の手を引っ張って、南北線の改札を抜けた。



 南北線の北行き電車に揺られて十数分。北三十四条のうら寂れた駅で電車を降りると、莉歌は「ワンコが案内して」と戌春を前に突き出す。

 背負ったキーボードケースで、がちゃん、と64式が音を立てる。

「本当に何にもないから、後でつまんなかったとか言うなよ」

「言わないってば」

 戌春は莉歌を導くように歩き出す。シャッターを閉ざした通路を横切り、地上へと続く階段を上る。

「あのシャッターの先さ、昔はちっちぇえ商店街だったんだ」戌春が冗談めかしく言う。「昔っから全然人こなくって入れ替わり立ち替わりで店入れ替わって、大学出る頃くらいには最後に入ってた百均もいなくなってゾンビか幽霊出てきそうなぐらいメチャメチャの廃墟んなってて。見栄え悪すぎたのかシャッターで入れなくしたんだわ」

 莉歌はへー、と興味津々に重く降りたシャッターを見返す。

「じゃあ中、今ゾンビだらけになってるかもね」

 一段下から莉歌がにやりと、いたずらっぽく戌春を見やる。細まった目が戌春の目と同じ高さで合う、不思議な感覚。

「ゾンビ出てくる商店街ならワンコ大活躍だね。ゾンビ退治専用の銃持ってるもん」

 莉歌は戌春のジャケットの下に隠されたM9A1に目配せする。

「ダメダメ、俺じゃ鈍くさすぎて囲まれて頭から食われる」

「もっと自信持てってば。ゾンビ一体ぶっ殺せないくせに何のためにそんなもん持ってるんだよ」

「一体なら良いけど、一杯出たら撃ってるうちにどん詰まりに入って囲まれて死ぬんだよ。よくある死に方!」

 戌春は自嘲気味にちょっとだけ声を張り上げる。

「莉歌ちゃんぐらい運動神経良いし、容赦なく全部殺れそうだけど」

「ゾンビなら全部殺せる」莉歌が目を細めて、きひひ、と笑って返す。「でも幽霊はたぶん無理っぽそう、私じゃ幽霊怒らせそうだし。そっちはワンコの方が話通じそうだから任せる」

「確かに」戌春も複雑な表情で笑って返す。

 もしこの世に恨みを残した幽霊なら、この世に恨みだらけの戌春が愚痴酒の席でも設ければ、盛り上がって成仏してくれそうだ。

 階段を上りきってバスターミナルの建物を抜けると、明かるい夜が二人を包む。

 北三十四条の駅前はナトリウム灯に水銀灯に蛍光灯にLEDと、思いつく限りの人工照明が焚かれ、札樽さっそん自動車道の高架橋とその下の国道五号線、そして北大ほくだい通りを挟んだ対岸の電気店の建物を煌々と照らしあげ、更に北の麻生あさぶの不夜城から漏れた灯りで照らされている。

 隣で莉歌が「わぁ」と声を上げていた。

 こんな景色の何が良いんだろうか。

 彼女の住む街から三十条分遠ざかった、鬱陶しいくらいに明るく光る高速道路の高架沿いの景色に声を上げる気持ちは、戌春にはよくわからない。

 ただ莉歌にとっては、まず訪れるはずもなかったこんな場所から見た景色が相当新鮮なのだろうことはわかった。

 光が淡く反射する雪の積もる季節、もう一度莉歌を連れてきたら。どう言う反応をするだろう。戌春はそう一瞬考えたが、それまで莉歌と自分の関係が続いているかわからない。と、次の一瞬で考えを振り払った。

 ぽっかりと口を開けた地下歩道を無視して、ちょうど青になった自転車用信号を駆け足で渡って北大通りを横断する。

 だだっ広い駐車場を抜けて、薄黄色のペンキで塗りたくられたチェーン電気店の巨大な店舗の中に、莉歌ご所望のリサイクルショップは入店している。

 かつて大型ボウリング場として建てられた名残の、段差といやに開放感のある店内に入ってゆく。戌春は勝手知ったる様子で、莉歌はきょろきょろと物珍しそうに、店内を見回した。

