第43話 超克の瞳
宇宙の誕生、その物理的な事実は誰も知らない。あるのかも定かではない。だが、もし誰かが空想するのならば、こんな光景なのかもしれない。
無数の光が瞬く暗黒。亜空間を生成できない段階では、こういった空間が出来上がるのを、シモンは何度も目にしていた。
しかしこの未熟な空間には、現実的に宇宙空間には存在し得ない、古代の神殿の如き建物の残骸たちが不規則に点在している。もしかするとこれは、ミーデンを生み出した『神』、その人間が最後に見た景色そのものの再現なのだろうか。
「シモンさん!」
疲労でぼんやりした思考を、Wの声が破る。光線が足場隣の柱を直撃し、遅れて爆発が起こる。爆炎なら幾らでも耐えられるが、爆風への耐性は人並みにしかない。シモンは崩れ落ちる足場を蹴って少し大きな残骸へ飛び移った。
「規則性があるな」
「はい。ある程度ですが射線は予測可能です。でも……」
「瞬間移動での最短経路を割り出してくれ。俺の視認できる範囲の足場の数を」
「はい!」
そうこう言っている間にも、光線は二人を追いたてる。カレルはというと、同時に生み出されている、やはり爆発性のある暗黒球を魔力の炎によって焼いている。
高速で追尾してくる暗黒球は瘴気を伴っており、魔法を制限しているシモンには防ぎきれない。
足場を必要としないカレルが先んじて対処してくれているが、それでも露払い程度にしかならず、攻勢に転じる事が出来ない。
『諦めろ。その様子では魔力も残っていまい』
嘲笑うかのようなミーデンの声が響く。そんな声をよそにWは計算結果をシモンの目の前へ表示する。
「三ポイント。この三点を経由すれば接近可能です!」
「わかった」
シモンは脚に括りつけていたナイフを取り出し、Wの示した点へと瞬間移動する。
一つ。二つ。そして残り一つの足場を目指そうとした瞬間、暗黒球が軌道を変えてシモンへ向かってきた。カレルの舌打ちが聞こえるが早いか、シモンは咄嗟に炎の壁を呼んだ。
「きゃっ!」
至近距離の青い猛火にWが飛び退る。すんでの所で暗黒球を避け、瘴気は炎の巻き起こした気流で散った。ロタリンギアからの脱出の際は物量が多く使えなかった手だったが、ごく小規模であれば対処できる事は知っていた。
ハロルドが眉を歪めるのを視認した瞬間、とうとうその前へ辿り着く事ができた。
「よくやった。と、言いたいところだが」
口の端を引き上げると同時にハロルドの剣がシモンへ振り下ろされる。シモンはナイフで斬撃を受け流し、脇へ距離を取る。
機械剣はその名の通り、魔導機構によって威力を増幅されている。多少強化された程度のただのナイフでまともに受け止めた日には、ナイフごと真っ二つに斬られてしまうだろう。
剣の間合いから逃れたその時、魔力で生み出された無数の剣がシモンに向かって降り注ぐ。
「走れ!」
カレルの声と共に現れた黄緑の燐光を湛える魔法陣が、剣の幾つかを防ぎ霧散させてゆく。それでも防ぎきれなかったものからシモンは走りながら逃れ、再びハロルドとの距離をつめた。そして剣の間合いより近く入り、手にしたナイフをハロルドの肩に突き立てる。
しかしハロルドは一瞬頬を引きつらせただけで鼻で笑う。学習もしないのか、と言わんばかりに。だが
『?!』
声にならない声はミーデンのものだった。シモンはため息交じりに小さく笑い、ナイフを引き抜き飛び退いた。
空間が、僅かに歪んだ。
「亜空間構築は、精神体が俺の精神に干渉して行う事も出来る。だが逆に俺がお前の
精神体は純粋な精神の塊であるため、遠隔でシモンに干渉出来た。しかし肉体を持つシモンは至近距離まで近づき、一瞬の油断、精神の乱れを誘う必要があった。
そしてそのチャンスは、ミーデンが実体であるハロルドと同化している今だけ。
『やめろ……その力は、私の』
「元よりお前のものじゃない!!」
シモンの瞳が紫、そして鮮やかな青い魔力光を伴って光る。体を媒介として流れ込んでくる膨大なエネルギーに耐えながら、シモンは魔導式を行使する。
