第14話 ハンナの恋心
聖歴412年――スカーレット家邸宅にて。 ハンナ15歳。
我が家の夕食時、私は口の中のものを飲み込み、食べるのを一旦止めて口を開いた。
「今度の懇親パーティーですが、私もお父様について行っていいですか?」
「ん? おぉ、いいぞ!もちろんだ! 一緒に行こう!」
父は私の突然の申し出に嬉しそうに応えた。
「しかし、ハンナ。 一体どういった風の吹き回しなんだ?」
普段は貴族の社交の場に全く興味を示さない私に父は怪訝な表情を浮かべる。
すると母が、父のグラスへワインを注ぎながら横やりを入れてきた。
「それはもちろん、ヴィルドレット様が来るからに決まってるじゃない! ね、そうよね?ハンナ」
父は驚いた表情で私の方を向いた。
「何っ!? そうなのか!?」
同時に兄も私の方を振り向いたが、父とは少し表情の色が違って睨むような表情だ。
「お、おおお、お母様……ち、違いますよ! そ、そそそ、そんなんじゃないです……私はただ、たまには貴族の社交の場にも参加しなくては、と思いまして……」
正直図星だが、反射的に両手をふるふる振りながら必死に否定する。
しかし、核心を捉えた母の言葉はあまりに急過ぎて私は言い繕う態勢が間に合わず、思わず動揺が全面に出てしまった。
いくら言葉で否定しても、私の振る舞いはその真逆を指し示し、そんな私の反応に母はニヤリと笑みを浮かべた。
「やっぱりね」
「…………」
自分の慌てふためく様子を客観視して、もはや弁解しても無駄だと判断。
降参! 私の負け!
私は赤く染まった顔を隠すように俯いた。
「……お母様、何故それを?」
ボソっと暗く、呟くように言った私に対し、母はルンルン気分で弾んだ口調で応えた。
「まさかアレで隠してるつもりだったの? バレバレよ。 だって、ヴィルドレット様が出席されるパーティーにしかハンナは行かないじゃない? それに、普段は気にかけないおめかしにも、うんと力を入れちゃって。 あまりにも露骨だったからまさか隠してるつもりとは思わなかったわ。 それはさて置き…………え? もしかして、あなた達男二人は今知ったの?」
母はわざとらしく目を剥き、小馬鹿にしたような驚きの表情を父と兄へ向けた。
「「…………」」
無言で頷く父と兄。
確かに母の言う通りで、ヴィルドレット様に釣られて行くパーティーは今回で3回目だ。
父や兄、男二人は欺けても母を欺く事は出来なかったらしい。 やはり女同士、しかも親子ともなればその目を欺くのは中々に至難な事だったようだ。
「父上、そのヴィルドレットという男は一体どんな男なのですか?」
兄は相変わらず渋い表情だ。
兄にとって可愛い妹である私が熱を上げる相手が気になるのだろう。
おおよそ――俺の可愛い妹をどこぞの馬の骨にやってたまるか!!――と、いったところか。 それともう一つ、兄は只今お見合い三連負中だ。妹である私に先を越されるのを恐れているのもあるのかもしれない。
「もちろんヴィルドレット様は素晴らしい御方だ。 王国一の剣士で史上最年少で近衛騎士団の団長になり、しかも、その人格も素晴らしいときた。 さすがはあのエドワード公爵様のご子息といったところだ」
父が言うヴィルドレット様への称賛の後に母も続く。
「それから、王国一のイケメンなのよ! 王国中の貴族令嬢や、更には王族の若い娘までもが、ヴィルドレット様へ熱い視線を送っているらしいわ。……母さんもあと5歳若ければねぇ。 はぁ、残念。 歳には敵わないわ」
母は私と違って美人だ。しかも、若い。 何も言わなければ実年齢は35歳に対して20代で通るのも日常茶飯事である。
「……おい」
父が不機嫌な顔で母を睨む。
「ウ・ソ・よ。 冗談に決まってるじゃない! いい歳して何ヤキモチ妬いてるのよ! ほら、飲んで」
空になった父のグラスに母が再びワインを注ぐ。
「歳は関係ないだろ? 何歳になっても妻が他の男に靡くなら誰だって嫉妬するさ」
「嫉妬される内が華ね。 もしもあなたが若い女に靡いたら、その時は背後に気をつけてね?」
「靡かないさ。 それに、君に殺されるならそれはそれでアリだ」
「ふふ、馬鹿なひと」
母は嬉しそうに頬を緩めた。
いつの間にか、両親のおのろけタイムに突入していて、その様子を私と兄で眺めながら呆れたように愚言を交わす。
「また、始まったな」
「うん」
お酒も結構な量入っているし……もしかしたら私に弟か、妹が出来るかも?
それにしても、仲の良い家族だと思う。 たま〜に、くだらない事での夫婦喧嘩もあるけれど、明るく穏やかで、すごく楽しい家族。 私はこの家族が大好きだ。
父も母も兄も、みんな大好き。この両親の元に生まれた事を誇りに思うし、私をここに産んでくれた事に感謝している。
ここに、私の居場所は確実にあって、愛情を注いでくれる家族がいる。
私にとって両親は理想の夫婦像だ。
私もこんな家族を誰かと築きたい。ただ、お嫁に行くって事はこの家族とは離れて暮らすって事だから、そう思うとちょっぴり寂しい。
それでも私は結婚したい。それは魔女だった頃からの私の夢だから。
もしも、あの人と――
ヴィルドレット様のような男性と結婚出来たならば、私にとってそれ以上の理想は無い。
遠目で見るだけなのにどきどきして、また会いたい、って思ってしまう。
魔女だった頃も入れて、これまでに無かった感情……これが『恋』というのだろうと思う。
でも、お相手はあのヴィルドレット様。
まさか、私がそんな御方と結婚出来るわけがない。いや、こんな私がそんな妄想を抱く事すら烏滸がましい。
と、そう思っていたのだが――
◎
――5年後
あれほど遠く雲の上、いくら手を伸ばしても届かない存在だと思っていた憧れのヴィルドレット様が今、目の前にいる。 私の婚約者として。
「待たせてしまい、大変申し訳無い……私がヴィルドレット・エドワードだ」
甘く爽やかな声は聞くだけで心地良い。そして、あまり見かけない稀有な黒髪は丁度良いくらいの長さで切り揃えられていて、翠色の瞳がそれとよくマッチしている。
顔つきはもちろん端正で、爽やかさと、凛々しさが共存したような顔つきだ。 さすがは王国一のイケメン。私って今どんな顔してるのかな?……大丈夫、かな……?
今まで遠目からしか見たことがなかった美貌を目の前に、あり得ない程鼓動が高鳴りまともに直視ができない……しかし、本能的に引き寄せられる視線は再びその美貌の方へ……そしてまた反射的に逸らす……それを今この瞬間に何回繰り返し事だろう。
この御方が私の旦那様になるんだ……
そう思ったら鼓動が跳ねた。
体中に熱を感じながら視線を下にすべらしていくと、
体型は細身ではあるけれど、近衛騎士団長といった職業柄、服に隠れた肉体はきっと引き締まった筋肉に覆われているのだろう、と勝手に想像を膨らませる。
しばらく、口を半開きのまま目をぱちぱちさせて、ようやく我に返った私は慌てて立ち上がりスカートの裾を摘んで淑女の礼をした。
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