「古着コーナーあっちか。行こ、ワンコ」

 ぐい、とジャケットの袖を引いて、莉歌が大股でずんずん棚の間を進んでゆく。

 そして、何故か男物の古着コーナーの前で莉歌は足を止めた。莉歌はジャケットの棚に首を突っ込み、身体を屈めて物色を始めた。

「そこ男物だよ」

「いーの。ワンコのジャケット選んでるんだから」

 莉歌が神妙な表情をして振り向く。

「ワンコさ、服がいちいち子供っぽいもん。絶対お母さんに服選んでもらってるでしょ」

「…………はい、まあ」

 戌春の心に鋭く研がれたやじりが刺さる。バイト先でミスった時の敬語じみた受け答えが自然と口から漏れる。

 莉歌の指摘は少しだけ違っているが――戌春の服のセンスとチョイスが全く信用されておらず、選んでもらってると言うより、私服に無頓着な父と一緒に母に服を選ぶ権利や買う権利を半分剥奪されているのが本当のところなのだが――紛れもない事実だ。

「遠藤のイジリじゃないけど、アラサーでお母さんコーデなんてみっともないからさ。せめて年相応に似合う服選ばないと」

「……俺が選んだ服着た方がみっともないって怒り出すんだよ。うちの母親」

「じゃあ本当にワンコの服のセンスか、お母さんに反抗しないワンコが悪い」

 戌春のかすかな反抗が、また鋭い鏃に砕かれた。

「ホントは服全部選びなおしたいトコけど、今回はジャケットだけで我慢するからね。そんで今着てる小学生みたいな灰色のパーカー捨てて、選んだのに変えること。いいね」

「はい」

 戦乙女の顔をした莉歌の念押しに、戌春は張り付いた笑い顔で従う。

 それは何でも笑って誤魔化す『負け犬アンダードッグ』の性質でなく、莉歌の正論で完全に心を折られたおかげだった。

 母が妙に勧めてくる『小学生みたいな』灰色のパーカーの袖を指で引き寄せ、キーボードケースのバンドを握りしめながら、戌春は唇を尖らせて金属ハンガーをガチャガチャ言わせながら、真剣に古着の物色を続ける莉歌を見守る。

 そして視線を莉歌から一瞬離すと、こんなに種類があるのかと改めて思うほどの古着に目を奪われ、自分も眼でジャケットの森を追いはじめた。

 そのうち、戌春の眼は着古されたオリーブや灰色のジャケットやコートが並ぶコーナーへ自然に移ってゆく。タグに『M65 米軍デッドストック』と書かれたくすんだ蓬色のフィールドジャケットを手に取ったとき、莉歌の声が飛んだ。

「そういうのが好きなのはわかるけど、ワンコには100%似合わ無いから諦めろ」

 戌春はそっと、何事もなかったようにM65ジャケットを棚に返す。

「ワンコはインドア系の見た目だし、身長もガタイも足りてないからそういうフィールド系似合わないんだ。豊岡さんとかなら似合うけど、ワンコにはムリ」

 確かに。戌春の脳内で豊岡はM65を見事に着こなし、そのまま夜の狸小路を仲間と共に歩いてゆく姿まで想像できるし、悔しいが様になっている。

 そして、戌春は思いつきでそのジャケットを豊岡から脱がし、今隣で真剣に自分のジャケットを漁ってくれている少女にも着せてみる。

 今着ている紺襟に白色のセーラー服には似合わないだろうが、すらっとした脚と腕の持ち主の莉歌なら適当なジーンズやTシャツを着せれば、全然ありだろう。背景だって北五条の高級マンションの前では似合わなくても、三十条先の眩しいぐらいに人工灯を焚いた夜の街に放り込んで、蓮っ葉なポーズを取らせれば恐ろしく様になる。