暗黒の空間が軋むような音を立て始め、激しい風が吹き荒れた。
音は即座に怒号となり、暗黒の星々が、白い光を放つ不規則な構造物に浸食され始める。
あたかも捕食するかのように、新たに構築された亜空間は暗黒を制圧していった。ミーデンとハロルドのエネルギーを食らいながら。
「滅べ」
シモンの声と共に、亜空間がミーデンの断末魔ごと暗黒を食らい尽くす。
そして、機械的な構造体となった亜空間もまた、やがてガラス状に崩壊しながら、消えていった。
景色は元の玉座の間へと戻った。
誰もが沈黙する静寂の中、僅かな日の明かりに照らされて煌めく亜空間の名残りを、降り注ぎ消えてゆく水晶のような煌めきを、シモンはただ見つめた。
夜明けだ。
取り込まれていた魂の解放。それは、犠牲となった者達へのせめてもの手向けだった。
「しっ、シモンさん!」
Wの声をどこか遠くに聞きながら、精も根も尽き果てたシモンは膝から床に崩れ落ち、肩で息をしながら目を閉じた。
「おい……大丈夫か?!」
皆が駆け寄ってくる気配と、ベリンダの声が聞こえる。大丈夫だ、と示すようにシモンは何とか片手だけ挙げてみせた。
あの悪夢の日が帳消しになったわけではない。だが、漸く心残りを果たせたことに、シモンは安堵していた。
あの日を思い出す度父は「仕方がないことだ」と言っていた。虚無の正体もつかめなかった以上、諦めてしまうのもまた仕方のない事だったろう。離れて暮らす家族たちは、別世界の住民となった後も、日々亡くした民のために祈り続けていた。
魔導式の研究も、武器の開発も、いつか果たす復讐と帰郷のためだった。一方で、生き延びてそれなりに安穏とした生活を手に入れた後ろめたさを、虚しい戦いに身を投じる事で忘れようとしていたところもあった。
ただの偶然と小さな好奇心が、長い間の使命を果たす結果になるとは。神も祈りも、まだまだ捨てたものじゃない。と、シモンは心から思った。
「私は臆病なのだよ」
静かな声に、皆が目を向けた。
玉座の傍らに立つハロルドは未だ存在を保っていたが、その姿は朝焼けの空を透かしていた。
「死の瞬間は孤独だった。その人間の宿命から、逃れたかった」
「……で、全員そーしようと、俺を犠牲にしたかった」
ベリンダは腕を組んだままハロルドを睨む。が、ハロルドは苦笑しながら僅かに首を横に振った。
「相変わらず口の悪い娘だ」
そしてハロルドはアダムに視線をやった。
「希望の名を冠していようと、計画の先には争いしかない。お前と、私のように」
アダムは黙したまま、ただハロルドを見つめた。
争っていたわけではない。思想が違った。だから距離を置いた。それだけの事だった。しかし争いの火種というものは、大抵がそんな些細な事だ。
言い合いをしたところで関係性は悪化していただろう。かといってアダムの取った行動も最善だったわけではない。というのも、今回の一連の出来事が証明している部分もある。
ハロルドがアダムを庇ったあの瞬間の真意はわからない。血への固執も、誰の為だったか知る由もない。第一に、ベリンダの家族を奪った事実がある限り、許すつもりは一切ない。
だがアダムの胸中は、複雑だった。父を理解したくないわけではなかった。いや、理解したかったからこそ、離れていただけだった。何度も失敗を繰り返しながら、いつか互いに歩み寄れる日を待ち望んで。
そしてそれこそが人間という存在に対して、希望を捨てきれない所以だった。
「それでも私は、人が人としてある世界を望みます」
アダムはその金色の瞳でハロルドを見据え、答えた。
同じ色をした双眸を閉じて、ハロルドは小さく頷いた。口元の笑みは諦めのようでもあり、また、安堵のようでもあった。
その姿の向こうで紫と、炎の赤に染まった空が次第に青く明るみを帯びてくる。そして黄金色の暁光が空を割った瞬間、ハロルドの姿は光と共に虚空へ消えた。
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