第37話 嵐の前

 一刻も早くハロルドをミーデンから引き離した方が良い。シモンは以前教えられた王宮への直通回線からメッセージを送ったが、ハロルドからの返答は無かった。

 もうミーデンと引き離す事は不可能なのだろうか。そう思いつつ過ごしていたある日の朝。


「シモンさん!!!起きて!!起きてください!!」

 朝の涼やかな光が差し込む部屋の中、Wの大きな声が響く。まだ朝日はおぼろげで、いつもの起床時間より随分早い事はわかる。このアパートは昔ながらの建築で、防音装置などない。近所迷惑だと反射的にWの口を塞ぎながら、シモンは漸くベッドから起き上がった。


「うるさいぞ」

「うぇええんだって速報で」

 声をいくらか落としながらも、Wはふにゃふにゃした様子でTV画面を中空に映し出す。するとそこには、信じ難い文字が一面に大きく表示されていた。



 ――国王陛下、崩御――



+++



 シモンはその日付けで軍に引き抜かれた。緊急事態だからだろう、速報に加えてした覚えの無い応募への内定と辞令がいっぺんに届いており、シモンはいつもの基地へ向かった。


「シモン、よく来てくれた」

 司令室で出迎えたのはスチュアートとグレゴリーだった。アダムとベリンダは当然グレイセットの王城へ向かっており、基地には不在だ。

「いきなりで悪いが、ミーデンの捜索が今日からの任務だ」

 と、グレゴリーが疲れ切った表情で肩を叩いてきた。


「ミーデンの存在は王宮の公然の秘密と言ったところで、侍従たちもその存在を認知している。ところが、陛下が亡くなられた時から姿が見えないのだと言う」

「奴の出す瘴気が陛下の生気を奪っていたという仮説が正しいなら、陛下を殺したのは奴で間違いない。ここ最近病で公務に出られないとニュースになっていただろう。それほど奪われつくされたのか、或いは――」

 スチュアートの言葉を継いだグレゴリーは険しい表情で言葉を切る。

「意図的に殺されたか」

 シモンの問いに、グレゴリーとスチュアートは同時に頷いた。


「何にしても逃がしておく手はねえ。次の被害が出ないとも限らないんだ、一刻も早く捕まえたいんだが、皆目見当もつかん」

「ミーデンはベリンダを狙っています。ベリンダの行くところを警戒するのが最善かと」

「と、思って警備は固めてるんだが、一向に現れねえ。それでお手上げに近いってところさ」

 そう言ってグレゴリーは手にしていた雑誌をテーブルの上に放った。

「葬儀は十日後、それまで王族方はてんやわんやでそれどころじゃねえだろうな」

 シモンはふと雑誌を手に取り、折り曲げられていた部分から中身を見た。


 記事にはこうある。最後に見舞いへ訪れたのはアダム皇太子夫妻。特段変わった様子はなかったが、皇太子夫妻が退出して間もなく、容体が悪くなったと。


「長官が殺したんじゃねえか、ってまことしやかにささやかれちゃいる」

 グレゴリーは机に背を持たせたまま、明後日の方向へ大きなため息を吐いた。


「アンドロイドの撒いた“不安の種”……」

「だろうよ。奴らの扇動は初期におさまったが、長官とベリンダ妃へ疑念を撒く役目は果たしていたわけだ。荒れるぜ~~これは」グレゴリーは目を細めつつ顔を顰め、再び息を長く吐き出す。

「これまでの情勢を考えると、この事一つで世間がアダムさんを本気で疑う事などなさそうですが」

「ああ。だがよ、こういう小いせえ疑惑ってやつはしつこくしつこく残り続ける。面倒な事してくれたもんだ。てなわけで」

 グレゴリーは体を起こし、改めてシモンに向き直る。

「これから葬儀までの間、お前はベリンダ妃の護衛を頼む」

「長官は」

「長官はカレルとリュシーに任せてある。それに、セキュリティフォースからもまた臨時で人員借りてきたからな。護衛に関しては問題ない布陣にしてある」


「果たして接触してくるかどうか……」

「混乱に乗じてが一番あり得ると思うんだがね」

「ふむ。だがどうも奴さん、お行儀が良いようだ」

 スチュアートは腕を後ろで組み、明後日の方向を見る。

「仕掛けて来るとしたら葬儀が終わってからだろうと私は見ている。だが何にせよ、警戒は怠らないように」



 まだ修復は追い付いていないが、ハロルドの亡骸は首都の王宮へと一旦移された。ここから旧王宮へ移り、大聖堂で葬儀が行われる。多くの人が弔問に訪れ。嘆き悲しんでいた。一方で、ここまで苛烈な保守への地盤を作ってしまった事について、自由主義者からの非難の声も寄せられていた。全体的には落ち着いた様子だが、火種はあちこちに残っている。


「大丈夫か」

 漸く一人きりになったベリンダへ、シモンは小声で話しかけた。

「まあなんとか」

 ベリンダは飄々と返すが、その表情は浮かない。黒いドレスに身を包んだ姿がより一層、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

「最後に話した時、何か変わった事は」

 問うた途端、ベリンダは口を噤んだ。そうして一拍の間をおいて、再び口を開く。

「謝罪を」

「謝罪?」

「俺の両親と兄弟を暗殺した謝罪を」

「……」

「だからって今更何になるってんだよ」

 ベリンダの声は静かだったが、計り知れぬ怒気をはらんでいた。

「奴は死に逃げ。起訴したくてもとっくに時効。こういう結末を予想はしてたが、それにしたって……」

 ベリンダは疲れた様子で片隅の椅子に腰を下ろし、片手で額を覆った。


「ベリンダおばさま、大丈夫?」

 不意に小さく高い声がした。見れば、やはり黒いドレスに身を包んだ少女の姿があった。アダムの弟の子、ベリンダの姪である王女の一人だろう。

「ああ、大丈夫。このおにーさんと嫌な話をしてたもんでね」

 ベリンダは不敵な笑みを浮かべてシモンを見上げた。

「さ、ご両親のところへ戻っておいで。心配する」

「だってえ……退屈なんだもん……」

 金の巻き毛の少女は不満げに口を尖らせる。「お父様もお母様も喧嘩みたいに難しい話ばかりして、疲れちゃった」

 年の頃は十歳になったばかりだろうか。この年齢ではまだ死を理解するには難しく、自分の祖父が亡くなった事への衝撃も薄いだろう。

「あたしベリンダおば様の子どもがよかった」

 そう言われてベリンダは複雑そうな笑みを浮かべ、再び王女を両親の元へ促した。


「そ。俺にはかわいい姪や甥が居るから十分」

 そう言ってベリンダは立ち上がる。


「張り付いてくれるのは心強えーけど、目算はあんの」

「ない」

 シモンは即答する。

「俺もスチュアート卿と同じく、葬儀の後の接触だろうと見てる。だが万一があるからな」

「でもさあ」

 つと、ベリンダはシモンを振り返る。

「ミーデンがまた現れたとして、国王を死に至らしめた例の瘴気があるだろ。あれってどーにかできるもんなの」

 シモンは軽く首を傾げる。

「おいまさかノープランなんじゃ……」

「いや、ある。葬儀が終わったら、そこについてもちょっと調査が必要だが」

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