 一度頷いてから、再び戌春はM65ジャケットを手に取った。

 今度は興味本位でなく、しっかりとした意思を持って。

「……だからワンコにはそれは似合わないってば。そこ立ってて、ほら」

 莉歌が差し出したのは、リネン地のテーラードジャケットだった。

 見た目で作りがしっかりしていて、どこかのリーズナブルブランドの物でないのがファッションに無頓着な戌春でもわかるそれを、莉歌は戌春に向かってぐいと押しつける。

 莉歌はこくり、と頷く。

「やっぱワンコ、フォーマルの方が似合うよ。こっち買うからそのフィールドジャケット返しなよ」

 まるで母親のような言いぶりの莉歌に、「いや、そうじゃねえから」と苦笑しながら、莉歌がそうしたように、ぐい、と前を向いて立つ莉歌の前にM65を重ねる。

「俺には無理でも、莉歌ちゃんなら似合うと思ったんだよ」

 やっぱり。想像の通り彼女の長い手足は、本来体格の必要な無骨な男物のも完全に許容しているのが、重ねただけでもわかった。

 戦乙女は、やっぱり戦装束がよく似合うらしい。

「だから、買う」

 ぽかんとした表情で莉歌。今日はずっと莉歌に押し切られてばかりだったが、初めてしてやったと。戌春は心の中で拳を握りしめ、膝を打った。

「……ズルい。ワンコのくせに」

 莉歌はぷいと視線を逸らす。

 だが戌春にだって言い分はある。

「莉歌ちゃんも十分ズルい。それ、莉歌ちゃんの金で買うつもりだったんだろ」

 莉歌の性格ならもし違うとすれば「自過剰すぎるでしょ」と速攻で否定するだろうし、最初から戌春に金を出すことを告げるはずだ。否定しないのも、自分に金を出させることを要求しないのも、つまりそういうことなのだ。

「だから交換ってことで、俺はこれ買って莉歌ちゃんにプレゼントするよ。いらなきゃ着なくていいしさ」

 戌春の言葉に、莉歌は視線を逸らしたまま、「ホントズルい。わかってんなら知らないフリしろよ」と早口で呟いた。そしてテーラードジャケットを握ったまま「行くよ、ワンコ」と、タイルを踏みつけるみたいにして早足で店の反対側に歩いて行く。

 家電コーナー、アウトドアコーナー。なんとなく高価で少しだけ興味心を擽らせてくれるが、本気で買う気にはなれない。そんなモノで溢れるコーナーを冷やかしでダラダラと歩いて、突き当たったところを曲がると玩具コーナーが現れる。

「ワンコってプラモとか作るの?」

 値札のついた航空機のプラモデルに視線を落として、莉歌が言う。

「昔は作ってたけど、ヘタクソすぎて段々作る気が失せた」

「ワンコってそういうとこあるよね」

 莉歌の含みのある言い方に、戌春は反発することはしなかった。

 負け癖に甘えて学習性無力感ばかり覚えてしまった負け犬アンダードッグと、勝つために自分に鞭を打ち続ける戦乙女ワルキューレ。その間にある埋められない大きな溝を広げたとして、この奇妙な関係が破綻するだけだ。

 莉歌もそのことをわかってか、その先の言葉を継ぎたくても継がない。

「――莉歌ちゃんはさ」

「全部捨てたよ」戌春が反発の替わりに無理矢理継ごうとした話題は、莉歌の口によって簡潔に遮られた。「シルバニアとか飾ってたけど、中三の時に鬱陶しくなって、大掃除で全部捨てた」

「ああ、そう」

「ワンコ、やっぱり話切り出すのもあんま上手くないよね。無理してる感凄いよ」

 十歳年下の少女にそう言われると戌春ももう口を開くこともやめておこう。と思い立ち、頭上のショーケースに飾られたモデルガンに目をやる。

 高価で買う人間も限られるモデルガンのショーケースは、先月にふらりと立ち寄った時に見たのと殆ど変わらない品揃えが並んでいる。今戌春のキーボードケースの中に入っている64式小銃の電動ガンが七年前に飾られていた右上のスペースには、先月と変わらずM4A1カービンが鎮座していた。

「ねえ」

「なに」

 何も言うまいと決めたそばから、戌春は口を開いてしまった。

「あれの中のどれが私に似合うと思う?」

 あれ、と莉歌が視線を向けるのは、スタンドに添えられて並べられた拳銃四ちょう

 シルバーフィニッシュのスライドのM1911A1カスタム、グロック26、ネジ切りバレルのH&K USPタクティカル、それに戌春が今腰に差しているのと同じ系統のベレッタM92という、恐らくリサイクルショップの棚に並ぶにはありふれた品揃えのガスガン達。その四挺を眺めながら莉歌は戌春に、まるで自分に一番似合うアクセサリーがどれか。と同い年の友人へ自然に訊ねるような様子で問いかける。

