プロローグ・3 誘い
「……は??」
もう一度件名を見直して、もう一度眉をひそめる。
エタフロの運営といえば、何やかんや文句を言われつつも、誠実な仕事ぶりと対応の素早さで厚い信頼を得ていた、昨今珍しい良心的な運営だった。
当然、こういうプレイヤーに対しての情報発信の機会においても、おふざけを挟むことはまずありえなかったはずだ。だというのに、この件名はどういうことだろうか。ひょっとして、サービス終了に際してプレイヤー個人個人にメッセージでも宛ててくれたのだろうか?
首をかしげつつも、トレイのメッセージをダブルクリック。内容に目を通して――眉間の皺が一層深くなった。
*
本文:
こんにちは、親愛なるエトランジェ。このような形での託宣となってしまったことを、どうかお許しください。
残された時間が少ないので、手短に要件をお伝えさせて頂きます。
貴方様もご存知の通り、現在、貴方の世界とルクシアの繋がりが絶たれようとしています。
おそらく貴方様の感知するところではないと思われますが、ルクシアという世界は「実在する世界」です。貴方様の知る言葉に直すならば、「異世界」と呼ぶのが適切でしょう。
そして、我がルクシアは創世の時より、非常に不安定な世界として歴史を紡いできました。私こと創世神の力により、貴方様方エトランジェを呼び込み、その力によって守護を続けてきたのですが、このまま世界の繋がりが途絶えてしまえば、再び世界の均衡が崩れた際、世界を守れる存在がいなくなってしまうのです。
そこで、我がルクシアに格別の愛情を注いでくださっていた貴方様に、折り入ってのお願いがございます。
世界と世界の繋がりが立たれた後、再びルクシアが危機に直面した時に備えて、貴方様にはルクシアへ渡り、最後のエトランジェとして、世界を護って頂きたいのです。
ただし、このお願いは、とどのつまり、貴方様の「今」を奪う行為に他なりません。
世界同士の繋がりが完全に絶たれてしまえば、再び世界を渡ることは極めて困難となります。平たく言えば、ルクシアへと渡ったならば、今の貴方様が生きる世界に戻る事は、未来永劫叶わなくなることになるのです。
貴方様の生きる世界に残るか。それとも、貴方様が愛してくださったルクシアの守護者として世界を超えるか。
私に、貴方様のこれからを強制する権利はありません。故に、最終判断は貴方様にゆだねさせて頂きます。
重ね重ね、不躾な形での託宣となってしまったこと、どうかお許しください。
お互いにとって良き選択が下されるよう、お祈りしております。
*
メッセージの文末には、飾り気のない「はい」と「いいえ」のアイコンが添えられている。試しにマウスカーソルを合わせてみれば、どうやらこれを押すことで、この手紙に返事ができるようだ。
……なんというか、底知れない不気味さを感じてならない。
先述の通り、エタフロ運営がこういうおふざけをするとは考えにくい。サービス終了に際して茶目っ気を出した、という線も考えられなくないが、それにしたってこの内容は不可解だ。
メッセージの内容をとても大雑把に噛み砕くなら、
「エタフロ存続のために君の力を貸してよ! ただしはいを押したら今までの生活は捨てることになるよ!」
といったところだろうか。まかり間違っても、客商売を生業にする運営がユーザーに送りつけていい文言ではないだろう。
正直、メッセージの意図が全く読めないのが何よりも不気味だ。
不審な点を全て無視して、最大限好意的に解釈するなら、「エタフロの運営陣として招致されるので、一般プレイヤーの身分には戻れなくなるよ!」という旨にも捉えられるが、それならそうともっと明確に記載するだろう。第一、サービス終了を目前に控えた状態で、運営へと招き入れるというのも不可解だし、その解釈で行くならメッセージの内容があまりにも迂遠、というか無関係な情報が多すぎだ。
「うぅん……?」
