第29話 荒野の記憶

 飛行機で一時間、更にリニアに一時間とバスに揺られてデールモアの荒野に辿り着いた。

 荒野、と一口に言うがヒースの高原は国立公園に含まれており、非常に広大だ。ベリンダから渡された地図を頼りに進むにつれ、観光客と思しき人々の姿も見受けられ始めた。

 ベリンダが言うには、かつて身を寄せていた親戚宅から少し離れた荒野によく一人で出かけていたらしい。地図に沿うごと、観光客の姿も次第に少なくなっていく。ベリンダは多くを語らなかったが、どうやら一人になりたい時に行く場所のようだと推測された。


 地図を貰ったとはいえ、スムーズに目的地に辿り着けるだろうか。そうシモンが思いつつ視線を巡らせると、ふとした違和感に気が付いた。


 景色が歪んでいる。


 何より、覚えのある気配にシモンは歪みに向かって走った。



 歪みの傍まで来た瞬間、ガラスが砕けるような音がして白い空間に飲み込まれた。フィービーの亜空間だ。が、以前までと違い、目の前には漆黒の渦が見える。

 渦――闇の欠片は不定形な鋭い触手を無数にフィービーへ伸ばし、フィービーは杖から発生させたと思しき魔力波で何とかそれを弾きながら逃げまどっている。ほんの護身用程度だろう弱い魔力波で、闇の欠片にダメージを与えるほどではない。


 どちらもそれなりの速度で移動している中、炎の柱で攻撃するわけにもいかない。シモンはフィービーに駆け寄りながらシールドで闇の欠片の触手を全て弾き飛ばした。


「シモンさん!」

 漸くこちらに気付いたらしい、フィービーは目を丸くして歩を止めた。シモンはフィービーを脇に抱えるようにして庇いつつ、シールドで闇の欠片ごと押しのけようとする。しかし闇の欠片は更に触手を突き出し、徐々にシールド表面を覆い始めた。


「やはりしつこいな」

 シモンは眉間に皺を寄せながら自由な左手も前へ伸べた。シールドが球状に二人を覆うと同時に青い炎の壁が吹き上がり、闇の欠片の触手を全て焼き払う。

 気取られたせいか仕留めるまで行かず、闇の欠片は二人から距離を取る。が、発生させたままの炎の壁は闇の欠片にすぐさま追い付き、壁は炎の海と化した。


 揺らめく青い炎の中で影は次第に小さくなり、やがて燃え尽きてしまった。



 亜空間に静寂が戻ると同時に、フィービーは杖に縋りながら座り込んでしまう。同様に屈みこんで宥めるように肩をさすってやっていると、漸くWが魔法陣から姿を現した。

 遅い、と文句を言うより前にWはぴったりとシモンに引っ付いてしまう。そういえばアダム宅でも珍しく食い下がる上、機械らしからぬパニック状態になっていた。


「あっ……何か、ある」

 闇の欠片に何か特別な事でもあるのだろうか。不可解なWの様子にシモンが思いを巡らせているとフィービーが小さく声を上げた。

 フィービーは手を伸ばし、Wの機体を引っ掴むと強引に裏返した。そうして離した小さな手には、これまたごくごく小さな黒い欠片が。

「それは?」

 シモンは首を傾げながらフィービーの手のひらから黒い欠片を摘み上げる。一般的な薬の錠剤よりまだ小さい、微小な塊だ。ゴミと言うには製品らしい形で、しかしWのパーツとも言い難い。


「潰しちゃってください。盗聴器です」

 シモンはすぐさま黒い欠片を燃やし溶かした。すると確かに、わずかな電気の爆ぜる音をさせて欠片は消えてしまった。


「ふえ……うええええええ有難うございますううううう」

 変な声をあげ、Wはへなへなと崩れ落ちるようにシモンの膝の上に着地する。

「あの影が現れた時からごく微細な電波が発生し始めたんです。ベリンダ様にメンテして貰ったんですが、異常はなくって……それはそうですよね。あああまさか変なパーツが、盗聴器がくっついていたなんて」

「デジタルと大人の視点の落とし穴ですね」

 ふんっ、と短くため息をついてフィービーは両手を自身の腰に当てる。ベリンダもアダムも高身長だ。基本的に人間の肩くらいの高さにしか浮かぼうとしないWの裏側はシモンも含めて盲点だった。


「……こういうものは丁度ここでの日常で見かけていたので、私には気付き易かったでしょう」

 フィービーは低くぼやきながら立ち上がり、杖で白い床を叩いた。すると再びデールモアの荒野が戻る。

「ベリンダはもう安全なのでしょうね。この時みたいに怯える必要が無いから、盗聴器やカメラを考慮に入れる事もないくらいに」

 不穏な言葉にシモンが訝しんでいると、フィービーは困ったような表情でシモンを見上げた。

「この杖も護身用です。威力は携帯用の魔力波自動発生装置と大して変わりませんが、これだけ物々しい機械杖なら不審者も寄り付きにくくなる」


 フィービーはとても可愛らしい。昔から被害を受けていたであろう事は以前の件から薄々推測されていたが、どうやら予想以上のようだ。そして続いた言葉はやはり信じがたいものだった。

