第40話 虚無

 カレルの突然の登場に狼狽えるかと思われたミーデンだったが、その表情は変わらない。


「一人二人増えたところで」

 ミーデンはそう吐き捨てると、触手とも違うどす黒い靄を全身から放出する。瘴気だ。

 シモンはすかさず空間を遮り、瘴気を消滅させる。ミーデンは忌々しそうにシモンを一瞥し、その冷たい視線をベリンダに向ける。と、同時に、床を這う闇の欠片の触手が一斉にベリンダへ襲い掛かった。

 ベリンダが応戦する前にリュシーとアダムが斬り払うが、闇の欠片は退く事なく新たに増殖し続ける。


「お前は本当に子が欲しくは無いのか。お前が子をなさねば残された希少な血の一つが絶える」

 その言葉にベリンダは再びたじろいだ。


「子をなすだけが人の生きざまではない」

 静かな怒気を孕んだ声は、アダムのものだった。

「ではお前の慰みのためか?」

 ミーデンは嘲り笑う。

「どう言い繕ったところで生物の役割とは子孫を残し繋げる事。叶わぬ者はただ名も無く歴史の闇に消える。聞こえの良い事を言って妻の悲願を潰すのは、所詮お前の自己満足に過ぎん」


 しかしアダムはどこか憐れみに満ちた表情でミーデンを見据えた。

「人の心は、営みはそう単純に出来ていない。理解できないという事が、お前に人間となる資格の無い何よりの証だ」


 アダム達を取り巻く闇の欠片が更に増殖し、勢いよく膨れ上がった。

 闇が三人を飲み込もうとした刹那、鮮やかな青の炎が闇の欠片の壁を焼き切る。

 同時にシモンはミーデンを撃つが、寸前で躱された。予想はしていたものの、やはり弾丸ではミーデンの速度に追い付けない。

「カレル」

「言われずとも」

 カレルの姿が掻き消え、シモンは銃を仕舞うと小ぶりの機械剣を手にミーデンの足元へ瞬間移動した。

 鋼鉄の足を薙ぐ重い感触と金属音が響く。そして頭上から、機械の破片がばらばらと落ちてきた。


 破壊された部分から再び瘴気が放たれ、シモンは瞬間移動で距離を取りながら瘴気を掃った。

 今の一撃と背後からのカレルの攻撃とで、ミーデンの機体は半壊していた。だが機体は借り物の器だ。器から零れ出たのは紛れもない、かつてロタリンギアを襲った虚無の闇だった。

 質量もわからないほどに光を通さない暗黒の塊が一気にシモンへ迫った。

 虚無には剣も炎も通じない。すぐさまシモンはシールドを張るが、すっぽりと暗黒に覆われた。


「シモンさん、シールドが!」

「わかってる」

 後ろについていたWが悲鳴を上げる。暗黒は徐々にシールドを圧迫し、ガラスが砕けるような音が聞こえてくる。このままでは数秒持たずに崩壊してしまうだろう。

 しかしあわや、というところで、突然視界が開けた。

 見れば、カレルのあの魔力の炎が暗黒を焼いていた。


「遅い」

 シモンが悪態をつくその間にも、虚無、ミーデンはカレルへと標的を変更し、怒涛の勢いで襲い掛かった。


「無駄だ」

 カレルの呟きと同時に緑の炎が暗黒を焼き切り、怒りとも痛みともつかないミーデンの咆哮が響き渡る。


「お前さえ、魔族さえ居なければ我らの『神』が滅ぼされる事も無かったのだ」

 機械の器を失ってなお、ミーデンの声はフィービーを模したままだった。何度焼かれても虚無の闇は止めどなく溢れ、膨張し、一つの塊となってカレルに向かっていく。


「待ってました……!!」

 シモンの声と共に、塊となった虚無の闇の上部が歪んだ。

 そしてあっという間に、巨大な重力に捕らえられたミーデンは徐々に形を歪めていく。

 ロボット兵を圧し潰したのと同じように、シモンは掲げた右手を一気に下げる。が、手に跳ね返ってくる抗力が尋常ではない。どれだけ質量があるのか、あまりにも負荷が高い。額に脂汗を浮かべながら、シモンは更に強く手を空に押した。

 玉座の間の天井へ届くほどだったミーデンは今や、両手で抱えられそうなほどの大きさへ圧縮されていた。


「カレル!」

 シモンの叫びと同時に、カレルの魔力を乗せた拳がミーデンを貫いた。



 虚無の闇は千々に砕け、砕けた欠片は黒曜石のように煌めきながら、やがて虚空へ消えていった。



「わ、わ、わ……やったあ!!」

 Wが歓声を上げる。大きく息をつきながらシモンがふと脇を見やると、ベリンダ達に襲い掛かっていた闇の欠片もまた、霧散していた。

 シモンは荒い息のまま両手を膝についた。次第に硬い足音が近づいてくる。カレルだ。しかしカレルの表情は釈然としない様子だった。


「ここまで成長した個体が、こうもあっさり滅びるか……?」

 カレルの疑念も尤もだった。魔界の軍勢でもって討伐するのだと聞いている。そこまで本来手がかかるものが、重力魔法と打撃一つで滅びるものだろうか。

 乾いた口の僅かな唾を飲み込みながら、シモンは体を起こした。その時だった。



『やはりこの方法は叶わなかったか』


 ミーデンの声がどこからともなく響いた。辺りを見回すが、闇の影さえない。そんな様子を嘲笑うかのように、声は続けた。


『面白いものだ。人であろうとした私と、私のようになろうとした人と』







『お前はどんな『神』になる?ハロルド』

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