第15話 再会

 俺の婚約者と思しき女性は淑女のポーズを取った。


「お初にお目にかかります。ハンナ・スカーレットです。よろしくお願い致します」


 白のドレスに身を包んだ彼女は美しいと言うよりも可愛らしい女性だ。


 長く伸ばされたブラウンカラーの髪はふわふわと緩いウェーブが掛かり、部分的に結われた三つ編みはハーフアップにされている。

 見るからに手の込んだヘアアレンジに今日への意気込みが伝わってくる。


 顔つきは一見すると幼いが、かといって子供っぽいわけではない。しっかり大人の女性としての美しさも兼ね備えている。

 瞳色は髪色と同色で、背丈は小柄。声音は少しハスキー寄り。 

 特段、似ているとかではないのだが、幾つか特徴が重なる事からなんとなく――魔女を彷彿とさせる。


 そんな俺の婚約者――ハンナ・スカーレット男爵令嬢は緊張の面持ちで、ほんのり頬を紅くしながら目を伏せている。


「掛けてくれ」


 俺は右手で促し、彼女は軽く会釈してから椅子に腰掛けた。俺は彼女の向かい側に座る父の隣りに着席した。


「可愛らしい娘じゃないか、ヴィルドレット。お前には勿体ないくらいだ」


「えぇ。そうですね」


 この縁談に対しても乗り気ではない俺は、父の言葉に素っ気ない態度で返す。それを受けた父もまた、俺に対し厳しい表情に強めの口調で釘を刺すかのように続けてきた。


「これまでお前へ向けられた縁談は幾度とあったはずだ。 有り難い事にな。しかしお前はその全てを一蹴し、今やお前に向けられる縁談はほとんど無くなった。 これはお前の傲慢さが招いたエドワード公爵家における非常事態だ。 そんな中、スカーレット卿が是非お前にと、大切な娘を差し出してきたのだ。しかもこんなに可愛いらしい娘をな。 間違いなくお前にとって最後の花嫁候補だ。絶対に彼女を泣かせるような事はするな。 いいな?」


 全く、言いたい放題言ってくれる。俺には俺の考えってものがあるんだよ。


「…………」


 俺は父の言葉に返事をしないまま押し黙る。 出来ない約束はするものではないのだ。


 確かにハンナ嬢は美しく、可愛らしい純情可憐な女性だと思う。 でも――、


 俺の心は未だ魔女のもとにあり、目を閉じればいつでも魔女の顔がそこに映し出される。そして俺の心を弄ぶが如くにこにこと、あの無邪気な笑顔を俺へ向けてくるのだ。


 こんな心持ちで結婚など出来るはずがない。相手方のハンナ嬢に対しても失礼だろう。


 彼女には幸せになる権利がある。しかし、その権利……彼女が幸せになるはずの運命は、俺と結婚する事で全て台無しになってしまう。こんな俺では彼女を幸せになど出来ないからな。


 俺の中の魔女が消えない限り俺に結婚する資格はない。 故に、俺にその資格が得られる事は永遠に来る事はない。


「――――――」


 しんとした空間に、険しくなっていく父の表情。


 さすがにこの雰囲気はまずいな……。そんな焦りが芽生え始めた時だった。


「――あ、あの……」


 誰もが俯いてしまうかのような息の詰まる沈黙を、ハンナの気概の籠った声が打ち破った。


「……お、おう、ハンナ嬢いかがなされた?」


 父は面食らったように一瞬目を見開くが、すぐにその顔を綻ばせた。

 対するハンナはというと、笑顔を引き攣らせている。


 そしてハンナは魔女の彫像の方を振り向き、口を開いた。


「あちらの彫像、ルイス様より作者はヴィルドレット様と伺いました。まさか、あの様な素晴らしい作品が作れる事に感服致しました。ヴィルドレット様は彫刻が趣味でいらっしゃるのでしょうか?」


 そう言うとハンナは再びこちに向き直った。


 この重苦しい雰囲気を変えようと必死だったのだろう。向き直ったハンナの顔に分かりやすくそう書いてある。 彼女に悪い事をしてしまった。


「趣味と言う程のものでもない。時間ができた時に気が向けば作るといった程度のものだ。ただ、この魔女の彫像に関してだけ言えば、精魂尽き果てるまで情熱を費やして作ったがな」


 俺がそう答えると「精魂尽き果てるまで、ですか……そうですか……」と、またしても頬を赤くして俯くハンナ。


 ――ん? 何故このタイミングでそんな照れたような表情をする? 