「私は従兄弟から被害を受けていました。両親と弟が暗殺されて、祖母と一緒に身を寄せたこのデールモアの親族宅で。部屋に盗聴器やカメラまでつけられて。だから毎日が憂鬱で、部屋には手製の鍵もつけて、時間がある時はいつもこの荒野に」

「それでマナーズ家へ」

 シモンの問いに、フィービーは静かに頷いてみせた。

「ヴァレリアさんだけが頼みの綱でした。困っている事をやっと勇気を出して告白したら、すぐに乗り込んできてくれて。……血の繋がった家族や親戚よりも、ヴァレリアさんやスチュアートおじさまの方が、よほど家族らしかった」



「先ほどの闇の欠片は、シモンさんがやってくるよりかなり前に現れました。恐らくベリンダの指示と、シモンさんの何かしらの会話を、盗聴器で聞いての事だったでしょうね」

「だろうな……」

 シモンは思わず口元を手で覆う。ベリンダが空間制御の魔導式を知っている事を言ってしまったのは不覚だった。『虚無』が何をどこまで知っているかわからなかったのに、うっかりこちらから手のうちを明かしてしまったようなものだ。

 それにしても盗聴器とは益々この世界の人間臭い。『虚無』が機械の体を手に入れてしまったがゆえの事でもあったろう。結果的に何もかもあちらの思うように進んでいる事が歯痒かった。


「でもそうなる因果でした。そしてこの先も。今後情報がもれる事はありませんが、最後の場所にはミーデン本体が現れます」

 シモンは驚いてフィービーを見つめる。フィービーはその真剣な表情に、微笑んでみせた。

「安心してください。私の精神体が乗っ取られる事はありません。

 前に乗っ取られると言った時はあまりよく見えていなくて、あの機体を私自身かと勘違いしていました。機械的な補助があるとはいえ、私の美術造形的な能力も、捨てたものじゃないですね」


「そうか。なら少しホッとしたよ」

「でもやっぱりベリンダには気を付けてください。彼女の方が狙われている事には恐らく変わりがないと思います」

 シモンが頷くと、フィービーはやや憤慨した様子でため息をつく。

「大人になって盗聴器に怯えなくてよくなって。折角安住の地を手に入れたのに、まだ何かに狙われるなんて」

「君も苦労するな」

「本当に」


 そうしてフィービーは何か思い出したようにシモンを見た。

「ケテルのメモリが解析し終わったみたいですよ。基地に戻る前に、一度カウンズホールへ寄ってみてください。結果を言っちゃいますと、ケテルのメモリにはミーデンの記録がありました」

「!」

「ついでに言うと、ダグラスさんからロボット兵のメモリの報告もあったみたいです。ミーデンの居場所は私にもわかりません。報告の詳細などは見ていないので、もしかするとそこに手がかりがあるのかも」


 シモンは頷き、改めてフィービーに問い直す。

「最後の場所にミーデン本体が現れると言ったが、その結果は見えるかな」

「被害はありませんが、取り逃がします。残念ながら」

 フィービーは肩を竦める。

「未来を知ってしまうと面白くないでしょう」

「そうだな。できれば俺は見たくない」

「ほんとですよ」

 フィービーは頬を膨らませ、やがておどけたように首を傾げる。

「そろそろ私も消えます。辛い記憶ほど、長居できるみたいですね。だから最後は、結構長く一緒にいられます」

「それはよかった」

 シモンは笑って返すが、フィービーはなぜか少し口を尖らせた。


「ベリンダに何か言いたい事は?」

「特にないです。シモンさんに言いたい事も、最後までとっておきます」

「通常ならフラグと言われるやつだなそれは」

 苦笑するシモンに、フィービーも笑って返す。

「こういう時は決定した未来が見えるのは便利です。予告は覆りません」


 いつものように、ゆっくりと景色が白く欠け始めた。そうして暫くすると、遠くに人気のある元の荒野へと戻った。



「未来が見えちゃうって、大変ですね」

 Wが独り言のように呟いた。

「本人が見たい時に見られるようだったから、まあそこだけはマシな風だ」

 やっと緊張が抜け、ぐっと背伸びした途端にシモンの腹の虫が鳴いた。

「あら。もうお昼ですっけ」

「何か食って戻ろうか。出来れば中心街で」

「このあたりにもお店はありますよ。隠れ家的な有名店が」

「さっきの話を聞いた後なんでね。土地に罪はないが、そんな胸糞悪い連中のいる付近にはあまり居たくない」

「ですね」

 Wもうんうんと頷き、地図を空中に映し出す。

「羊の内臓のプディングが有名ですけど、シモンさん得意ですか?」

「羊肉なら割と好きだが……挑戦してみるか」

 観光客達とは逆方向に、シモンは元来た道を戻っていった。

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