「……買えないよ、あれは」戌春はふう、と息を吐いたあと、莉歌に返した。「タグに一八歳以上って書いてあるだろ。莉歌ちゃんには一年早い」

「二七歳が隣に居るから買えるでしょ」

「そう言う問題じゃない」

「テロリストになって殺されたいとか言うくせに変に遵法じゅんぽう精神旺盛だよね、ワンコって」

 呆れを隠さない口調でそう言うと、莉歌は戌春の方を振り向いた。束ねた髪が揺れる。彼女は戌春の眼をじっと見つめて、口元を緩めた。

「別にどっかで撃ちたいって気なんてないよ。ワンコみたいに『お守り』が欲しいなって思っただけ」

 切れ長の眼が例の灰色の「小学生みたいな」パーカーで隠されたズボンのウェストに、そしてキーボードケースに目配せする。

「莉歌ちゃんに『お守り』は要らないって。あれは俺みたいのが気を大きくするために持ち歩いてるだけのモノで、持ってても不審者だよ」

「私は欲しいの。ワンコとお揃いの『お守り』持って、ワンコと一緒に世界と戦って死ぬ夢でも見て、自分も満足したい」

 蛍光灯の光の下で束ねた墨色の髪と、手に持ったテーラードジャケットが再び揺れる。

 いたずらっぽくはにかんで笑う彼女。爛漫さと大人っぽさとが混じる、戌春の心臓が一瞬跳ね上がるような美しい笑み。

 そして明るく振る舞っているようで、ほんの少しの高揚の色が――戌春自身がよく破滅的な自殺の計画を口にするときと同じ色が――混じった声色。

 戌春はその笑顔と言葉に、自分が彼女に『お守り』を持つのを諦めさせるのは無理だと諦めるしか無かった。

 これ以上莉歌に必要ないと説得したら、戌春が負け犬としてせめて見えない敵に抗うために『お守り』を持ち歩く理由さえ否定してしまう。カフェイン錠剤を常用する戦乙女もまた、自分同様見えない敵に、狭いがリアルな世界に抗っている一人なのだから。

 戌春は「待ってて」と莉歌に断ってレジから店員を呼んでくると、ネジ切りバレルのUSPを指さして「あれが欲しいんです」と言う。

 すらりとした長身の莉歌の『お守り』に小さなグロックは似合わないし、ベレッタは戌春と被るからパス。そうなると残るはM1911A1のカスタムかUSPだが、いかにもな見た目のカスタムガンよりは、無骨なネジ切りバレルのUSPの方がなんとなく良いと戌春が思ったからだ。

 そのまま何食わぬ顔でレジに向かった戌春と莉歌は、並んで二つのレジに立つ。

 戌春の買い物額はしめて二万三千円。

 クレジットカードを差し出して「三分割で」と莉歌に聞こえないように言ったはずなのに、人なつっこい顔の店員はわざわざ「三分割で宜しいですね」とハキハキとよく通る声で返してきて、戌春は莉歌に感づかれるじゃないか、とマニュアルの通りに元気よく接客する店員を恨んだ。

 莉歌は案の定感づいて、店を出てすぐに二階のレンタルビデオ屋への階段を駆け上がろうとする戌春を「ワンコ」と低い声で呼び止める。

「ジャケットはともかくさ、『お守り』は私が欲しいから買ったわけだし私が後でその分のお金渡すから。ワンコが出さなくて良いよ」

「……俺だってちょっとは格好付けたいんだよ。そのジャケットだって莉歌ちゃんに金出してもらってるし」

「格好付けてもただの虚勢なんだってば。ワンコに払わせたら私が悪者みたいじゃん」

「年上の意地を尊重して欲しい。莉歌ちゃんに払わせたら俺こそ悪者みたいになる」

「うっさい。年上でも激弱なの自覚しろ」

 踊り場で莉歌は戌春のキーボードケースを掴んで引き寄せ、「お金は絶対に返すからね」と念を押すように戌春の顔を見下ろして言う。

 それに戌春は莉歌を見上げ、上目遣いのまま敢えて沈黙で答えた。

 二階のレンタルビデオ店もボウリング場だったことが簡単に窺える作りで、かつてレーンだった部分にDVDの棚が林立している。

「ワンコ、会員証持ってる?」

「持ってるけど」

 会員証としての役目はここ数年出番無しだが、ポイントカードの役目も果たしているおかげで財布の中に収まっている。

「何か借りたいDVDでもあるの?」

「『ワルキューレ』って映画」

 莉歌は振り向いて、にやりと意味深にその単語を口にする。

「ワンコが私のことワルキューレって言うでしょ。それで調べたら、そう言う映画があるって知って。なんか面白そうだから、ワンコと見たいと思ったの」

「戦争サスペンス映画だよ、あれ」

 戌春の言に「そんなのわかってるから」と莉歌は返す。

「でも何かを本気でぶっ壊そうとするの、ワンコなら憧れるじゃん」

「……まあ」

 映画のワルキューレ作戦は失敗するし、激弱な自分は隻眼のトム・クルーズには絶対になれないだろうけどさ。と、口に出さないまま、戌春は莉歌の後を追うのだった。

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②アンダードッグとワルキューレ 上野ゆかり @ueno-asakusa_1927

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