二、三度頭から読み返して、どうにか内容を理解しようとするが、決定的な情報に欠けるせいで、どんな推測も憶測の域を出てくれない。
……いや、内容を理解するのは簡単なことだ。問題なのは、このメッセージに記されている文言が、俺の理解の埒外にある、ということだった。
――正直なところ、返答するならば何も迷うことはない。
俺にとって、エタフロでの冒険の日々は、今の現実よりもよっぽど楽しいし、また彼ら彼女らと共にいられるならば、今の暮らしを捨てるくらいわけもない話だ。
ぶっちゃけた話、今の生活に対する未練はほとんどないと言っていい。
平凡な学生自体を過ごし、慎ましい暮らしに困らないくらいの給金を貰える企業に就職し、山も谷も色もない、平坦な人生を送ってきた。
日々の彩りと言えば、それこそエタフロをプレイする時間だけだったし、それが失われてしまえば、いよいよ俺の人生からは色彩という色彩が失われてしまう。
今の生活と引き換えに、もう一度あの愛しき世界を、愛しき
「――じゃあ、迷う必要はない、か」
逡巡すること、わずか数秒。
気づけば俺は、マウスカーソルを滑らせて――「はい」を選択していた。
あまりにあっさりと心が決まってしまい、自分で自分に苦笑する。
あるいは、それほどまでに今の世界に対する執着が薄すぎたのだろうか……なんてことを考えていると、受信トレイの下部に「新着メッセージがあります」という一文が出現。
トレイをリロードして、新しいメッセージを表示してみれば、それはやはり、創世神を名乗る者からのメッセージだった。
*
差出人:EF運営
To:Astel Strahl
件名:創世神より
本文…
貴方様のご決断に、深く感謝を申し上げます。
貴方様のお力添えがあれば、ルクシアの存続は確約されます。彼の世界を創造した者として、私個人からも、お礼を申し上げさせてください。
本来ならば神たる私が対処するのが最善、ということは承知の上ですが、先ほど述べた通り、ルクシアという世界は非常に不安定な世界。私の力の殆どは世界そのものの維持に費やされてしまうため、下界への干渉は最低限しか行えないのです。
故に、誠に勝手ながら、新たな世界を守護するという任は、貴方様にゆだねさせて頂きたいと思います。
無力な神の身勝手なお願いではありますが、どうか、私たちの愛した世界を、よろしくお願いいたします。
*
どこか言い訳じみつつも、真摯さの垣間見える言葉で、メッセージは締め括られている。
相変わらずその内容は要領を得ないというか、ロールプレイに偏りすぎな感はあったが、ともかく、追加のメッセージが来ないということは、この問答はここで終わりということなのだろう。終始不可解さの拭えないメッセージ群だったが、不思議と悪い気はしていなかった。
ふとチャット窓に目をやれば、運営からの
壁掛け時計を見ると、すでに時刻は日付変更を目前に控えていた。
たくさんのプレイヤーたちがカウントダウンを叫ぶお祭り騒ぎには参加せず、俺は椅子にもたれかかりながら、過ぎ去った過去に思いを馳せる。
本当に、楽しい日々だった。
本当に、長く、楽しい、幻想だった。
後少しで、俺の半生を彩った世界は消える。
今日この日のこの瞬間まで育て上げていた
このゲームの中で生まれた縁も、培ってきた経験も、思い出深い広大な世界も。全ては0と1の海に溶けて、心の中に息づく数多の思い出の一つになる。
それは、オンラインゲームとしてこの世に生を受けたゲーム達が、等しく迎える宿命なのだ。
「……はぁ」
――だけど、そう考えて割り切れるほど、俺は大人になれてはいない。
俺はまだどうしようもなく、心の奥に眠る幻想に憧れる、子供なのだ。
「いっそ、本当にルクシアに移住なんてできればなぁ」
ため息混じりに、未練がましいぼやきが口をついて出て。
そして、何の前触れもなく、俺の意識は闇に閉ざされた。
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