 ともあれ、先程の重苦しい雰囲気は彼女の一声を皮切りに打ち消され、俺を含め、父もホッとした表情だ。


 それにしても、あの様な場面で声を発する事など、なかなか出来る事ではない。ましてや、婚約者とはいえ現時点では彼女はまだ下級貴族の身。さぞ、勇気が要った事だろう。


 そんな彼女の心意気に応えねばと、俺の方からも話題を振る。


「そう言う、ハンナ嬢は何か趣味は持つのだろうか?」


 すると彼女は俯いていた顔を上げて「んー。そうですねー」と人差し指を顎に当てて少し考えてから、


「私の方こそこれを趣味と呼べるのか分かりませんが、私は誰かと話をしてる時が一番幸せです。なので、こうしてヴィルドレット様と話してる今も私は幸せなんです」


 と、彼女はにこやかに言った。


 それにしてもこの笑顔……なんだか懐かしく思う。


 何故か、顔全体に熱を感じ、俺は彼女の笑顔に対して赤くなった顔がバレないようにそっぽを向いた。


「こんな無愛想な俺と話してて楽しいとは君は変わっているな」


 俺が照れ隠しに言った言葉に対してハンナは「何言ってるんですか?」みたないな顔で、


「この王国にはヴィルドレット様を遠目で眺めるだけで幸せを感じる者もいるのですよ? そんな者からして、ヴィルドレット様は文字通り雲の上の人です。そんな御方と会話など、むしろこちらが申し訳なく思ってしまう程です。 あ、でもヴィルドレット様が無愛想である事に対しては否定しませんけどね」


 と、今度は悪戯な笑みを浮かべるハンナ。


 特別顔が似ているとかでは無い。声も違う。明らかに見た目は別人だ。

 でも、やはり童顔で天真爛漫の雰囲気が一緒のせいか、


 ハンナの笑顔に魔女の笑顔が重なる。


 思わず俺は頬を緩めた。


 隣では今にも吹き出しそうな顔で俺を見る父。

 なるほど。ハンナの俺に対しての褒め殺しに俺が気を良くしたと思ったのだろう。


 全く、この弄ばれているかのような感覚も魔女を連想させる。


「ところで、ヴィルドレット様は何処であの魔女の姿を?」


 魔女の彫像を見つめるハンナ。


「…………」


 額にじわじわと冷や汗が滲むのが分かる。


 まさか、「実は自分の前世は魔女の飼い猫で――」なんて言えるはずも無い。


「そ、それは……」


 彼女からの問いに窮していると、絶好のタイミングで父が口を挟んできた。


「話が盛り上がってきたところ悪いが、ハンナ嬢。君は明日には我がエドワード家の一員となる。故に、今日来たばかりで本当に申し訳ないのだが、悠長な事は言ってられない。今日の内から当家について色々と学んでいって欲しい」


「はい!分かりました!」


 元気な声で返事をするハンナに対し、父は「うむ」と頷き、俺の方を向いた。


「ヴィルドレット。まずは屋敷の案内からしてやれ」


「……承知しました」


 一体、何がそんなに嬉しいのか、ハンナはにこにこと笑顔を絶やさない。


 そんな顔をされてはさすがの俺でも心が痛む思いがする。だが、それでも俺の意思は揺るがない。


 さて、如何にしてこの縁談、無かった事にしようか……。

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